【第十二話】繋がる音色
〈騎士団シドー支部・中庭〉
昼の光が柔らかく差し込む中庭。
その隅にある木陰で、アルルは小さなフルートを両手に抱えていた。
途切れ途切れではあるものの、澄んだ音色が風に乗って流れていく。
「すごーい! もう演奏できるの!?」
ヒナノが目を輝かせながら駆け寄った。
その後ろから、ナナセとサツキも歩いてくる。
「……この曲だけ」
突然褒められたからか、アルルの頬が少し赤くなる。
「短いから……」
「ママもよく演奏してくれた曲だもんな」
少し離れた場所で見守っていたガザミが、穏やかに笑った。
アルルは嬉しそうにフルートを抱きしめる。
そのすぐそばでは、小さな光が音に合わせるように揺れていた。
「精霊も喜んでるみたいだよ?」
ナナセがアルルの前へしゃがみ、目線を合わせる。
「ちゃんと交流できてるね」
「ほんとに!?」
アルルもナナセの視線を追うように、何もない空間へ顔を向けた。
「へへ……気に入ってくれたよね」
淡い光が一度、大きく揺れる。
「きっとね」
「でも、まだおしゃべりできなくて……」
アルルが少しだけ目を伏せる。
すぐにナナセを見上げた。
「そのためにも、少し魔法を練習しようか」
「魔法?」
「精霊の声を聴くには、魔力を感じたり、上手く扱ったりする必要があるからね」
アルルの顔が一気に明るくなる。
「教えて! ナナセお兄ちゃん!」
「もちろん」
「アルルちゃん、一緒に教えてもらおうね」
気づけば、サツキとヒナノまでアルルの横に並んでいた。
ナナセが二人を見る。
「……二人は基礎も応用もできてるよね?」
「負けたままなのは悔しいのよ」
サツキが腕を組む。
「それに、アルルちゃんに何するか見張らないとね!」
ヒナノも当然のように頷いた。
「ナナセは女たらしだもん」
「子供相手に何を心配してるのさ……」
二人から返事はない。
あるのは、妙に圧のある視線だけだった。
「サツキお姉ちゃんとヒナノお姉ちゃんも一緒なの、嬉しい!」
そんな空気を知らないアルルだけが、無邪気に笑っている。
「そういえば、オボロお姉ちゃんは?」
「僕の代わりにお仕事中」
「港湾設備の方?」
サツキが港の方角へ目を向ける。
「そう。鍛冶ギルドが張り切ってるから、その現場監督」
「邪魔してくる人も多そうだね」
「でもオボロなら、目だけで追い返せそう!」
ヒナノが笑えば、サツキも小さく頷いた。
「……否定できないわね」
ナナセとガザミは何となく目を合わせる。
「「……」」
その沈黙に気づいたサツキが眉を寄せた。
「何?」
「「なにも」」
二人の声が綺麗に重なる。
アルルが不思議そうに三人を見回した。
「サツキお姉ちゃんとヒナノお姉ちゃんも、オボロお姉ちゃんと同じ目をしてるよ?」
「同じ目?」
「うん。嫌いな人を見る時と、ナナセお兄ちゃんを見る時は――」
「アルル」
ガザミが慌てて娘の口を塞いだ。
遅かった。
サツキとヒナノが揃って顔を赤くし、ナナセから視線を逸らす。
「……子供ってよく見てるよねぇ」
「感心してる場合じゃないでしょ!」
「そうだよ!」
「うへぇ……」
これ以上続けると本題から逸れそうだ。
ナナセは立ち上がり、軽く手を叩いた。
「はい。魔法の練習始めるよ」
ガザミの手から逃れたアルルが、すぐにナナセの前へ立つ。
「何からするの!?」
「まずは魔力を感じてもらおうかな」
ナナセはアルルの小さな手を取った。
「何か感じる?」
アルルが目を閉じる。
少しして、首を傾げた。
「……あったかい」
「うん。それで十分」
手を離し、今度はサツキを見る。
「次はサツキ。その次にヒナノとも手を繋いでみて」
アルルは言われた通り、二人と順番に手を繋いでいく。
「どう? 違いは分かった?」
「んー……なんとなく?」
アルルは自分の手を見つめる。
「温度が違う感じ?」
「最初はそれが分かれば十分だよ」
ナナセは満足そうに頷いた。
「じゃあ次。三人で手を繋いで、輪になってみようか」
アルルを挟むように、サツキとヒナノが手を繋ぐ。
ナナセはアルルの後ろへ回り、その手にそっと自分の手を重ねた。
「今度は、流れを意識してみて」
「流れ?」
「考えすぎなくていいよ。さっき感じたものが、どこへ動いてるか探す感じ」
アルルが再び目を閉じる。
サツキとヒナノも僅かに魔力を流した。
「……」
少しして、アルルの目が開く。
「……あっ! あったかいのが流れてる!」
「そうそう。それが魔力の流れ」
サツキとヒナノが、少しずつ魔力の強弱を変えていく。
アルルの表情がみるみる明るくなる。
「すごい! 歌ってるみたい!」
魔力そのものを音として捉えているのかもしれない。
ナナセは面白そうにアルルを見る。
