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【第一話】最年少支部長

〈シドー行きの船・甲板〉


潮の匂いを含んだ風が、ゆっくりと甲板を通り抜けていく。

船の欄干に寄りかかりながら、ナナセは遠くに見える街並みを眺めていた。

巨大な港。

無数の船。

海沿いに連なる石造りの街並み。

王国でも有数の交易都市と呼ばれるだけあって、その規模は遠目からでもよく分かる。

――なのに、どこか静かすぎる。

港へ近づいているというのに、活気が感じられない。

船はある。建物もある。人の姿だって見える。

それでも、何かが足りない。

「うへぇー」

思わず、そんな声が漏れた。

「大きな都市……だねぇ」

――港湾都市シドー。

王国有数の交易都市――であるはずの街。

背後から、落ち着いた声が聞こえた。

「“支部長”。そろそろ到着します」

振り向くと、黒髪の女性が静かに立っていた。

ナナセの副官――オボロ。

騎士団の制服をきっちりと着こなし、いつものように隙のない表情を浮かべている。

「いつものように名前でいいのに……嫌味?」

「そんなことありませんよ。せっかくの昇進ですので」

口ではそう言いながら、オボロは笑みを隠そうともしない。

「……はぁ」

どう見ても楽しんでいる。

「……で、もう着くの?」

「はい。まもなく入港です」

オボロはナナセの隣に立ち、同じように港を見渡した。

「到着前に、方面部隊長のイセ様からご指名いただいた任務を確認しておきます」

「真面目だねぇ」

「忘れている可能性がありますので」

「ひどい言われようだなぁ」

肩をすくめながら笑う。

否定できないところが、少しだけ悔しい。

「……まぁ、いいよ。確認しようか」

オボロは小さく頷いた。

「任務は三つあります」

そう言って、一本ずつ指を立てていく。

「ひとつ。前領主毒殺事件の再調査」

「ふたつ。商業ギルドと騎士団の癒着の確認」

「みっつ。シドー支部の立て直し」


最後の一本が立ったところで、ナナセは空を仰いだ。

青い。

実にいい天気だ。

そのまま何も聞かなかったことにして、船で帰りたくなるくらいには。

……そういえば、この街は近くをクジラが泳ぐこともあるらしい。

一度くらい見てみたいなぁ。

「……めんどくさそう」

「騎士団最年少支部長の初任務です」

「こんなの支部長の範囲超えてるよ?」

「方面部隊長直々の指名です」

「やっぱり断ればよかったかなぁ」

オボロは少しだけ考えた。

「詰んでますね」

「副官が言う?」

「ですが、他に適任がいません」

さらりと言い切られ、ナナセは眉尻を下げた。

「シドーには大きな鍛冶ギルドがあります。魔道具にも詳しくなければ、協力関係を築くのは難しいでしょう」

そこでオボロが、ほんの少しだけ間を置いた。

「……珍しい魔道具をいじれるかもしれませんよ?」

「お?」

思わず反応してしまった。

それを見たオボロの目が、僅かに細くなる。

「……今、釣った?」

「何のことでしょう」

「うへぇ……」

完全に扱いを理解されている。

「まぁ、そんな時間があるといいけどねぇ」

再び港へ目を向ける。

近づくにつれ、街の輪郭が鮮明になってきた。

荷揚げ用の桟橋。

海沿いに並ぶ倉庫。

その奥に広がる市街地。

そして、違和感がさらに強くなっていく。

これだけの設備があるなら、本来はもっと騒がしいはずだ。

人も、荷車も、商人たちの声も――。


「そういえば、イセさんが言ってたよ。現地に助っ人がいるから頑張れって」

「助っ人ですか」

「誰だろうねぇ」

「仲の良さで考えるなら、同級生の筋肉ゴリラですか?」

「イルド?」

その顔を思い浮かべた瞬間、ナナセは苦笑した。

「聞いたよ。『お気に入りの歌姫がいる王都から、離れるわけないだろう』だって」

「……いつまであの歌姫に貢ぐつもりなんですね」

「好きだよねぇ、あいつも」

呆れたように笑う。

けれど、その笑みはすぐに薄くなった。

数日前。

王都でイルドと交わした会話を思い出す。


◇

いつもの酒場。

向かいに座ったイルドは、いつものように酒を傾けていた。

「今度、シドーに異動なんだ。イルド、何か知ってる?」

シドーの名を出した瞬間だった。

イルドの目が僅かに細くなる。

「……ああ」

何かを知っている。

長い付き合いだ。

その程度の変化なら、嫌でも分かる。

「あの街か……」

「さっすが。知ってるんだ」

ナナセは軽く笑った。

「一緒に来てくれるの?」

「……ふん。行くわけないし、行かなくても大丈夫だろ」

イルドは鼻で笑う。

「お前“たち”ならな」

ポラリスのことを言っているのか。

それとも、イセが言っていた現地の助っ人まで含めているのか。

ナナセが僅かに目を細めると、イルドはそれ以上説明せず、声を落とした。

「……気をつけろ」

「何に?」

「騎士団の中も、最近きな臭い」

「……へぇ」

驚きはしなかった。

前領主の毒殺。

商業ギルドとの癒着。

騎士団支部の立て直し。

わざわざ自分が送り込まれる時点で、まともな状況ではないことくらい分かっている。

イルドはグラスを置き、ナナセを真っ直ぐ見た。

「お前の能力は普通じゃない」

「急に褒めるじゃん」

「褒めてねぇよ」

間髪入れずに返された。

