【第二話】腐った市場
〈シドー・自由市場〉
声のした方へ向かうと、寂れた通りの奥で小さな騒ぎが起きていた。
三人の男が、一人の女性を取り囲んでいる。
男たちは粗野な鎧を身につけ、腰には剣を下げていた。
だが、騎士団の装備ではない。
「傭兵かな」
「そのようですね」
ナナセとオボロは少し離れたところで足を止めた。
女性は露店の前に立っていた。
いや――立たされている、という方が近い。
片腕を男に掴まれながら、それでも怯むことなく睨み返している。
「――だから言ってるだろ」
男の一人が苛立ったように吐き捨てた。
「この市場で店を出すなら、ギルドの許可が必要なんだよ」
「ここは自由市場よ! 誰でも店を出せるはずでしょ!」
女性が腕を振りほどこうとする。
「昔はな。……今は違う」
男が鼻で笑った。
「ギルドに入る金が払えないなら、ここで商売はできねぇんだよ」
――なるほど。
自由市場が機能していない理由が、一つ見えた。
商人が寄りつかなくなったのではない。
追い出されている。
しかも、わざわざ傭兵まで使って。
ナナセは小さく息を吐いた。
赴任初日。
まだ支部に着いてすらいない。
寄り道のつもりで立ち寄った市場。
それでこれなら、先が思いやられる。
男が女性の腕をさらに強く引いた。
「痛っ……!」
「――はい、そこまでだよぉ」
その場に似つかわしくない、間の抜けた声が割り込んだ。
男たちが一斉にこちらを見る。
「……あ?」
ナナセはいつもの調子で片手を上げた。
「嫌がってるみたいだし、その辺にしておいたら?」
「てめぇ、何もんだ?」
男の目が鋭くなる。
「冷やかしなら帰りや――」
言葉が途切れた。
男の身体が、不意に前へ傾く。
「……あ?」
何が起きたのか理解するより早く、その身体が石畳へ叩きつけられた。
ゴンッ、と鈍い音が響く。
男の背後には、いつの間にかオボロが立っていた。
「話を聞く気はなさそうですね」
何事もなかったような声だった。
残った二人が、そこでようやく動いた。
「てめぇ!」
剣へ手を伸ばす。
だが、抜くことすらできなかった。
オボロは一人の手首を掴むと、そのまま捻り上げる。
短い悲鳴が漏れた瞬間には、もう片方の男の首筋へ短剣が添えられていた。
「動かないでください」
冷たい刃に触れ、男の身体が固まる。
遅れて、手首を捻り上げられた男も膝をついた。
ほんの数秒。
三人いた傭兵のうち、一人は地面に転がり、二人は完全に動きを封じられている。
ナナセはその一部始終を眺めながら、感心したように眉を上げた。
相変わらず速い。
速いというより――相手に何もさせない。
オボロらしい戦い方だった。
「抵抗されますか?」
オボロが僅かに首を傾ける。
男の額に汗が浮かんだ。
「……っ」
「それと」
オボロは視線だけをナナセへ向ける。
「正面の人のほうが危ないですよ?」
「……ちょっと待って」
ナナセは思わず自分を指差した。
「僕?」
「はい」
「ひどいねぇ」
ナナセは呑気に肩をすくめた。
だが、男たちには、そんな軽口へ付き合う余裕はない。
一人は石畳に倒れたまま動かず、もう一人は手首を押さえて膝をついている。
残る一人も、首筋に触れる刃を前に身じろぎひとつできずにいた。
先ほどまで女性を囲んでいた三人が、ほんの数秒でこの有様だ。
男の視線がオボロからナナセへ移る。
一方のナナセは、助けに入ったというのに剣へ手を伸ばしてすらいない。
ただ、いつもの調子で笑っているだけ。
「……チッ」
やがて男が悔しそうに舌打ちした。
オボロが短剣を引くと、男たちはようやく息を吐く。
倒れた仲間を慌てて抱え上げ、何度もこちらを振り返りながら市場の奥へ消えていった。
「おおー、仕事が早い」
ナナセは軽く手を叩く。
「でもさぁ。僕、そんなに危ない人に見えないでしょ?」
オボロは何事もなかったように短剣をしまった。
「見えますよ?」
「即答しないでよ」
どうにも副官からの評価が低い。
いや、高いのかもしれない。
方向性がおかしいだけで。
肩をすくめると、すぐ近くから遠慮がちな声が聞こえた。
「……あの」
振り向くと、助けた女性がまだ少し呆然とした顔で二人を見ていた。
「ああ、ごめん。大丈夫?」
「は、はい」
女性は掴まれていた腕を押さえ、それから慌てて頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
「気にしないで」
ナナセは軽く手を振る。
「むしろ、ああいうのを止めるのが騎士団の仕事だからね」
「騎士団……?」
女性の表情が変わった。
驚き。
そのあとに、一瞬だけ浮かんだのは――戸惑いだった。
騎士団と聞いて、安心した顔ではない。
ナナセはそれを見逃さなかった。
「うん」
それでも、いつも通りに笑ってみせる。
「今日からこの街の支部長」
「え?」
女性の目が丸くなる。
「……えぇぇ!?」
思ったより大きな声が市場に響いた。
「そんなに驚く?」
「だ、だって……!」
オボロが横から静かに補足する。
「こちら、港湾都市シドー支部長のナナセです」
「し、失礼しました!」
女性は勢いよく頭を下げた。
