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【第四十二話】世界樹

〈星詠王国コンステラ・世界樹最深部〉


――翌朝。


ナナセたちは、ブレルとロゼに案内され、世界樹の最深部へ

向かっていた。


外縁とは、空気が違った。


森の奥へ進むほど、音が遠くなる。


鳥の声も。


風の音も。


足音すら、少し遅れて響く。


まるで。


時間そのものが、ゆっくり流れているようだった。


「……変な場所ね」


「敵がいるわけじゃないのに、落ち着かない」


ヒナノも頷いた。


「空気が水の中みたい」


「息はできるのに、身体が少し重い感じ」


ロゼが振り返る。


「世界樹の根域です」


「ここでは、森の魔力と精霊の流れが重なっています」


「普通の人間なら、歩くことも難しいはずですが……」


ロゼの視線が、サツキとヒナノへ向いた。


二人は怪訝そうに首を傾げる。


「私たち?」


「何か変?」


「いえ……」


ロゼは少しだけ言葉を濁した。


「想像より、平気そうだと思いまして」


ブレルが低く呟く。


「森が拒絶していない」


その言葉に、サツキとヒナノが眉をひそめる。


ナナセは前を見たまま、軽く肩をすくめた。


「いいことじゃない?」


「人間が拒絶されないことを、素直に喜べる状況ではない」


ブレルは淡々と返す。


「森が弱っているから、拒絶する力が落ちている可能性もある」


「相変わらず慎重だねぇ」


「それが森宰の仕事だ」


そんなやり取りの先。


視界が開けた。


そこに――世界樹があった。


あまりに巨大な幹。


幹というより、白銀色の壁。


上を見上げても、先端は見えない。


枝は空へ溶けるように広がり、葉の一枚一枚が星のように淡く

瞬いている。


根は地面を這うだけではない。


一部は空間へ溶け込み、見えない場所へ伸びているようだった。


ヒナノが言葉を失う。


「……大きい」


サツキも息を呑んだ。


「木、なのよね……?」


「木であり、森そのものでもあります」


ロゼが静かに答える。


「そして、コンステラの精霊循環の中心です」


小精霊たちが世界樹の周囲を漂っている。


だが。


昨日の祭儀で見た精霊たちとは違い、どこか怯えていた。


光は弱く。


動きは鈍い。


世界樹の一部には、黒い筋が走っている。


樹皮の隙間から、黒ずんだ樹液がわずかに滲んでいた。


ナナセはそれを見つめる。


「……外から見たより酷いねぇ」


ブレルの表情が険しくなる。


「昨日の結界修復で、外縁は多少安定した」


「だが、根域そのものは別だ」


ロゼが拳を握り締める。


「本来、この場所はもっと澄んでいました」


「精霊たちも、自由に飛び回っていたんです」


「今は……」


言葉が続かない。


ナナセは世界樹へ歩み寄った。


その瞬間。


――ざわり。


森が揺れた。


風は吹いていない。


だが。


世界樹の葉が、一斉に震えた。


サツキが剣へ手を伸ばす。


「ナナセ?」


「大丈夫」


ナナセは静かに答える。


そして、白銀色の樹皮へ手を触れた。


瞬間。


空気が変わった。


音が消える。


視界が白く揺れる。


ナナセの足元に、淡い光が広がった。


『……この子のおかげなんだ』


ポラリスが小さく呟いた。


その声は、悲しげだった。


ナナセは眉をひそめる。


「何のこと?」


『あの泉に、私を逃がしてくれたの』


「……泉?」


サツキとヒナノが顔を上げる。


オボロも静かに目を細めた。


ポラリスの声が続く。


『ナナセと出会った場所』


ナナセの脳裏に、遠い記憶が過る。


少年だった頃。


森の奥。


誰にも知られていない泉。


水面に落ちた、小さな光。


そして。


名前を与えた精霊。


「ポラリスと出会えたきっかけは、世界樹だったんだね」


ナナセが小さく呟いた。


『うん』


『ナナセに託したんだよ』


その言葉に、空気が静まる。


