第二十二話 &安堵
翌朝、玲は結局学校へは行かなかった。
朝早くに辿り着いた病院の廊下は、昨夜の狂騒が嘘のように静まり返っている。手術室に向かったが、「手術中」の赤いランプは既に消えており、そこには何の音も、何の気配も残されていない。玲は、廊下を通りがかった看護師を呼び止めた。看護師は、患者はすでに病室へ移動したと短く告げる。
「友香は……助かったんですか?」
看護師が、静かに頷く。
その瞬間、玲はそれまで自分を支えていた何かを失ったように、その場で崩れ落ちた。膝をつき、顔を覆い、子供のように声を上げてしばらく泣き崩れた。
病室に向かうと、友香の母親がベッドの傍らでパイプ椅子に身を預け、力尽きたように仮眠をとっている。玲はその寝顔を一瞬だけ見つめ、細い声で呼びかけた。
「……友香のお母さん」
母親はビクッと肩を揺らして目を開けた。寝惚け眼に玲の姿が映り込む。
「ああ、玲ちゃん。来てくれたの? ごめんね、変な顔見せちゃって」
母親は顔を拭い、無理に微笑みを作った。その瞳には疲労が滲んでいる。
「ゆうべ、手術が終わったのが深夜一時を過ぎてたのよ。あまりに夜遅いしと思って、連絡できなくてごめんね。」
「……友香は、どうなんですか」
玲の問いに、母親はベッドに横たわる娘へと視線を落とした。顔には痛々しい擦り傷があり、頭部には白い包帯が幾重にも巻かれている。
「……あの高さから落ちた人とまともに衝突したら、普通は即死でもおかしくなかったって。何があったかはわからないけど、友香とその子は、ぶつかったとしても重度の衝突ではなかったかも知れないって。
どちらかと言うと、倒れた時に背中に刺さった木の枝の傷が深くて……出血もひどかったの」
友香の母親はそこで一息をつき、眠っている友香の手にそっと触れる。
「でも重要な臓器を奇跡的に綺麗にすり抜けてたって。それでも、左肩にはヒビが入っているし、あとは、頭も強く打っているから、いつ目を覚ますかわからない部分もあるけど、とりあえず、危険な状態からは脱したって、先生にそう言ってもらえたわ」
「……そうですか。生きててよかった。本当に、よかったです」
玲は母親の隣に立ち、眠り続ける友香を見つめた。
「ただ、飛び降りた子は亡くなったって聞いたわ……」
友香の母親は、どこかやり切れない表情だった。友香が助けようとした子を救えなかった無念。しかし、その子のせいで、自分の娘まで失っていたかも知れないという怒りや恐怖、不安が混在してる様子だった。玲は何も答えなかった。
「それより、お母さん。顔色がすごく悪いです。私が友香を見てますから、少し、休んできてください。友香が目を覚ました時、お母さんが倒れてたら、きっと友香、自分を責めちゃうから」
「でも、申し訳ないわ。玲ちゃんに手伝わせるなんて。それに学校はどうしたの?」
「……先生が、無理に来なくていいからって言ってくれましたし。それに今日は友香のそばにいたいんです。だから、大丈夫です」
「そう、なの?それじゃ……申し訳ないんだけど、少しだけお願いしてもいいかしら。友香の着替えを持ってこないと行けなくて。一度家に帰るから、往復で三十分くらいかかるかも?ああ、でも、もしも何か用事があったら帰っていいからね。看護師さんも見てくれてるから。」
「はい、わかりました。」
母親は何度か玲にお礼を言い、後ろ髪を引かれるような様子で病室を後にした。重いドアが閉まり、部屋には病院ならではの無機質な静寂と、規則的な心電図の音だけが残った。
玲は、母親が座っていたパイプ椅子に深く腰掛けた。背筋を伸ばし、両手を膝に置いたまま、包帯に巻かれた友香の顔をじっと見つめる。その瞳には、親友を失いかけた恐怖と、彼女が生きていたことへの深い安堵が入り混じっていた。
「……よかった。あかり。友香……助かった」
玲はそっと友香の手を握り、小さく目を閉じた。




