【第三十八話】星詠王国コンステラ
〈星詠王国コンステラ・森門〉
ロゼの言葉に、空気が凍った。
「エトが……いなくなった?」
ナナセの声から、いつもの軽さが消えていた。
ロゼは唇を噛む。
「一次侵攻の際です」
「帝国軍が、森の外縁を攻めてきました」
「エトさんは敵将を退けました」
「ですが――」
ロゼの手が震える。
「敵将は、時間稼ぎだったんです」
「見たことない大きさの大砲が……」
「……王国を……森を守るために、一人で魔弾の正面に」
ナナセの目が細くなる。
「……神焉砲か」
ロゼが息を呑んだ。
「知っているんですか?」
「シドーで見た」
「都市一つ吹き飛ばす類の兵器だね」
周囲のエルフたちがざわめく。
ロゼは悔しそうに俯いた。
「遺体も、魔力痕跡も、何も残さずに」
「消えたんです」
「私たちをかばって……」
涙が地面にこぼれる。
サツキとヒナノの表情も険しくなる。
オボロは無言だった。
ただ、その指先が僅かに強張っている。
ナナセは静かに息を吐いた。
「まずは女王陛下にフリニア王国からの親書を届けてもらえる?」
「戦場には、またあとで案内して」
「ほんとに痕跡がないのか確かめたいし」
ロゼが一瞬、迷う。
だが、すぐに頷いた。
「いえ、親書は直接お渡しください」
「こんなタイミングなのに、急にきた僕らに会ってもらえるの?」
「いいえ、急ではありません」
「ナナセと面識のある私が、ここにいるのがその証拠ですよ」
「――女王陛下いえ“レーヌ”がお待ちです」
――森の奥へ進む。
そこは、人間の国とはまるで違う場所だった。
木々は高く、空を覆うほどに枝を広げている。
花は少ない。
だが、葉の一枚一枚が微かな光を宿していた。
家々は木を切り倒して建てられたものではない。
幹と枝の隙間に沿うように作られ、森そのものと共に生きている。
ヒナノが小さく声を漏らす。
「……すごい」
「街っていうより、森の中に暮らしてるみたい」
サツキも周囲を見渡す。
「人の気配はあるのに、騒がしくないわね」
「音が吸われてるみたい」
ロゼが淡々と答える。
「コンステラでは、森を傷つける建築は禁じられています」
「生活も、儀式も、精霊との調和を前提に成り立っています」
そう言いながらも、ロゼの目は何度もナナセへ向いた。
警戒。
困惑。
そして、かすかな苛立ち。
「……本当に、今さらです」
小さく零れた声。
ナナセは振り返らなかった。
「うん」
「そうだね」
あまりに素直な返答に、ロゼは怒ることすらできなかった。
やがて、一行は森の奥の白い宮へ辿り着いた。
石造りではない。
白い樹皮を持つ巨木が、幾重にも絡み合い、宮殿の形を作っていた。
その中心。
広い謁見室。
天井は高く、枝葉の隙間から淡い光が降っている。
部屋の奥には、薄い帳。
その向こうに、一人の女性が座っていた。
長い銀白の髪。
透き通るような肌。
病的なほど細い身体。
それでも。
その存在感だけで、空間が静まり返る。
星詠王国コンステラ女王、“レーヌ”・ラクテア。
“レーヌ”
――星詠王国において、大精霊と契約した女性へ与えられる称号。
彼女は細い煙管を指先に持っていた。
白い煙が、静かに揺れている。
煙草ではない。
甘く、清らかな香り。
ラクテアはゆっくりと目を開く。
「また会えると思っていましたよ」
「ナナセ」
名を呼ばれた瞬間。
サツキとヒナノが僅かに反応する。
ロゼが膝をついた。
周囲のエルフたちも一斉に頭を下げる。
ナナセだけは、少し困ったように笑った。
「うへぇ……」
「お久しぶりです、女王陛下」
「いえ、“レーヌ”でしたね」
