【第七十三話】狩る者の呼吸
〈キオウ島・竹林〉
――ノワキのもとを訪れて三十日が経とうとしていた。
朝靄の残る竹林。
目を閉じて、一本の竹に触れているサツキ。
竹のしなりが止まったその瞬間、指先に力を込める。
竹が縦に割れた。
「――いいですね」
後ろに控えていたノワキが声をかける。
「ようやく呼吸がわかるようになりましたね」
微笑みながらサツキに近づく。
「では、そのまま応用に移りましょう」
「この周辺にいる生物の呼吸を、いくつ感じ取れますか?」
目を閉じたままゆっくりと呼吸するサツキ。
「私たちを入れて十二体」
「……一番存在が大きいのは?」
「北西に一体……その横に小さな呼吸が二体……」
「上出来です」
「その三体は、私がかわいがっている虎の親子です」
「猫みたいでかわいいですよ」
「……とてもかわいらしくない存在感なんだけど」
「では、その虎と私では、どちらの呼吸が大きく感じますか?」
「師匠の気配の方がずっと小さいです」
その言葉を聞き、口角を上げて頷くノワキ。
「……いいでしょう」
「一定のレベルの剣士は、呼吸を自在に制御しています」
「鬼神様は威厳のためにわざと出していたりしますが……」
「そこら辺の酔っ払いや芸者が、剣の達人というのはざらにあります」
「さて――呼吸だけでは剣になりません」
「ですので、呼吸を知ったあなたの次の課題です」
「――呼吸での感知と自分自身の呼吸の制御」
「次はこれを叩き込みます」
「同時に――」
鋭い目でサツキを見つめるノワキ。
「あなたに最も足りていないものも叩き込みます」
「……最も足りてないもの?」
「呼吸以外で?」
サツキが眉をひそめる。
「呼吸を感じるだけなら、剣士としての入口にすぎません」
一度目を閉じてから、再度サツキを見つめるノワキ。
「……初めてあなた達の剣を見た際に思ったことがあります」
「技術は素晴らしい」
「だが――想いが乗っていない」
「殺意、矜持、願い、思想……」
「言い方は色々ありますが、とにかく軽い」
「貴女の剣には、押し通すものがない」
「だから、斬れるものも斬れないのです」
「……そんな剣では、いつまでたっても彼を追い越せませんよ」
「ついてきてください」
背を向けて歩きだすノワキ。
――二人は岩山を登っていく。
標高が上がるにつれ、呼吸が浅くなるサツキ。
そんなサツキに、普段通り話しかけるノワキ
「あなたの必殺技を以前見せてもらいましたが」
「――あれは必殺ではありません」
「必ず殺すと言うから必殺なのです」
「意志の弱い剣では何も押し通せません」
「……だから“芸術”と言われるのですよ」
ノワキの話を聞きながら、呼吸を整えているサツキ。
「苦しいですか?」
「……こんな環境で修行するの?」
「えぇ……空気が薄いからこそ、呼吸を知れるのです」
「それに」
「あなたの高速の連撃を進化させるのにもちょうどいいですから」
「あの高速の剣が長く続けられれば、一つの武器にもなります」
「今は速いだけです」
「長く、意味を持って続けられて初めて武器になる」
「その一撃一撃を、意味がある剣にさせるための呼吸です」
「相手の呼吸を見れば先へ立てますから」
「呼吸って……未来ってこと?」
ノワキは少しだけ微笑む。
「いいですね」
「よく理解できています」
「ただし、正確には未来ではありません」
「――未来へ至る流れです」
「呼吸には流れがあります」
「それを知れれば、あなたの剣はより脅威になるのです」
「そして、その時に必要になるのが想いなのです」
サツキは目を細めた。
「あの時も……?」
キショウ。
自分が踏み込んだ瞬間、剣は折られた。
「……あの人も」
「私を見てなかった……」
ノワキは頷く。
「見ていたのでしょう」
「ですが、あなた自身ではありません」
「――あなたの呼吸です」
静かな沈黙。
ノワキは腰に携えていた二本の剣を抜き、サツキへ放る。
三十日ぶりに、両手へ剣の重みが戻った。
「来なさい」
「ここから先は私と斬り合う日々です」
サツキが戸惑った顔でノワキを見る。
「……この環境でですか」
「安心しなさい」
「……まだ頂上ではありませんから」
笑顔のノワキとは対照的に苦笑いを浮かべるサツキ。
「どうしました?」
「常識にとらわれるのですか?」
「強くなりたいのでしょ」
「誰よりも」
サツキの目が鋭くなる。
(誰よりも……)
(そうね……隣に立つだけでは足りない)
(ナナセを守るなら――追い越すくらいでなければ)
ナナセの背中を思い浮かべる。
「えぇ……強くなりたいわ」
「……いい顔になってきましたね」
「あと七十日です」
「狩る者としての呼吸、剣士としての呼吸」
「――呼吸についてもっと知りなさい」
「殺意、矜持、願い、思想」
「――その剣に乗せる想いを見つめ直しなさい」
「さすれば……あなたの剣は必殺の剣になります」
「剣士として、もっと強くなれますよ」
目を閉じるサツキ。
いつしか、空気の薄さすら意識から消えていた。
目を開き、双剣を構えるサツキ。
世界の流れが、昨日より鮮明に見えていた――
【第七十四話へ続く】




