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【第六十話】鬼神のもてなし

〈鬼神邸〉


男がゆっくりと近づいてくる。


だが、不思議と威圧感はない。


「父上……」


頬を赤くするカエデ。


ヒナノが肩を震わせる。


吹き出しそうだった。


「……笑うな」


「ご、ごめん」


カエデに注意されるが、全然反省していなかった。


一方、ナナセは首を傾げる。


「ただの挨拶のつもりだよ?」


「――わかっているくせに」


「それが一番、質が悪いわよ」


ナナセを睨みながらサツキが即答した。


「……結局、敵が増えた」


オボロもため息を隠さない。


鬼神ヤナギは小さく笑った。


「立ち話もなんだ」


「客人として迎えよう」


――鬼神邸の中は静かだった。


木の香り。


磨き上げられた廊下。


障子。


掛け軸。


中庭。


全てが整っている。


ヒナノがきょろきょろと辺りを見回した。


「すごい……」


「旅館みたい」


一方、ナナセは落ち着かない様子だった。


「うへぇ……」


「なんか踏んじゃいけない場所が多そう」


「失礼ね」


カエデが呆れる。


その横で。


オボロだけが平然としていた。


「神官教育で学びましたので」


「へぇ……万能だね」


「ナナセ様が雑すぎるだけです」


「辺境伯の息子なら多少は勉強されていますよね?」


「――あの親父だよ?」


目を伏せるオボロ――返す言葉がなかった。


――通された部屋で、ヤナギは静かに湯を沸かしていた。


「使用人はいないの?」


ナナセが尋ねる。


「いる」


「だが客人は自分でもてなす」


「茶道と言ってな……私の趣味の一つだ」


そう言いながら茶筅を動かす。


慣れた手つきだった。


やがて。


人数分の茶碗が並ぶ。


鮮やかな緑色。


ヒナノが興味津々で口を付けた。


そして――固まった。


「にがっ!?」


全員が振り向く。


「薬じゃん!」


「くくくっ」


「なかなかいい反応をする」


ヤナギが笑いを隠さずにヒナノ以外の反応を待つ。


視線に耐え切れず、サツキも恐る恐る飲む。


「……苦い」


「でしょ!?」


「でも飲めなくはないわ」


ナナセも口を付ける。


数秒。


沈黙。


「僕は好きだけどな」


「……見込みがあるな」


ヤナギから感嘆の声が漏れる。


その隣で、オボロが静かに茶碗を置く。


「――大変美味しゅうございます」


ナナセたちが、怪訝な表情でオボロを見つめる。


「……何その言葉遣い」


オボロを見て、ヤナギが少しだけ目を細めた。


「ほう……分かるか」


「香りが良いです」


「あと、お椀の形もなかなか優雅で素晴らしいです」


「……そうか」


そう言って、頷きながら満足そうにしていた。


ヒナノは気にせずに、茶請けとして置かれていた菓子へ手を伸ばす。


「これ綺麗……」


小さな紅葉を模した和菓子だった。


「綺麗すぎて、食べていいのか迷うよ」


「食べていい?」


ヒナノが心配そうな顔でヤナギを見つめる。


「そのために置いてある」


一口。


その瞬間、ヒナノの顔が輝いた。


「おいしい!」


「ほんとだ」


サツキも驚いている。


上品な甘さだった。


ナナセも口に入れる。


「こっちのほうが好きだね」


「儂が入れた茶よりそっちがいいか」


ヤナギの視線が一瞬だけカエデへ向く。


「……やはり見込みがあるな」


意味が分からず首を傾げるナナセ。


ヤナギが何気なく言う。


「それはカエデが作った」


沈黙。


全員がカエデを見る。


「……何?」


「鬼姫様が?」


ナナセが素直に驚く。


「……何か問題でも」


「ちょっと意外だっただけ」


カエデはふいと顔を逸らした。


「……あと、鬼姫ではなく……名前で呼んでほしいのだが」


横顔を向けているが、耳が少し赤いのだけは分かる。


「あれ?」


「もしかしてカエデさん照れてる?」