ナナセはしばらく黙っていた。


やがて、困ったように笑う。


「……うへぇ」


「世界樹スケールで押し付けられても困るんだけどねぇ」


だが。


その声はいつもより少しだけ柔らかかった。


ブレルは目を見開いていた。


ロゼも言葉を失っている。


「世界樹が……託した?」


「そんな記録、聞いたことがありません」


ブレルの声も僅かに揺れていた。


「誰も知らないんじゃないかな」


「これは、世界樹とポラリスの話だと思う」


その瞬間。


世界樹の奥から、淡い光が流れた。


ナナセの手元へ。


そして。


さらに奥から、別の魔力が微かに触れる。


ナナセの表情が変わる。


「……エト?」


ロゼが息を呑んだ。


「え……?」


「エトさんの、魔力ですか?」


ナナセは目を閉じる。


世界樹の流れを辿る。


深く。


さらに深く。


そこに、微かな気配があった。


懐かしい魔力。


静かで、澄んでいて。


けれど、外へ出ようとはしていない。


「……いる」


ロゼが口元を押さえた。


ヒナノも息を呑む。


サツキが一歩前に出る。


「生きてるの?」


ナナセはすぐには答えなかった。


世界樹から伝わる感覚を、慎重に読み取る。


やがて。


ゆっくり口を開いた。


「少なくとも、完全に消えてはいない」


「でも、閉じ込められてるって感じじゃないね」


「これは――」


ナナセの目が細くなる。


「守られてる」


ロゼの目から、涙が零れた。


「守られて……」


ブレルも言葉を失っていた。


エトは消えた。


そう思われていた。


遺体も。


魔力痕跡も。


契約精霊すら。


何も残さず消えたと。


だが。


世界樹の内側に、確かに気配がある。


それは救いだった。


同時に。


世界樹が、何かを抱え込んでいる証でもあった。


ナナセはさらに奥へ意識を伸ばそうとする。


だが。


――ギィン。


不可視の壁に弾かれた。


ナナセの手が樹皮から離れる。


「っ……」


オボロが即座に支える。


「ナナセ様」


「大丈夫」


ナナセは額を押さえながら苦笑する。


「奥には行かせてくれないみたいだねぇ」


ブレルが顔を険しくする。


「世界樹が拒んだのか?」


「拒絶じゃない」


ナナセは世界樹を見上げた。


「まだ早いって感じかな」


『……今は、見せられないんだと思う』


ポラリスが静かに言った。


その声には、珍しく軽さがなかった。


サツキがナナセを見る。


「つまり、エトは生きてる可能性がある」


「でも、助け出せない」


「今はね」


ナナセは頷く。


「世界樹が守ってるなら、無理に引き剥がすのは危ない」


「エトにも、世界樹にもね」


ヒナノが唇を噛む。


「じゃあ、どうすればいいの?」


「まずは原因を探る」


ナナセの視線が、黒く染まった樹皮へ向く。


「世界樹がエトを抱え込んでる理由」


「黒い侵食」


「神焉砲の残滓」


「全部繋がってるはずだよ」


――その時だった。


遠くから足音が響く。


ロゼが振り返る。


森の奥から、神官が一人駆け込んできた。


息を切らし、顔色を変えている。


「ブレル様、ロゼ様!」


「外縁結界に反応!」


「帝国軍です!」


空気が変わった。


ブレルの表情が鋭くなる。


「規模は」


「主力部隊かと!」


「帝国兵と、複数の異形兵を確認!」


「エルフ領内へ侵入を開始しています!」


サツキが双剣へ手を伸ばす。


ヒナノも大剣を背負い直した。


ナナセは世界樹から手を離し、ゆっくり振り返る。


「……来たね」


ポラリスが小さく呟く。


『世界樹が、嫌がってる』


世界樹の葉が震えた。


遠くの空に、黒い煙が上がる。


森の風が、急に冷たくなった。


ナナセの目から、いつもの軽さが消える。


「行こうか」


「まずは、森を守らないとね――」


【第四十三話へ続く】


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