【第五十話】根の先へ
〈???〉
――静寂だった。
音がない。
風もない。
ただ、淡い光だけが漂っていた。
無数の巨大な根の上で目覚めたナナセが、ゆっくりと目を開ける。
――空は満面の星で満ちていた。
足元の根の隙間には、星の川のような精霊流が流れていた。
「……うへぇ」
掠れた声が漏れる。
「死後の世界って、もっと地味だと思ってた」
「勝手に死ぬんじゃないわよ」
聞き慣れた声だった。
ナナセが顔を上げる。
白銀にも見える淡い藤色の髪に神官服を着たエルフの女性。
腕を組み、呆れたようにこちらを見下ろしていた。
「エトたん!会いたかったよ!」
「エトたん言うんじゃない!!」
エトがため息を吐く。
「……遅かったじゃない」
「まったく、何やってるのよ」
ナナセの体を眺めるエト。
「左腕なくなってるじゃない」
ナナセが視線を落とす。
左肩から先は、完全に消えていた。
痛みはまだある。
だが。
血は出ていない。
「いやぁ……」
「“器”から出したなら“器“に入れるのが一番安全かなって」
「それに、エトたんなら何とかできるかなって」
「ここに来るのはわかっていたからね」
その瞬間。
エトの額へ青筋が浮かぶ。
「――は?」
「何その理由」
「博打にも程があるでしょ」
ナナセが苦笑する。
「まぁ、生きてたし結果オーライ?」
「全然よくないわよ!」
「死んでいたかもしれないのよ!」
「そもそも、取り込めるかもわからないものを取り込んで!」
「それに、ポラリスがいないと失敗してたでしょ!」
「なのに、そのポラリスを置き去りにして!!」
エトが本気で睨む。
「……いやね」
「失敗したときにポラリスが向こうにいないと戻れないだろうし」
「……それを伝えずに別れたでしょ」
「阿吽の呼吸と信頼は別物なのよ」
師匠として、エトの説教が続く。
だが。
その目の奥に、安堵が滲んでいた。
「……まぁ、私が見ている間は死なさないわよ」
「ありがとうね、師匠」
「――そういうところが、エトたんの長所だよね」
「エトたん言うんじゃない!」
「もっと師匠を敬いなさい!」
――その時だった。
背後で、砂が崩れる音が響く。
ナナセが振り返る。
巨大な根へ寄りかかるように、グランリーが座っていた。
身体の一部が、まだ砂のまま崩れている。
「……生きていたか、小僧」
低い声。
「そのエルフは師匠だったのか」
「……師弟そろってバケモノだったとはな」
ナナセが目を細める。
「おじさんもね」
エトが、グランリーを見る。
「……なんでこの帝国軍人と馴れ馴れしくしているのよ」
冷えた声。
「こいつらは侵略してきた側なのよ?」
グランリーも目を細める。
「こちらこそ聞きたい」
「――ここはどこで、なぜ貴様がいる」
「貴様は前回の侵攻の時に、世界樹と味方の盾になっていただろう」
「神焉砲に巻き込まれていくのを見たぞ」
空気が張り詰める。
「――必要だから呼ばれたのよ」
「私もこのバカもあなたもね」
鋭い視線が交差する中、ナナセが慌てて間へ入った。
「まぁまぁまぁ、落ち着きなよ」
「落ち着いているわよ」
「俺もこんな場所で暴れる気はない」
二人とも視線を逸らさない。
ナナセが困ったように笑った。
「……仲悪いねぇ」
「当たり前でしょ」
「当然だ」
声が重なる。
ナナセが肩をすくめる。
その時だった。
根の奥で、淡い光が揺れた。
まるで。
こちらを見ているように。
グランリーの目が細くなる。
「……ここは世界樹の内部か」
「正確には、“根の流路”よ」
エトが答える。
「世界樹は、昔から世界中の精霊流を繋いでるわ」
「精霊たちの通り道が“根の流路”」
「神官の間では、おとぎ話みたいな扱いだけどね」
ナナセが星空を見上げる。
「じゃあ、“根は繋がってる”って本当だったんだ」
「……確信がないのに、それをオボロに伝えたの?」
エトが呆れたように眉をひそめる。
ナナセは笑った。
「伝わるかなって」
「間違っていたらどうするつもりだったのよ」
「その時はその時かなぁ」
エトが深くため息を吐く。
「……ほんと、昔から変わってないわね」
「オボロもかわいそうだわ」
グランリーが周囲を見渡す。
巨大な根。
星空。
流れる精霊流。
その目が、僅かに険しくなった。
「……妙だな」
「神焉砲の気配が残っている」
ナナセも目を細める。
確かに。
この空間の奥。
微かに、赤黒いノイズのようなものが揺れていた。
エトの表情も曇る。
「あれ、本当に何を使ったのよ……」
「前の神焉砲も異常だったけど、今回はもっと酷い」
「世界樹の流れにまで侵食が入り込んでる」
短い沈黙。
根の奥で、赤い光が脈打った。
――ドクン。
まるで。
まだ生きているように。
ナナセが小さく息を吐く。
「……休ませてくれなさそうだねぇ」
「当然でしょ」
エトが即答する。
「まずはその傷をどうにかするわよ」
そのまま、ナナセの頬をつねるエト。
「あと、説教終わってないから」
「……うへぇ」
グランリーが小さく鼻を鳴らした。
「説教で済むなら安いものだ」
「おじさん、他人事だと思ってない?」
「思っている」
「俺は弟子じゃないしな」
即答だった。
ナナセが苦笑する。
エトがナナセの頬から手を離す。
「あれが終わってからが本題なの」
「――私たちを呼んだ人に応えないとね」
〈世界樹外縁・北西結界域〉
静寂が落ちていた。
焼けた森。
崩れた地面。
だが。
世界樹は残っている。
オボロが、静かにナナセの左腕だった灰を見つめていた。
サツキも、折れた剣を握り締めている。
ヒナノは唇を噛んだまま、空を見上げていた。
誰も言葉を出せない。
その時だった。
「……みんなひどい顔」
少女の声。
全員が振り返る。
淡い光。
透き通るような純白の髪。
小さな精霊が、そこに立っていた。
サツキが目を見開く。
「……え」
ヒナノも息を呑む。
オボロだけが、静かに目を細めた。
「あなたが……ポラリス様ですか」
ポラリスが頬を膨らませる。
「“様”いらない」
「あと、あのバカは生きてる」
その言葉に。
全員の目が揺れた。
「……本当に?」
サツキの声が震える。
ポラリスは小さく頷いた。
「だから迎えに行く」
「――言いたいことがたくさんある」
オボロの目が、静かに細まる。
「――“根”は繋がっている、ですか」
七年前の特務。
とある島。
ナナセが残した言葉。
全部が繋がる。
オボロが静かに立ち上がりサツキとヒナノを見つめる。
「……行きましょうか」
サツキが折れた剣を握りながらオボロに声をかける。
「……手段があるの?」
「――縋る希望はあります」
「生きているんですよね」
ポラリスを見つめるオボロ。
「……死んでない」
声が少し震えている。
「……そうですか」
鼻をすすりながらポラリスが呟く。
「――迎えに行くよ」
「あのバカを」
世界樹の根が、海の彼方へ伸びていた。
それは誰かを迎えに行く道のようだった――
――第三章 完。




