【 第二十九話】凱旋
〈シドー・港〉
夕陽が海を赤く染めていた。
戦いの終わった海は、不気味なほど静かだった。
停止した帝国主力艦船。
凍結した護衛艦。
海上へ浮かぶ残骸。
そして――。
「……帰ってきた」
港の見張りが呆然と呟く。
霧の奥から、巨大な黒鉄艦がゆっくりと姿を現した。
帝国旗艦。
本来なら、王国を蹂躙するはずだった最新鋭艦。
その艦首に、一人の男が立っている。
騎士団支部長服を翻しながら。
まるで散歩帰りのような顔で。
「……うへぇ、疲れたねぇ」
ナナセだった。
沈黙。
次の瞬間。
港が、一気にざわめいた。
「て、帝国旗艦だぞ!?」
「鹵獲したのか!?」
「一人で……?」
「本当に勝ったのか……?」
騎士団員たちの視線が艦隊へ集まる。
帝国軍船と魔導機関の鹵獲。
船員拘束。
これ以上にない結果に、リグルが額を押さえる。
「……本当にやりやがった」
シャールも絶句していた。
「帝国最新鋭艦を……鹵獲……?」
「それに、護衛艦も含めて複数隻も……」
オボロだけは静かだった。
「ナナセ様ですので」
「いや、その一言で済ませるな」
リグルが即座に突っ込む。
その横で、ヒナノが目を輝かせていた。
「すごっ……!」
「かっこいい……!」
「だから甘やかさないでって言ってるでしょ」
サツキが呆れたようにため息を吐く。
「……でも」
「せっかく、並べるようになったと思ったのにね」
小さく漏れた声。
ヒナノも、少しだけ寂しそうに笑った。
「ほんとだね」
「また置いて行かれちゃった」
だが、ヒナノはすぐ笑顔を作った。
サツキも、それ以上は何も言わなかった。
ただ。
二人とも、帝国旗艦を見上げる目だけは少し複雑だった。
――帝国旗艦が接岸する。
重い音を立てながら停止。
縄梯子が下ろされる。
その直後。
――ドサッ。
巨大な何かが甲板から放り投げられた。
港の石畳へ激突する。
騎士たちが武器を構える。
だが。
転がっていたのは、全身を拘束された大男だった。
帝国軍将軍、パーシング。
両腕には魔封拘束具。
だが、それでも笑っている。
「おいおい、扱いが雑じゃないか?支部長さんよぉ」
「だがまァ、楽しかったなァ!!」
周囲の騎士たちが顔を引きつらせる。
どう見ても捕虜の態度ではない。
ナナセが船から降りながら肩を回した。
「頑丈だから大丈夫でしょ?」
「やれやれ、痛いの嫌いなんだけどねぇ」
「……思ったより殴られたねぇ」
「ちょっと、怪我したの?」
サツキの声が少し低くなる。
「浅いよ?」
「問題はそこじゃないわよ」
「あとで治療」
「……うへぇ」
そのやり取りを見ながら、パーシングが笑う。
「おいおい、余裕だなァ」
「次は勝つぞ?」
ナナセは軽く首を傾げた。
「次があればねぇ」
その一言で、空気が少し冷える。
パーシングは笑ったままだった。
だが。
その目だけが、ナナセを真っ直ぐ見ていた。
――その後、帝国捕虜は騎士団支部へ移送された。
鹵獲艦の調査も始まる。
港では、王国兵たちが帝国軍船を見上げながらざわついていた。
「本当に鉄で出来てる……」
「こんなの海に浮かぶのか……?」
「だが、現に浮いているんだぞ?」
「それに、速かったぞ」
「魔導機関って話は本当なのか?」
誰もが、帝国技術の異常さを理解し始めていた。
「ええぃ、邪魔だ貴様ら!!」
怒鳴り声と共に兵士たちを押し退けながら現れたジラズド。
「あの王子もドワーフ使いが荒い!」
「あれで国民人気が高いのが、信じられんな」
そして、ジラズドたち鍛冶ギルドによる調査が始まる。
――騎士団支部・地下拘束室。
重い鉄扉が閉まる。
中央には、拘束されたパーシング。
リグルとシャールとナナセとオボロが立ち会っていた。
「……っくしゅ」
「地下ですし、冷えますか?」
シャールがリグルを気に掛ける。
「気を使わなくていいよ?」
「どーせ、悪口でも言われてるんでしょ?」
「せめて、国民からの賛辞としてほしいね」
リグルは小さく咳払いをしてから、パーシングへ向き直る。
「――さて」
「いくつか聞きたい」
パーシングは椅子へ深く座りながら笑った。
「素直に答えると思うか?」
「別に全部吐かせる気はない」
リグルの目が細くなる。
「確認したいだけだ」
短い沈黙。
やがて。
シャールが口を開いた。
「帝国軍の山越え部隊は?」
「あァ?」
「まだ動いてるぞ」
パーシングは笑う。
「そっちは気にする必要ねぇよ」
「今頃、撤退してるかもしれねぇしなァ」
リグルが眉をひそめた。
「将軍を見捨てると?」
「帝国だぞ?」
即答だった。
「失敗した将軍を助ける理由がねぇ」
「特に俺は嫌われてるからな」
どこか楽しそうですらある。
シャールの表情が険しくなる。
「……狂っているな」
「強ぇ奴が上に立つ」
「単純な話だろ?」
パーシングが笑う。
その時だった。
ナナセが不意に口を開く。
「……オルフェって男、知ってる?」
空気が変わる。
だが。
パーシングは眉をひそめただけだった。
「誰だそれは?」
「シャーマンと一緒に動いてた人物」
「知らねぇな」
「あいつに友人がいたとも思えねぇしな」
沈黙。
リグルとシャールが視線を交わす。
演技ではない。
本当に知らない顔だった。
ナナセの目が細くなる。
(……やっぱり別か)
“オルフェは帝国ではない”
少なくとも、軍側では存在が共有されていない。
それだけは分かった。
パーシングが獰猛に笑う。
「なんだ?」
「そいつの方がヤベぇのか?」
ナナセは答えなかった。
ただ静かに立ち上がる。
「今日はここまででいいよ」
「また聞きたいことがあったら来るねぇ」
「おいおい、無視かよ」
「つれねぇな……また会えるの待ってるぜ」
「“精霊魔法使い”さんよォ」
ナナセは、静かにパーシングを睨む。
そのまま鉄扉が閉まる。
地下通路を歩きながら、リグルが低く呟いた。
「……帝国じゃない、か」
シャールも険しい顔になる。
「孤児院地下の設備も、帝国軍とは系統が違いました」
「第三勢力がいると?」
オボロが静かに言う。
「オルフェは、何を探していたのでしょうか……」
「手掛かりは、あの鍵ぐらいだね」
「確か、紋章が刻まれていましたね」
「何か見覚えでも?」
ナナセは肩をすくめる。
数秒、誰も口を開かなかった。
リグルが口を開く。
「まずは再調査だな」
「孤児院も、領主邸も、シドー全域を洗うぞ」
方針だけを決め、その場は解散となった。
――深夜
ナナセは一人、鹵獲した帝国旗艦を見上げていた。
巨大な黒鉄艦。
止まった魔導機関。
それでも。
船の奥底には、まだ嫌な気配が残っている。
――海風が吹く。
――遠くで、うみねこが鳴いていた。
誰かの代わりに泣いているように。
【第三十話へ続く】