「いやいや、いいって。そういうの苦手だから」
ナナセは慌てて手を振る。
「それより、名前を聞いても?」
「あっ……」
女性は顔を上げ、もう一度小さく頭を下げた。
「ボーラといいます」
「ん。ボーラさんね」
ナナセは先ほど男たちが消えていった方へ視線を向けた。
「これ、どういう状況?」
ボーラの表情が曇る。
「……商業ギルドです」
予想通りの名前が出てきた。
「この街じゃ、あそこに入らないと……まともに商売できません」
「さっき言ってた加入料?」
「はい」
ボーラは悔しそうに唇を噛んだ。
「私みたいな小さな商人には、とても払えない額です。それでも店を出そうとすると、ああいう人たちが来て……」
ナナセは壊れた露店へ目を向けた。
市場へ入ったときに見た刀傷。
壊された荷車。
目立つ空き店舗。
全部が一本の線に繋がる。
「露骨だねぇ」
想像していたよりずっと分かりやすい。
隠す気すらないのか。
あるいは――隠す必要がないと思っているのか。
その方が厄介だった。
「それだけじゃありません」
ボーラが続ける。
「市場を含めた港周辺の警備も、最近はほとんどありません」
「港の警備?」
ナナセは眉を上げた。
「それ、騎士団の仕事でしょ?」
「……はい」
ボーラは困ったように笑った。
「でも、今はほとんど見ません」
返事の代わりに、ナナセはオボロへ視線を向けた。
オボロもこちらを見ていた。
言葉はいらなかった。
市場を荒らす傭兵。
放置される商人。
消えた騎士団。
商業ギルドとの癒着。
船の上で確認した任務内容が、嫌になるほど現実味を帯びてくる。
「……なるほど」
ナナセは大きく伸びをした。
空は相変わらず青い。
どうしてこう、面倒事の日に限って天気がいいのだろう。
「想像以上に腐ってるねぇ」
オボロは否定しなかった。
ボーラは少し不安そうに二人を見ていたが、やがて小さく息を吸った。
「……でも」
「ん?」
「それでも、ここを立て直そうとしてる人はいます」
ナナセが視線を戻す。
ボーラは壊れかけた自分の露店を見つめ、それから真っ直ぐこちらを見た。
「私も、その一人です」
その顔に、さっきまでの怯えはなかった。
強いな。
単純に、そう思った。
金がないから諦める。
脅されたから逃げる。
それだって責められることではない。
なのに、この人はまだここに立っている。
ナナセの口元が自然と緩んだ。
「いいね」
「え?」
「そういう人、好きだよ」
ボーラが僅かに頬を引きつらせる。
隣から、何とも言えない視線が刺さった。
「……何?」
「いえ。別に」
絶対に何か思っている。
まあいい。
ナナセは市場の入口――その先にある騎士団支部の方角へ目を向けた。
ここまで来れば、もう寄り道では済まない。
「OK」
小さく息を吐く。
「まずは騎士団を見に行こうか」
◇
しばらく歩き、二人は騎士団シドー支部へ到着した。
そして――。
「……」
ナナセは門の前で立ち止まった。
守衛がいない。
人の気配も、ほとんどない。
門は片側が半開きになり、もう片方は壊れたまま傾いている。
見上げた建物も、ところどころ外壁がひび割れていた。
「……廃墟?」
「いえ、赴任先の騎士団シドー支部です」
オボロの返事は速かった。
ナナセはもう一度建物を見る。
「……廃墟?」
「いえ、希望に満ちた新しい職場です」
「希望って言葉、知ってる?」
少なくとも、目の前の光景からは一欠片も感じられない。
中はさらにひどかった。
しんと静まり返った敷地には、湿った埃の匂いが漂っている。
訓練場には錆びた武器が並び、木製の訓練人形は腕を失ったまま放置されていた。
建物だけではない。
使われていない時間そのものが、そこら中に積もっているようだった。
「うへぇ……」
思わず声が漏れる。
市場では騎士団をほとんど見ないと言っていた。
この有様なら、それも納得できてしまう。
ナナセは訓練場に転がっていた槍を一本持ち上げた。
柄は乾き、穂先には赤錆が浮いている。
「これ、いつの時代の武器?」
軽く振ってみるが、嫌な音がしたのですぐに戻した。
「骨董品を集める趣味でもあるのかねぇ」
「売れば多少は資金になるかもしれませんね」
「前向きだね」
「希望に満ちていますので」
「まだ言う?」
そのとき。
「――そこ、何をしている」
凛とした声が響いた。
鋭く、よく通る声。
ナナセの動きが止まる。
――聞き覚えがあった。
いや。
ありすぎた。
「ここは騎士団だ。関係者以外は立ち入り禁止だぞ」
まさかな。
そう思いながら振り向くと、一人の女性騎士が立っていた。
長い銀髪。
鋭い瞳。
背筋の伸びた、隙のない立ち姿。
その姿を認識した瞬間。
ナナセの頭から、今まで考えていた商業ギルドも、腐敗した支部も、一瞬だけ吹き飛んだ。
「……え?」
女性騎士も、同じように目を見開いていた。
時間が止まったような沈黙。
そして。
「……ナナセ?」
忘れるはずのない声が、自分の名前を呼んだ。
七年ぶりだった。
まさか、こんなところで。
ナナセの顔が、これ以上ないほど露骨に引きつる。
「うへぇ」
そして、観念したように口を開いた。
「――サツキじゃん」
【第三話へ続く】