ブレルと呼ばれる男が女王の傍らに立っていた。
細身に鋭い目。
この国の政を預かる宰相だった。
「……人間を謁見室へ通すこと自体異例です」
「しかも、このタイミングで」
その声には隠しきれない警戒があった。
ナナセは肩をすくめる。
「正式な使者として来てるんだけどねぇ」
「シドーで確認された秘宝について、エルフ側の見解を聞きたい」
ブレルの目が細くなる。
「秘宝……」
ラクテアの煙管から、細い煙が立ち上る。
その煙に触れた小さな精霊が、静かに落ち着きを取り戻した。
「――その話は、後ほど」
ラクテアは静かに言った。
「今は、森のことを先に話しましょう」
ナナセの表情が変わる。
「世界樹ですね」
謁見室に緊張が走る。
ブレルが目を鋭くした。
「なぜそれを」
「森が変だから」
ナナセは淡々と答える。
「精霊の流れが乱れてる」
「道も、空気も、妙に薄い」
「それに――」
ナナセは一度だけロゼを見る。
「エトが消えた」
沈黙――ラクテアは小さく咳き込んだ。
ロゼが慌てて近づこうとする。
だが、片手で制する。
「平気です」
「……医官の言うことは聞いて頂きたいのですが」
ロゼが小さく返す。
ラクテアは微かに笑った。
「ロゼ、客人の前ですよ」
「失礼しました」
ロゼが唇を噛む。
女王は煙管を置いた。
「一次侵攻は、退けました」
「ですが、代償は大きかった」
「森の外縁結界は傷つき、精霊の流れも乱れています」
「そして、世界樹もまた――」
そこで言葉が止まる。
ラクテアは窓の外へ視線を向けた。
遠く、森の奥。
巨大な樹影が見える。
――世界樹。
その存在は、遠目にも圧倒的だった。
だが。
その葉の一部が、黒く変色していた。
ヒナノが息を呑む。
「……あれ」
サツキも目を細める。
「枯れてる?」
「まだ、枯れてはいません」
ラクテアの声は静かだった。
「ですが、弱っています」
「私の星詠みも、以前ほど正確ではなくなりました」
ブレルが低く続ける。
「帝国の再侵攻が近い可能性があります」
「それに、時期も規模も読めない」
「“レーヌ”の未来視は、断片しか捉えられなくなっている」
ナナセはラクテアを見た。
「……ここ最近の話ではありませんよね?」
「以前お会いした時はわかりませんでしたが、今なら推察できますよ」
ブレルの視線が鋭くなる。
だが、ラクテアは驚かなかった。
ただ静かに頷く。
「そうです」
「コンステラは、かつて大切なものを失いました」
「それ以来、女王としての力は完全ではありません」
「今までは何とかやれていたのですが、力を使いすぎました」
細い指先が、僅かに震えている。
サツキが眉をひそめる。
「大切なもの……」
「シドーで見つけた秘宝と関係があるのね」
ラクテアは答えなかった。
ただ、煙管へ再び火を灯す。
甘い煙が、謁見室へ広がる。
「……今、すべてを語るには早すぎます」
「ですが、あなた方が来た意味はあります」
ラクテアはゆっくりと視線を移した。
サツキへ。
ヒナノへ。
その瞳は、星の光を宿しているようだった。
「貴女たちは――」
「どうか、彼から目を離さないで」
空気が止まる。
サツキが眉をひそめる。
「……どういう意味?」
だが。
女王は答えない。
ただ静かに、ナナセを見ていた。
「やはり、私ではあなたの未来に踏み入ることはできませんね」
その横で。
ナナセだけが、小さく首を傾げる。
『……未来なんて星の数だけあるのにね』
ポラリスの小さな声。
ラクテアは、静かに目を伏せた。
まるで。
そこにいる“存在”へ、崇敬を示すように。
【第三十九話へ続く】




