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【第七十四話】負けない者

〈キオウ島・切子グラス工房〉


――カゲロウのもとを訪れて三十日が経とうとしていた。


工房には熱気が満ちていた。


真っ赤に溶けたガラス。


炉の前で息を整えるヒナノ。


長い竿をゆっくりと回しながら形を整えていく。


汗が頬を伝う。


集中している。


誰も声をかけない。


やがて。


竿を置いたヒナノが大きく息を吐いた。


「……できた」


二色のガラスが重なり合った、一つのグラスが姿を現す。


工房の親方が静かに近づく。


作品を光へかざし、しばらく眺めてから頷いた。


「上手くなったな」


「ガラスを読むのが上手い」


ヒナノの顔が明るくなる。


「ほんと!?」


「ありがとうございます!」


その言葉を、入口で腕を組みながら聞いていたカゲロウが笑った。


「ここにして正解だったな」


ヒナノが振り返る。


「いつからいたの?」


「最初からだ」


「……声かけてよ」


「邪魔だったからな」


「色々経験させたが、好きなものだと上達が早いだろ」


苦笑いするヒナノ。


「……わかったんだ」


「ナナセやサツキと出会えたきっかけが剣だったの」


「だから剣にこだわってたし、剣を好きになれてたの」


「こんな理由でも、いいんだよね?」


笑みを浮かべるカゲロウ。


「いいじゃねぇか」


「惚れた男や親友との出会いなんだろ?」


「十分な理由だな」


「好きなもんの方が、魂は乗る」


グラスを手にするヒナノ。


「……でも」


「まだまだなんだよね」


「もっと上手くなりたい」


その言葉にカゲロウが口角を上げる。


「そう思えたなら十分だ」


「え?」


「ここは今日で終わりだ」


ヒナノが目を丸くする。


「えぇ!?」


「まだ教えてもらいたいことあるよ!?」


「あるだろうな」


「だから終わりなんだ」


意味が分からない。


そんな顔をしているヒナノへ、カゲロウは静かに言う。


「今日までで、お前はいろんな鬼たちを見た」


「そして、一つの仕事を続けた」


「もう十分だ」


「何が?」


「――生き様を学ぶ時間は、ここまでだ」


「残りの期間は剣を教える」


ヒナノは呆然と立ち尽くす。


「……え?」


「今まで修行じゃなかったの?」


「準備運動だ」


「うそでしょ!?」


思わず叫ぶヒナノ。


工房中に笑い声が響いた。


カゲロウも珍しく声を上げて笑う。


「いいか?」


「出会った頃のお前は、方向性が見えていなかった」


「だが、ようやく考えるだけの材料がそろった」


「あとはそれを仕上げるだけだ」


「団子の味が決まったなら、より美味くしないとな」


「ついてこい」


「まだ、この工房に残りたいか?」


「それとも――剣士として先へ進むか?」


試すような顔でヒナノを見つめる。


「……それも魅力的だけど」


「私は剣士だから――教えて欲しい」


その表情に満足げに頷くカゲロウ。


ヒナノが立ち上がる。


工房の鬼たちにお礼を言ったあと、海岸沿いを歩く。


そして、海沿いの開けた場所に立つ二人。


「うし……ここなら多少派手にやっても問題ないだろ」


「まずはお前を負けない剣士にする」


「勝てる剣士じゃなくて?」


「――言わなくてもわかるだろ?」


手にしていた包みを開くカゲロウ。


ヒナノがさっき作り上げた完成品のグラスを取り出す。


「……盗んだの?」


「違うわ」


その横に、歴代の失敗作を並べる。


それらを見て呆れた顔のヒナノ。


「それも持ってきたんだ……」


一息ついた後、ヒナノが真剣な表情に戻る。


「続ける限り、負けじゃないってことでしょ」


ヒナノの答えに笑みを浮かべる。


「そうだ」


「失敗したぐらいがなんだ」


「その理由を分析して、昇華して、勝つまで続ければいい」


「今日、満足する作品が作れなくても」


「明日には作れるかもしれない」


「――死なない限り、明日を迎える限り、負けじゃねぇ」


完成品のグラスを手に取るヒナノ。


三十日前には作れなかった作品だった。


それは技術だけではなく、自分の心も映していた。


(私は……)


(自分が満足するまで何度も向き合ってた)


(食事も時間も忘れて……)


(剣でも必死だった)


(でも……自分が納得するまで向き合えてた?)


ヒナノはグラスを大事そうに抱えた。


誰かを守るため。


誰かを笑顔にするため。


その未来を、自分も一緒に迎えるため。


そのために、自分の全てを費やす――


「うん!」


「厳しい修行だろうが望むところだよ!」


カゲロウは満足そうに頷く。


「その意気だ」


「生きているからこそ、望む未来を手に入れられる」


「死ねば、そこで終わりだ」


「――だから負けない剣が最初だ」


「負けない剣って聞いて何を想像する」


カゲロウの問いに考え込むヒナノ。


「斬られないことかな」


「そもそも、剣を抜かせないとか?」


ヒナノの回答に吹き出すカゲロウ。


「抜かせないとは面白い発想だな」


「だが、悪くない」


「実際に、殺気で相手を威圧する剣士もいるしな」


カゲロウが真剣な表情でヒナノを見つめる。


「俺から教えるのは斬られない剣だ」


剣を構えるカゲロウ。


遅れてヒナノも構える。


「来い」


カゲロウの声の後、斬りかかるヒナノ。


だが、剣が触れた瞬間、力の向きがずれる。


踏み込んだ勢いだけが残り、身体が前へ持っていかれる。


勢いあまって、そのまま地面に転がるヒナノ。


「……なんで?」


「流されてもこうなることなんてなかったのに」


不思議な顔でカゲロウに向き直る。


「簡単だ」


「俺が力の向きを変えたからだ」


「お前は、自分の力だけで剣を振っている」


「だから簡単に力を奪われる」


「強い力ほど、流れを知らねぇと扱えねぇ」


「……いいか」


「斬るってのは――“流れ”を支配することだ」


「自分と相手の力をうまく使え」


「そうすれば斬られないし、逃げることもできる」


「――その中で、勝てる剣を見つける」


「想いと技術が一つになってようやく一つの剣になる」


「ここからが本番だぞ」


遠くで岩礁に波がぶつかる。


夕暮れの潮風が吹き抜ける。


新たな修行の始まりを告げるように――


【第七十五話へ続く】


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