「私もやる!」
「え?」
止める間もなく、アルルから小さな魔力が流れ込んできた。
「……すごい」
今度はサツキが驚いたように目を見開く。
「ちゃんと流れてるよ!」
ヒナノも嬉しそうに笑った。
けれど、長くは続かない。
しばらくすると、アルルの身体からふっと力が抜けた。
「つかれた……」
その場に座り込む。
「それでいいよ」
ナナセも隣へしゃがんだ。
「最初にしては上出来」
「ほんと?」
「嘘ついてどうするのさ」
アルルは満足そうに笑い、そのまま空を見上げる。
風に揺れた木漏れ日が、少女の頬をかすめた。
少しして、傍らに置いていたフルートへ目を落とす。
「……ねえ」
「なに?」
「これ、ママが使ってたんだ」
アルルがフルートをそっと撫でる。
「ナナセお兄ちゃんは……大事な人と離れるの、怖くないの?」
ガザミの表情が僅かに曇った。
ナナセはすぐには答えなかった。
七年前。
自分は何も告げないまま、大切な人たちの前から姿を消した。
離れることを選んだのは、自分だ。
だからこそ、その答えを軽く口にする気にはなれなかった。
「……怖いよ」
アルルがナナセを見る。
「でも、離れなきゃいけない時もあるからね」
少しだけ間を置き、ナナセは笑った。
「だからって、慣れない方がいいと思うけど」
「……そっか」
アルルは少しだけ首を傾げた。
それ以上は聞かない。
アルルはその言葉を受け止めるように、小さく頷いた。
少しして顔を上げた時には、いつもの明るさが戻っていた。
「私も、ナナセお兄ちゃんみたいになれる?」
真っ直ぐに見上げてくるアルルに、ナナセは迷わず答えた。
「なれるよ」
「ほんと?」
「ちゃんとやればね」
アルルの顔がゆっくりとほころんでいく。
「いやいやいや」
横からサツキが割り込んだ。
「参考にする相手を間違えてるからね?」
「うんうん。悪いこと言わないから、ナナセを参考にしちゃ駄目だよ」
ヒナノまで大きく頷く。
「……なんでそんな若い子の可能性を潰そうとするのさ?」
「あなたは自分がおかしいことを自覚してから喋りなさい」
「模擬戦の時の魔法も十分おかしかったよ?」
「ただの水属性の魔法なんだけどなぁ」
ナナセは肩をすくめる。
「二人とも頭が固いんだよ。魔法はもっと“自由”なんだから」
「口を挟んで悪いが……」
ガザミがサツキとヒナノへ視線を向ける。
「剣からあの密度で魔法を飛ばすのも、足から魔法を発動するのも、十分上級レベルだぞ」
「あれはそんなに難しくないから……」
「動物みたいに動かす魔法よりは……」
言い訳めいた声を残し、サツキとヒナノは揃って目を逸らした。
「動物みたいに動く魔法……!」
対照的に、アルルの目がきらきらと輝く。
「もっと魔法が上手になったら、私にも教えて!」
「もちろん。でも、まずは基礎からね」
「うん!」
ナナセがあっさり引き受けた途端、サツキとヒナノから嫌な予感でも覚えたような視線が飛んでくる。
ナナセは気にせずアルルへ問いかけた。
「じゃあ、アルルちゃんはどの動物が好き?」
「猫!」
ナナセが手のひらを上へ向けると、小さな火が灯った。
揺らめいた炎は少しずつ形を変え、やがて一匹の猫になる。
「猫だ!」
アルルが身を乗り出す。
炎でできた猫が、手のひらの上で伸びをした。
「ニャー」
ナナセが鳴き真似をすると、アルルが声を上げて笑う。
火の猫はふわりと跳び、少女の頬へ身体を擦り寄せた。
「……あったかい」
そのまま何もない空中を歩き、少しずつ炎へ戻って消えていく。
アルルは名残惜しそうに、その軌跡を目で追った。
「ねぇ」
サツキの低い声が聞こえた。
「なんで、あれで火傷しないの?」
「ほんとに! 普通の火みたいだったよ!?」
ヒナノも目を丸くしている。
「魔法は自由だからね」
「説明になってないわよ」
「燃えない火があってもいいと思わない?」
「思うかどうかの問題じゃないでしょ!」
ナナセは笑いながら、再びアルルを見る。
「でも、こういうのはまだ先」
「えー」
「ちゃんと魔法を扱えるようになったら、教えてあげる」
アルルが期待を込めて見上げる。
「ほんと?」
「時間がある時は、練習にも付き合うよ」
「やった!」
アルルは小さな拳を握りしめた。
隣でヒナノが楽しそうに笑い、サツキは呆れたように息を吐く。
ガザミも何も言わない。
ただ、娘を見る表情だけが少し柔らかくなっていた。
その様子を眺めながら、ナナセも僅かに笑う。
――ふと肌を撫でるような違和感を覚え、ナナセは視線だけを遠くへ向けた。
気配は薄い。
距離もある。
それでも、消えてはいない。
(……しつこいねぇ)
誰かがまだ――こちらを見ていた。
【第十三話へ続く】