「だからこそ巻き込まれるって言ってんだ」

「……やめてよぉ」

ナナセは苦笑する。

「言葉にすると事実になるじゃん?」

「知らねぇよ」

イルドは席を立った。

そのまま背を向けて、片手を上げる。

「……死ぬなよ」

イルドにしては珍しい言葉だった。

だが、数歩進んだところでイルドが足を止める。

振り返った口元には、いつもの意地の悪い笑みが戻っていた。

「――死因は味方かもな?」

「縁起でもないなぁ」

そう返したはずなのに。

なぜか、その言葉だけは耳に残った。


◇

船体が僅かに揺れた。

「入港しますよ」

オボロの声で意識を戻す。

いつの間にか、シドーの港はすぐそこまで迫っていた。

「……ねぇ」

「なんです?」

「せっかくの港湾都市なんだからさ」

ナナセは先ほどの記憶を振り払うように、口元を緩めた。

「自由市場とかあるでしょ?」

「ありますね」

「いやー、支部に行くとすぐ仕事でしょ? 今のうちにゆっくりしようよ」

オボロが無言でこちらを見る。

「……何その目」

「赴任初日に寄り道する支部長を見ています」

「視察だよ、視察」

「今、ゆっくりしたいと言いましたが」

「市場の視察も大事だからねぇ」

我ながら苦しい。

だが、忙しくなるのは目に見えている。

そのうち書類に追われて、支部長室から出ることもできなくなるだろう。

なら、現地のおいしいものくらい堪能してから監禁されたいものだ。

シドーの海産物を前にすれば、副官の冷たい視線も少しは温度を取り戻すかもしれない。

そんな思惑が顔に出ていたのか、オボロはそれ以上追及せず、港の一角へ視線を向けた。

「自由市場ならあります。――ただし」

「ただし?」

「ほぼ機能していないと聞いています」

「……うへぇ?」


船が桟橋へ着く。

係留のために船員たちが動き始める中、ナナセは港を見渡した。

そして、ふと眉を寄せる。

「……あれ?」

「どうしました?」

「出迎えは?」

新しい支部長が赴任する。

大げさな歓迎など期待していなかったが、騎士団から一人くらい来ていてもいいはずだ。

だが、それらしい姿はどこにもない。

オボロも周囲を確認してから、淡々と答えた。

「どうやら嫌われているようですね」

「まだ何もしてないのに?」

赴任前から嫌われるのは、さすがに納得がいかない。

まだ若いのだから、少しは優しくしてほしいものだ。

「……せっかくなら自由市場に行きましょうか」

「急に優しくなったね」

「一人ぐらいは優しくしておかないと、働かなさそうなので」

「……その優しさって持続性あるの?」

「香水ぐらいは」

「イルドがつけてるやつ?」

「倹約家がつけるオーデコロンぐらいでしょうか」

「二、三プッシュはしてくれる?」

「ワンプッシュに決まっているでしょう」

「……付け直し用のアトマイザーが必要そうだね」

オボロの口元が、僅かに緩んだ。

こういうくだらないやり取りに付き合ってくれるあたり、なんだかんだ優しい副官だと思う。

もっとも、本人に言えば否定されそうだが。

オボロは何事もなかったように、市場のある方向へ視線を向けた。

「行かないのですか?」

「オボロの誘いなら断れないよ。誰も迎えに来ないしねぇ」

「あちらのようですよ」


船を降り、二人で港の石畳を歩いていく。

近くで見れば、遠目に感じていた違和感はさらに強くなった。

巨大な港のわりに、人の流れが少ない。

荷を積んだ船はある。

倉庫も並んでいる。

それなのに、行き交う商人の姿が妙に少ない。

「……人の流れがありませんね」

「うん」

ナナセは周囲へ視線を巡らせる。

「不自然だね」

やがて自由市場へ辿り着き――二人の足が止まった。

「……」

そこにあったのは、寂れた市場だった。

空き店舗が目立つ。

軒先には商品どころか人影すらない。

道端に転がった荷車は、車輪が外れたまま放置されている。

潮風に揺られているのは、破れた布だけだった。

王国有数の交易都市。

その言葉からは、あまりにもかけ離れている。

「……これ」

ナナセは壊れた荷車の前でしゃがみ込んだ。

木材に残された傷へ指を近づける。

自然に壊れた跡ではない。

「意図的に“壊されてる”ね」

「刀傷ですか……」

オボロも傷を確認し、表情を僅かに険しくする。

「市場には似つかわしくありませんね」

「だねぇ」

立ち上がり、改めて周囲を見渡す。

店が潰れた。

客が来なくなった。

それだけなら、こんな傷は残らない。

誰かが壊した。

あるいは――壊して回った。

「完全に死んでるね、この市場」

「商業ギルドの影響でしょうね」

前領主毒殺。

騎士団との癒着。

機能していない自由市場。

頭の中で、ばらばらだった情報が少しずつ繋がり始める。

まだ線と呼ぶには早い。

けれど。

「嫌な予感しかしないねぇ」

ナナセは肩をすくめ、市場の奥へ視線を向ける。

微かに、何かがぶつかる音がした。

続いて、押し殺したような声。

誰かが争っている。

そして――。

「やめな! 離しな!」

静寂を引き裂くような怒鳴り声が、死んだ市場に響き渡った。

ナナセとオボロの視線が、同時にその方向へ向く――


【第二話へ続く】


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