一つ星
はじめまして、九十九ペンギンと申します。
精霊や“名前”、キャラクター同士の関係性を
大切にしながら、本作を書いています。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
――精霊の遺跡に、人間がいた。
あり得ない光景に、エルフの神官エトは足を止めた。
ここは本来、選ばれた者しか辿り着けないはずの場所。
人間の少年が決して踏み入れてはならない領域だ。
だが、その少年は当然のようにそこにいた。
「神官さん、こっちだよ!」
振り返った少年――ナナセは、屈託のない笑顔で手を振る。
まるでこの場所が、自分の庭であるかのように。
「……どうして、ここにいるの……」
問いかけるエトの声は、無意識に強張っていた。
しかしナナセは気にも留めず、軽い足取りで泉の方へと歩いていく。
その背を追い、エトは息を呑んだ。
そこにあったのは、紛れもなく精霊の遺跡のひとつ。
――精霊の泉。
水面は、昼だというのに淡く光を反射している。
だが。
「……何……あれ……?」
泉の中央。
小さな光が、震えるように揺れていた。
弱々しい。今にも消えそうなほどに。
それなのに――
(存在が、大きすぎる……)
エトの背筋に、ぞくりとした感覚が走る。
精霊魔法を極めた彼女だからこそ分かる。
あれは小さな光などではない。
本来なら、この泉どころか――森一帯を満たすはずの存在だ。
「……こんなの、あり得ない……」
その時、ナナセがふと足を止めた。
「……ん?初めて見る……」
「昼なのに……一つ星?」
呟きながら、少年は迷いなく泉の縁へと歩み寄る。
その視線は、まっすぐに光へと向けられていた。
「待って!それは――」
止めるべきだった。
そのはずなのに、エトの声は途中で途切れた。
なぜか分からない。
ただ、目を離してはいけないと本能が告げていた。
ナナセはそっと手を差し出す。
「……ねぇ、聞こえるよ」
「え……?」
「この子怖がってる。……逃げてきたんだね」
エトの思考が止まる。
精霊の声を聞くこと自体は、珍しくない。
だが。
(――この状態で……?)
目の前の光は、ほとんど崩壊寸前だ。
意思を保っていることすら奇跡に近い。
それを、この少年は。
“普通に”理解している。
ナナセは何の迷いもなく、両手で光を包み込んだ。
「大丈夫。もう大丈夫だよ」
まるで幼子をあやすような声音。
「……名前が、ないの?そっか……」
その一言に、エトの心臓が強く脈打つ。
(まさか――)
「じゃあ、決めた」
軽い。あまりにも軽い。
だが、その軽さが恐ろしかった。
「君は『ポラリス』。一つ星と同じ。いい名前でしょ?」
――その瞬間。
世界が、わずかに軋んだ気がした。
光が、震える。
いや、違う。
“応えた”。
泉の水面が波紋を広げ、周囲の精霊たちがざわめき始める。
まるで祝福するかのように、光が次々と灯っていく。
そして――
ナナセの手の中で、光は確かな輝きを取り戻した。
「……嘘……」
エトの唇が、震える。
精霊は、人に従わない。
その名は、精霊自身が選び、授けるもの。
――少なくとも、それがエトの知る常識だった。
それは知識ではない。
世界の理だ。
「人間が……名を……与えた……?」
否定しなければならない。
だが、目の前の現実がそれを許さない。
ナナセは、そんなことなど一切気にせず柔らかく笑った。
「ポラリス、疲れたって」
「ちょっと寝るみたい」
その言葉に、光は安心したように静かに揺れる。
(……あり得ない)
エトは確信する。
この少年は――
「……あなた、何者なの……?」
その問いに、ナナセは少しだけ首をかしげた。
「んー?別に普通だよ?」
本気でそう思っている顔だった。
「だって、この子困ってたし」
――それだけで十分だとでも言うように。
エトは息を呑む。
理解したくなかった。
だが、理解してしまった。
(この子は……“踏み越えている”)
触れてはならない領域を。
誰も辿り着けなかった場所を。
何の躊躇もなく。
泉の周囲で、精霊たちがざわめき続けている。
祝福か、それとも――警戒か。
そのどちらかは、まだ分からない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
――均衡が、崩れた。
光の片割れは、いま人の手にある。
そしてそれが意味することを、
この時のエトはまだ知らない。
やがてそれは、精霊王すら揺るがすことになる。
ナナセとポラリス。
この出会いは、やがてこの一つ星を巡る冒険の幕開けとなる。




