【第四十一話】星詠みの断片
〈星詠王国コンステラ・女王私室〉
――夜。
白い枝葉に包まれた静かな部屋。
祭儀の歌や楽器の音色が外から聞こえてくる。
釣られて窓の外に目を向けるナナセだったが、目線は別のものを
見ている。
窓の外、巨大な世界樹の影が見えていた。
だが、その枝先の一部は、今もなお黒く染まり続けている。
部屋の主、ラクテアが煙を吐く。
甘い霊香の香りが漂ったあと、静かに煙管を置く。
「……改めて、礼を言います」
「結界が安定しました」
「森の精霊たちも、少しだけ落ち着きを取り戻しています」
ナナセは椅子へ深く座りながら苦笑した。
「完全修復じゃないけどね」
「応急処置だよ」
「それでも十分です」
「全てをあなたにお願いするわけにもいきませんので」
ラクテアは静かに微笑む。
ラクテアのそばに控えているブレルがうなずいている。
窓の外で、風が枝葉を揺らす。
やがて。
ラクテアは静かに口を開いた。
「シドーで見つかった秘宝ですが――」
空気が少しだけ変わる。
ナナセの目が細くなる。
「やっぱり、コンステラ由来なんだね」
ラクテアは頷いた。
「あれは、大精霊より女王へ託される秘宝」
「本来、世界樹と共に在るべきものです」
オボロが静かに視線を向ける。
「“失われたもの”ですか」
「はい」
ラクテアはゆっくりと目を伏せた。
「数百年前、ある事件によって失われました」
「それ以来、コンステラは不完全になった」
「私と、大精霊との繋がりもまた」
ナナセは黙って聞いている。
ラクテアは続けた。
「世界樹そのものが弱ったわけではありません」
「ですが、私自身が衰弱したことで不安定になりました」
「その結果、結界も星詠みも不完全になっていったのです」
細い指先が、煙管へ触れる。
その手は、わずかに震えていた。
「本来なら、私はもっと先まで視えていたのでしょう」
「帝国の侵攻も」
「エトの未来も」
「……止められたかもしれない」
静かな声だった。
だが。
その奥には、深い悔恨が滲んでいた。
ナナセはゆっくり息を吐く。
「全部背負いすぎだよ」
「未来視なんて、全部見えて当然みたいに言われるだろうけど」
「未来なんて、分岐だらけなんだから」
ラクテアが小さく笑った。
「……相変わらずですね」
「未来を視られない貴方に言われると、不思議と救われます」
オボロが静かに目を細める。
「やはり、ナナセ様だけは、今も視えないのですね」
「えぇ」
ラクテアはナナセを見つめた。
「貴方だけは、昔から星詠みに映らない」
「まるで、“世界の外側”に立っているように」
ナナセは肩をすくめる。
「僕の精霊がわがままだからねぇ」
『私は面白いけどね』
幼い声。
姿を見せないまま、ポラリスが笑う。
ラクテアは、その気配へ静かに目を伏せた。
沈黙を破るようにブレルが言葉を発する。
「“レーヌ”」
「世界樹最深部への立ち入り許可、本当に出されるおつもりですか」
森宰である彼の表情は硬い。
だが、以前ほどの刺々しさはなかった。
「えぇ」
ラクテアは迷わず答える。
ブレルの視線がナナセへ向く。
「……貴様は以前も、世界樹へ関与している」
「しかも、人間でありながら」
ナナセは苦笑した。
「賛否あるのは分かってるよ」
「実際、かなり危ない橋だったしね」
「危ない、で済む話ではない」
ブレルの声が低くなる。
「一歩間違えば、世界樹の流れそのものが壊れていた」
「だからこそ、今もなお、貴様を危険視する者は多い」
「でも、エルフだけじゃ対応できなかったでしょ?」
「だから、僕を呼んだ」
「長期任務だと思わなかったから、いろんな人に恨まれたんだよ?」
短い沈黙。
だが。
ラクテアが静かに口を開いた。
「その通りです」
「彼がいなければコンステラはもっと早くに崩れていました」
「そして今も――森は、彼を拒絶していない」
ブレルは黙る。
その言葉を否定できなかった。
やがて。
ラクテアは窓の外へ視線を向けた。
巨大な世界樹。
その黒く染まり始めた枝。
「明日、最深部へ案内します」
