【第三十七話】星詠の森
〈???〉
乾いた木剣の音が響く。
――ガンッ!!
「僕の勝ち♪」
軽い声。
息一つ乱れていないナナセが、木剣を肩へ担いだまま笑っていた。
対するサツキは、地面へ膝をついている。
肩で息をしていた。
悔しい。
けれど。
追いつけない。
「……なんで、そんな余裕なのよ」
「余裕ないよ?」
「サツキ強いし」
「嘘」
即答だった。
ナナセは苦笑する。
「剣だけなら、僕よりサツキの方が上だよ」
「サツキにもヒナノにも勝てないね」
まだ騎士学校時代。
夕暮れの訓練場。
誰もいなくなった時間。
サツキとヒナノだけが、ずっとナナセへ挑み続けていた。
だが。
勝てない。
遠かった。
「……ねぇ」
サツキが木剣を握り締めたまま呟く。
「私、アンタの隣に立ててる?」
風が止まる。
ナナセは少しだけ目を細めた。
「急にどうしたの?」
「答えて」
真っ直ぐな声だった。
逃げない声。
サツキは分かっていた。
ナナセが遠くへ行く人間だと。
だからこそ。
隣へ立ちたかった。
だが。
ナナセは困ったように笑った。
「立ててるよ」
「……慰めはいらない」
「いや、本当に」
「でも」
サツキが俯く。
「私は、まだ弱い」
「アンタの隣にいるには――」
その瞬間。
額へ、軽い衝撃。
「痛っ!?」
ナナセが木剣で軽く頭を叩いていた。
「考えすぎ」
「強くなりたいなら、強くなればいいだけでしょ?」
「僕の隣とか、関係ないでしょ?」
「……ムカつく」
「うへへ」
ナナセが笑う。
その笑顔が、悔しいほど好きだった。
だからこそ。
サツキは、一度離れることを選んだ。
追いつくために。
隣へ立つために。
――そして。
季節が巡る。
騎士学校卒業式前日。
剣を極める者にとって、憧れであり始まりでもある上位称号。
『剣聖』
その名がサツキへ贈られた。
サツキはナナセの部屋を訪れる。
だが。
そこには、同室のリグルしかいない。
「……ナナセ?」
リグルが小さく息を吐く。
「……知らなかったのか?」
「ナナセは、特務で出発した」
「今朝呼び出しがあって、しばらく戻らないだろうな」
世界が静まった気がした。
サツキの手から、認定証が落ちそうになる。
「……は?」
「内容は知らないが……父上からの、国王からの勅命だったらしい」
「……おい?大丈夫か?」
リグルの心配する声も届かない。
サツキは立ち尽くした。
ようやく追いつけたと思った。
ようやく“隣に立てる”と思ったのに。
――その時には、もういなかった。
〈エルフの森〉
「――ッ」
サツキが目を覚ます。
馬車が揺れていた。
窓の外には、深い森。
薄く差し込む朝日。
嫌な汗が背中を濡らしている。
「……最悪」
隣を見る。
ナナセが普通に寝ていた。
しかも。
妙に気持ちよさそうに。
「……」
サツキのこめかみに青筋が浮かぶ。
――ドゴッ!!
「いっっ!?」
ナナセが座席から転げ落ちた。
「ちょ、何!?」
「朝から暴力反対なんだけど!?」
サツキが冷たい目を向ける。
「うるさい」
「……また勝手にいなくなる夢を見た」
空気が少し静まる。
ナナセが一瞬だけ目を逸らした。
だが。
すぐにいつもの調子で笑う。
「うへぇ……」
「根に持ってるねぇ」
「当たり前でしょ」
そこへ、反対側で寝ていたヒナノが目を擦りながら起き上がる。
「んぅ……騒がしい……」
状況を見て、すぐに察した。
「あー、また昔の夢?」
「そう」
サツキが短く答える。
ヒナノは苦笑した。
「まぁ気持ちは分かるけどさぁ」
「――それに、この前の件も含めてね」
ナナセがゆっくりとヒナノを振り返る。
「……この前?」
「せっかくのデートだったのに、途中で終わったからね」
「私もまだ根に持ってるよ?」
ナナセの顔が引きつる。
「あれは、空気読まずに来たリグルが悪いよね?」
「ホテルまで予約してたのに」
「言い方があるよね!?」
「――しかも三人部屋だったのに」
その瞬間。
サツキの足が、再びナナセの脛へめり込んだ。
「何も言ってないよっ!!」
「うるさい」
「デリカシーって言葉、知らないでしょ!」
「理不尽すぎない!?」
オボロが呆れたようにため息を吐く。
「……朝から元気ですね」
「もうすぐ着きますから、警戒してください」
馬車の窓の外には、深い森。
――エルフの森“コンステラ王国領”付近。
人間の国とは空気そのものが違う。
森が、生きている。
静かに外を見ていたオボロ。
その視線は鋭い。
「……妙ですね」
「うん」
ナナセも頷く。
「本来なら、もっと迷うはずなんだけどね」
ヒナノが窓の外を見る。
どこを見ても森。
似た景色。
方向感覚が狂いそうになる。
だが。
不思議と迷わない。
まるで。
道そのものが誘導しているようだった。
「ポラリス?」
ナナセが小さく問いかける。
『うん』
幼い声。
姿を隠したまま、ポラリスが答える。
『この森、“拒絶”してる』
『でも、ナナセは通してる』
ナナセの目が細くなる。
「……拒絶はされてないみたいだねぇ」
その時だった。
森の奥。
淡い光が揺れる。
瞬間。
――ザァァァ……
風が吹き抜けた。
同時に。
馬車前方へ、複数の影が降り立つ。
弓。
白銀の装束。
長い耳。
エルフ。
空気が張り詰める。
サツキが剣へ手をかけた。
だが。
中央の女性エルフが、ナナセを見るなり目を見開く。
「あの顔……」
「嘘……」
次の瞬間。
彼女の顔から血の気が引いた。
「まさか……」
オボロが静かに前へ出る。
「久しぶりですね、ロゼ」
女性エルフ――ロゼが、さらに目を見開いた。
「オボロ……?」
空気が変わる。
ナナセは苦笑しながら手を振った。
「うへぇ……」
「久しぶりだね」
ロゼはしばらく固まっていた。
だが。
次の瞬間。
その表情が、一気に険しくなる。
「……なんで今さら来たんですか」
「森が……崩れかけてるのに」
「――エトさんが……いなくなった後なのに!!」
風が止まった。
ナナセの笑みが、静かに消える――
【第三十八話へ続く】