ヒナノがニヤつきながらカエデを見ている。


その言葉を尻目に、ナナセにはサツキとオボロの視線が刺さる。


「……ヤナギ様」


「恐れ入りますが、もう一杯いただけますか」


「濃いのを」


ヤナギにお代わりを求めるサツキたち。


「……構わんが苦いぞ?」


「構いません」


「このバカには苦い思いが必要ですから」


「……僕が飲むの!?」


オボロが微笑む。


「三人分……ポラリスの分も入れて四人分味わってください」


「……」


圧に負けて何も言えなくなるナナセ。


――ナナセが女性陣からの制裁を受けた後、ヤナギが口を開いた。


「――創ることは尊い」


「剣も」


「椀も」


「菓子も」


「人……他者との関わりもその一つになるな」


静かな声だった。


だが重みがある。


「それがこの島の教え?」


ナナセが尋ねる。


ヤナギは首を振った。


「違う」


「受け売りだ」


「ジェネシスの?」


「あぁ」


部屋の空気が少し変わる。


ナナセが姿勢を正した。


「会わせて欲しいんだけど」


「断る」


即答だった。


「早いなぁ」


「――この島にはいる」


ヤナギは茶を口に含む。


「だが場所は教えん」


「会う必要があるなら向こうから来る」


「その時をただ待つだけだな」


それだけだった。


だが、妙な説得力があった。


「ジェネシスは追われていたから匿った」


「それ以上は本人から聞け」


ナナセは肩を竦める。


「うへぇ」


「相変わらず面倒な人だね」


「始原の精霊とはそういうモノだ」


ヤナギは少しだけ笑った。


不意に、ヤナギがナナセの左腕を見つめる。


「まだ完全ではないな」


「わかる?」


「見ればな」


ヤナギは茶碗を置いた。


「この島は不思議な土地でな……」


「中央の火山の周りでは様々な鉱石が取れる」


「そして、麓や川沿いには天然の温泉がいくつも沸いている」


「貴様はしばらく湯治に専念した方がいい」


ヒナノが反応する。


「温泉に入れるの?」


「入れる」


「やった!」


嬉しそうだった。


「強い鬼などいくらでもいる」


「望むなら相手もしてくれるだろう」


「貴女達には温泉で癒すことよりも必要なのだろ?」


サツキの目が少しだけ輝いた。


ヒナノも同じだった。


そのままオボロに視線を向けるヤナギ。


「貴女は神社でも見て回るといい」


「気に入るだろう」


オボロは静かに頷いた。


ナナセと向き合うヤナギ。


「長居もするのだろう?」


「宿舎はこちらで手配しておく」


「……それと」


「せっかく来たのだから、この島を堪能していけ」


「貴様は気に入ると思うぞ」


「……すでに気に入ってるけど?」


「こんなもんじゃない」


「――この島には工房も多い」


「ガラス」


「陶器」


「漆器」


「刀だけがこの島じゃない」


「様々な職人がいる」


ヒナノが食いついた。


「ガラス!?」


「見てみたい!」


「綺麗そう!」


カエデがため息を吐く。


「案内くらいはしてやる」


「ほんと!?」


「……父上の客人だからな」


そう言いながらも、少しだけ表情は柔らかかった。


――鬼神邸を出る。


夕日が石畳を照らしていた。


「思ったより普通の人だったね」


ヒナノが言う。


「怖い人かと思ってた」


サツキも頷いた。


ナナセは腕を組む。


「親父よりまともだった」


その瞬間。


背後から声が飛んできた。


「聞こえておるぞ」


ヤナギだった。


「お前の親父よりまともなんて、誉め言葉にならんわ」


「……うへぇ」


「知り合いだったの?」


「昔、少しだけな……」


一つ咳払いをするヤナギ。


「――明日から好きに島を回れ」


「退屈はさせん」


キオウ島での時間が、静かに始まろうとしていた――


【第六十一話へ続く】


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