空気が静まる。
「そこで、“今の世界樹”を見てください」
「貴方なら、何か分かるかもしれない」
ナナセはゆっくり立ち上がった。
「承知しました」
「まぁ、無理だったらその時はその時かな」
「……軽いですね」
ブレルが呆れたように呟く。
ナナセは笑う。
「重く考えすぎると、森に嫌われるよ?」
その瞬間。
窓の外から、静かな風が吹き込んだ。
ラクテアが目を細める。
まるで。
世界樹そのものが、ナナセの言葉へ反応したように。
〈エルフの森外縁部〉
――帝国軍・エルフ侵攻軍本営
巨大な天幕。
机の上には、森の地図が広げられていた。
外では、魔導兵器の駆動音が響いている。
その中心。
一人の男が椅子へ腰掛けていた。
帝国軍将軍でエルフの森侵攻軍総司令――グランリー。
左肩には、深い火傷痕が目立つ。
エトとの戦闘で負った傷だった。
副官のエフレモが地図を指差す。
「世界樹外縁結界、再び安定化を確認」
「侵攻速度が想定より鈍ります」
グランリーの目が細くなる。
「……早いな」
「エルフ側だけではない」
エフレモが頷いた。
「人間の使者が到着したとの報告もあります」
「詳細不明ですが、結界修復に関与している可能性が高いかと」
グランリーは静かに息を吐く。
「想定より面倒だな」
「ですが問題ありません」
エフレモが口角を上げる。
「――改造兵の投入準備は完了しています」
「神焉砲も、次段階調整へ移行可能です」
その言葉に、空気が僅かに冷える。
部屋の隅。
壁へ寄りかかる男がいた。
一本の長太刀。
無駄のない姿勢。
帝国軍元帥付き武官。
剣帝――キショウ。
彼は目を閉じたまま呟く。
「好きにしろ」
「俺は、“剣士”が出たら呼べ」
エフレモが小さく顔をしかめる。
「また戦闘に参加されないんですか?」
「改造兵も立派な戦力なんですけどね……」
「“武人”でも“軍人”でもない」
即答だった。
キショウはゆっくり目を開く。
その瞳には、何の熱もない。
「精霊を喰わせた獣に興味はない」
沈黙。
エフレモは不快そうに眉をひそめる。
だが。
キショウは視線すら向けない。
「少なくとも、将軍は理解している」
「……森を焼けば、精霊流が崩壊する」
エフレモの表情が僅かに歪む。
「随分と、エルフ寄りな発言ですね」
その瞬間。
グランリーの目が細くなった。
「精霊を理解せずに森へ入る方が愚かだ」
低い声。
だが。
そこには明確な苛立ちが滲んでいた。
グランリーの視線が、地図中央へ向く。
「エフレモ」
「わかっているとは思うが、我々の目的はコンステラ制圧ではない」
「世界樹の実だ」
「余計な破壊は避けろ」
エフレモを睨みつけて言葉を続けるグランリー。
「世界樹はただの樹ではない」
「精霊流の核だ」
「傷つけば、大地そのものが死ぬ」
天幕の空気が静まり返る。
エフレモは一瞬だけ沈黙し、やがて恭しく頭を下げた。
「……承知しております、閣下」
だが。
その目だけは笑っていなかった。
キショウはそんなエフレモを一瞥する。
「くだらん欲で森へ入れば、いずれ飲まれるぞ」
「……ご忠告どうも」
エフレモは薄く笑った。
だが。
キショウはもう興味を失っていた。
再び目を閉じる。
「俺は剣だけ見れればいい」
「後は好きにやれ」
――エルフの森に続く街道
夜空の下を、一台の馬車が進んでいた。
黒布で覆われた荷台。
その奥で。
何かが、脈打っている。
まるで、生き物のように。
女が静かに眉をひそめた。
「……気持ち悪」
「こんなの使うなんて、正気とは思えませんが」
帝国諜報部所属の女――パシャが小さく肩をすくめる。
「まぁ、仕事は仕事ですし」
だが。
その目には、僅かな嫌悪が浮かんでいた。
黒布の内側から、微かな鼓動音が響く。
ドクン。
……ドクン。
まるで。
“何か”が生きているように。
パシャは、その音から目を逸らすように夜空を見上げた。
「……ほんと、ろくでもないですねぇ」
馬車はそのまま、森へ向かって進んでいく――
【第四十二話へ続く】




