【第七十話】風を聞く
〈キオウ島・竹林〉
――竹林へ差し込む朝日。
風が吹くたび、青い竹が静かに揺れていた。
サツキはノワキの後ろを歩いている。
ここ数日の間、腰に剣はない。
妙に落ち着けず、まだ違和感が残っていた。
やがて。
いつもと同じ、開けた場所に辿り着く。
ノワキが足を止めて振り返る。
「今日は趣旨を変えてみましょうか」
「……今日は追いかけないの?」
「反復も大事ですが、たまには座学を加えないと意味がありません」
「思考を更新しながら継続するから意味があるのです」
ノワキは一本の竹へ視線を向ける。
「初日に私の庭先の竹を斬りましたね」
「はい」
「今日は見るだけです」
「何を見ればいいですか?」
「全部です」
意味が分からず、眉間に皺を寄せるサツキ。
「空も」
「風も」
「竹も」
「虫も」
「鳥も」
「全てです」
サツキは辺りを見渡した。
風が吹く。
竹が揺れる。
鳥が鳴く。
それだけだった。
「何か気になることはありますか?」
「……特には」
「そうでしょうね」
ノワキは目を閉じた。
「では、目を閉じてください」
言われるまま目を閉じる。
耳へ意識を向ける。
「……聞こえますか?」
「……はい」
「何が聞こえますか?」
「鳥のさえずり」
「風のさざめき」
「葉の擦れる音」
「川のせせらぎ」
ノワキは首を振った。
「違います」
「それは本質ではありません」
「――自然の産声です」
サツキは目を開く。
「は?」
「全てに命があり、全てに意思があるのです」
「その命の流れを、私は”呼吸”と呼んでいます」
静かな声だった。
「あなたは全部を細かく見ています」
「だから迷います」
「だから遅れます」
サツキは竹林を見る。
さっきと同じ景色。
なのに――少しだけ違って見えた。
「では」
ノワキは一本の竹を指差した。
「次は、この竹を見てください」
言われた通りに見つめる。
風が吹き、竹が揺れる。
また風が吹き、今度は少し大きく揺れた。
「何が見えましたか?」
「揺れました」
「どうして?」
「風が吹いたから」
「違います」
竹を見つめているノワキ。
「竹は自分で動いていません」
「風に従っています」
「共生しているのです」
ノワキは一枚の落ち葉を拾う。
手を離すと落ち葉は風へ流された。
「逆らいません」
「自然に身を委ねているのです」
「では」
ノワキが竹へ触れる。
「竹はいつ折れると思いますか?」
サツキは考える。
「強い力を受けたから?」
「それだけではありません」
「限界を迎えれば、自然と折れます」
「抗わず、最後まで在り続ける」
「……自然とはそういうものです」
風が吹き、竹が鳴る。
「じゃあ、なぜ竹は斬られるのですか」
「斬られるという運命を受け入れたとでも言いたいのですか?」
サツキの問いにノワキは静かに首を振る。
「違います」
「竹は最後まで生きています」
「ただ――」
「斬る者が、その呼吸を見つけただけです」
「あなたにも聞こえているのですよ」
「理解ができていないだけで」
サツキは静かに耳を澄ませた。
「……」
何か……聞こえそうだった。
だが。
まだ届かない。
「……自然に身をゆだねる」
「剣士は自然の従者って言いたいの?」
サツキの問いに微笑みながら答えるノワキ。
「……よく気づきましたね」
「答えは“いいえ”です」
「――“剣士”は逆らいます」
「風に逆らい」
「命に逆らい」
「死に逆らう」
「それでも剣を振るう」
「己の信念を」
「野望を守るために」
「――それが“剣士”です」
「知らぬ者は、逆らうことすらできません」
「命のやり取りとは、抗う者同士の交錯なのです」
「だからこそ、美しい」
ノワキは歩き出す。
「今日の座学は終わりです」
「え?」
思わず声が漏れる。
「これだけ?」
ノワキは振り返らない。
「今日は十分です」
「残り時間は実践にあててください」
「――そういえば」
何かを思い出し、サツキと向き合う。
「キショウに負けたのでしたね」
その名前に身構えるサツキ。
「あの人と対峙したことはありませんが……」
「剣を見たことがあります」
「あの剣は、呼吸を見ていたのでしょう」
「あなたの剣も斬られるべくして斬られた」
「――あなたが、自分の剣の呼吸を見誤ったから」
「だから、剣を失ったのです」
鋭い目でサツキを見つめるノワキ。
「……やることはたくさんありますよ」
「剣を振るより先に、世界を見てください」
「世界を知らない剣は――何も斬れません」
竹林を抜ける風。
サツキはもう一度だけ目を閉じた。
さっきと同じ風。
同じ音。
それでも。
ほんの少しだけ、今までとは違って聞こえた気がした。
(……呼吸を知る)
変わり始めたのは、サツキ自身だった――
【第七十一話へ続く】




