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【第百二十八話】百年の果て

〈世界樹・根の流路〉


根の流路を巡る精霊流が、静かに瞬いていた。


まるで、百年前の記憶からゆっくりと現実へ引き戻すように。


淡い光が円卓を照らしている。


誰も、すぐには口を開かなかった。


円卓の上には、ハルモニアが用意した紅茶と焼き菓子が、


そのまま残されていた。


湯気はとっくに消えている。


ナナセの膝の上のポラリスも、いつの間にか、


焼き菓子へ伸ばしていた手を止めていた。


「……」


俯いたまま、何かを考えるように両手で一つの焼き菓子を握っている。


サツキも、ヒナノも、オボロも。


誰も声を出さない。


長い話だった。


一人のエルフと、一人の人間が出会い。


寿命という壁に向き合い、その壁を越えようとして。


多くのものを失った。


そして最後には、


愛する人を守るため、自分の命まで差し出した男が。


死んだ後でさえ、自由になることを許されなかった。


「……そっか」


やがて、ナナセが小さく息を吐いた。


背もたれへ身体を預ける。


「だから、あそこにあったんだね」


ハルモニアが静かに視線を向けた。


「精霊の涙」


ナナセの脳裏には、


シドーの旧領主邸と、その地下で見た白銀の扉が浮かんでいた。


壁に刻まれていた言葉。


途中で途切れていた名前。


そして、長い年月を越えて自分たちが見つけた、淡い光。


「オルフェが命を懸けて封印して」


「鍵を残して」


「自分で場所まで忘れて……」


「――百年後に、僕たちが見つけた」


「ええ」


ハルモニアが頷いた。


「彼が望んだ相手が、あなたたちだったのかは」


「――私にも分かりません」


「ですが」


その表情が、僅かに柔らかくなる。


「精霊の涙は百年の時を越え」


「あなたたちの手に届きました」


ナナセは何も答えなかった。


ただ、目の前の紅茶へ視線を落とす。


百年前、オルフェが何を考えてあの地下を作ったのか。


それを知る前と知った今では、あの場所の見え方がまるで違っていた。


「……オルフェは」


小さな声が聞こえた。


声の主はポラリスだった。


ナナセが膝の上へ目を向ける。


「ん?」


「あの後も、ずっと……ペルスと一緒だったの?」


その問いに、根の流路へ再び静寂が落ちた。


ポラリスは顔を上げない。


「死んだあとも」


「百年間……ずっと?」


答えたのは、ハルモニアではなかった。


「……そう考えるべきでしょうね」


ラクテアだった。


その顔には、


百年前の記憶を語っていた時とはまた違う苦しさが滲んでいた。


「私たちも、その全てを知っているわけではありません」


「ですが」


ラクテアは一度、目を伏せる。


「あなた方が出会った死霊――オルフェは」


「間違いなく、あのオルフェウスです」


「……」


ポラリスの手の中で、焼き菓子が僅かに軋んだ。


ナナセはその小さな頭へ、そっと手を置いた。


「ポラリス」


「……なに?」


「潰れるよ」


「……」


自分の手元を見る。


焼き菓子には、小さな亀裂が入っていた。


「……食べる」


「うん」


ポラリスは小さく答えると、欠けた焼き菓子を一口だけ齧った。


だが。


いつものように、美味しそうな顔はしなかった。


その姿を見つめていたヒナノが、ぽつりと呟く。


「……なんか」


「嫌だな」


「何が?」


サツキが隣を見る。


「あたしたちが知ってるオルフェって」


「もっと……」


言葉を探す。


「嫌な奴だったじゃん」


誰も否定しなかった。


「子供まで使って」


「人の命なんか何とも思ってないみたいで」


ヒナノは眉を寄せる。


「でも」


「昔は、あんな人だったんだなって」


「……そうね」


サツキも小さく頷いた。


だからといって、


百年の間にオルフェがしたことまでなくなるわけではない。


救われるわけでも。


許されるわけでもない。


ただ、最初から怪物だったわけではない。


その事実だけが、重く残った。


「百年……か」


ナナセが呟く。


「長いよね」


ラクテアの瞳が、僅かに揺れた。


「ええ」


「とても」


短い答え。


そこに込められた意味を、ナナセはそれ以上聞かなかった。


代わりに、ふと一つの疑問が浮かぶ。


「……あれ?」


ナナセが顔を上げた。


「どうしたの?」


ヒナノが尋ねる。


「いや」


ナナセは少し考える。


百年前の出来事を、一つずつ頭の中で辿っていく。


オルフェ。


フィラ。


ラクテア。


精霊の涙。


ペルス。


そして――


「ハーデスは?」


その名前に、ラクテアの表情が僅かに変わった。


「オルフェは、兄さんを助けてってペルスに頼んだんだよね?」


「はい」


「ペルスも」


ナナセの目が細くなる。


「ちゃんと助けたって言ってた」


オルフェの死後、報酬を求めて現れたペルスが確かにそう告げていた。


――僕、ハーデスを助けたよ。


だから。


報酬を貰いに来た。


「ってことは」


ナナセがハルモニアを見る。


「――生きてたんだよね?」


僅かな沈黙。


やがて、ハルモニアが頷いた。


「ええ」


その答えに、サツキたちの表情が変わった。


「ハーデスは」


ハルモニアは静かに続ける。


「あの夜――死んではいません」


百年前。


オルフェが命を落とした、あの夜。


もう一人の男の物語は、まだ終わっていなかった――


【第百二十九話へ続く】


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