表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/121

【第百十一話】決裂

〈百年前・人間領・ハーデスの研究室〉


「――全部、本気なの?」


研究室へ重い沈黙が落ちた。


ハーデスは、目の前に立つ弟を静かに見つめている。


その顔に一瞬だけ驚きが浮かんだものの、


すぐにいつもの落ち着いた表情へ戻った。


「……ああ」


否定はしなかった。


オルフェウスの拳が強く握られる。


「フィラが死ぬって分かってて?」


「ああ」


「最初から?」


「フィラが情報核を補完できると分かったのは、先日の実験だ」


ハーデスの視線が、机の上で淡い光を放つ精霊の涙へ向かう。


「だが――分かった以上、使わない理由はない」


「……っ!」


オルフェウスが一歩踏み出した。


「それじゃあ!」


「フィラを救うための研究じゃなかったの!?」


「違う」


返ってきたのは、迷いのない即答だった。


オルフェウスの表情が固まる。


「私は一度も」


「フィラ一人を救うために研究しているとは言っていない」


「……兄さん」


「私は世界を変えると言った」


ハーデスは淡々と言葉を続ける。


「二人目のフィラ」


「三人目のフィラ」


「これから先、同じ涙を流す者を生み出さないために」


僅かに目を細めた。


「私が望む平等な世界のためなら――」


ハーデスは僅かに目を細める。


「犠牲くらいは受け入れる」


オルフェウスは何も言わず、兄を睨み続けた。


やがて、震える唇から声が漏れる。


「……違うよ」


ハーデスの眉が僅かに動く。


「そんなの、フィラを救うことになってない」


「一人を犠牲にして、これから先の誰かを救うなんて」


オルフェウスは真っ直ぐ兄を見据えた。


「そんな世界を、フィラも僕も望んでいない」


「――望むかどうかは関係ない」


返ってきた声は冷たかった。


「必要かどうかだ」


オルフェウスは、それ以上何も言わなかった。


ハーデスから視線を外し、精霊の涙が置かれた机へ歩き出す。


「何をする気だ?」


「精霊の涙を返してもらう」


「それはできない」


「……なら、僕が持って帰る」


足を止めることなく手を伸ばす。


その瞬間――


鋭い光が視界を横切った。


「っ!」


反射的に身体を捻る。


光の刃は頬を浅く切り裂き、そのまま背後の石壁へ突き刺さった。


轟音とともに壁が砕け、細かな石片が研究室へ降り注ぐ。


オルフェウスには、何が起きたのか理解できなかった。


頬を伝う生温かい感触。


指先で触れると、血が付いていた。


「……兄さん?」


振り返った先で、ハーデスは右手をこちらへ向けていた。


掌の前には、淡い光を放つ術式が浮かんでいる。


「悪いな、オルフェ」


「お前を行かせるわけにはいかない」


「……本気で」


オルフェウスの瞳が揺れる。


「僕まで殺すつもり?」


「できれば殺したくはない」


ハーデスは小さく息を吐いた。


「だが、お前はフィラを止めるだろう」


「そして、私たちの邪魔をする」


「……」


「人間である以上、残された時間は少ない」


「これだけの機会を逃がす余裕もないのだ」


再び術式へ光が集まっていく。


「だから――そこを退け」


それでも、オルフェウスは動かなかった。


代わりに視線を研究室の隅へ移す。


そこでは、あの男が楽しそうに二人を眺めていた。


「……お前は」


男が僅かに首を傾げる。


「兄さんの契約精霊じゃないな」


「ええ」


あまりにも簡単に認めた。


「何者かと聞かれましても、今は答える必要もないでしょう」


「……」


「安心してください」


男は一歩後ろへ下がり、壁へ背を預ける。


「手を出すつもりもありませんから」


口元の笑みを深めた。


「どうぞ――兄弟のお話を続けてください」


オルフェウスは男を睨んだが、すぐにハーデスへ視線を戻した。


「兄さん」


「最後に、もう一度だけ言うよ」


「こんなことは、やめよう」


「精霊の涙を返して」


「フィラにも全部話す」


「それで終わりにしよう」


ハーデスは静かに首を横へ振った。


「できない」


「……そっか」


小さく息を吐いたオルフェウスは、腰の革鞄へ手を入れた。


取り出したのは、小さな薬瓶。


ハーデスが目を細める。


「オルフェ」


「お前は昔から戦いが嫌いだったな」


「……今でも嫌いだよ」


瓶を握り締めながら、オルフェウスは苦笑した。


「魔法だって、薬草を採る時に使うくらいだ」


「だったら退け」


「それもできない」


笑みが消える。


「僕は――フィラを死なせたくない」


次の瞬間、ハーデスの周囲に展開された術式が一斉に輝いた。


幾筋もの光が研究室を切り裂く。


オルフェウスは持っていた瓶を床へ叩きつけた。


瓶が砕ける。


中の薬液が空気へ触れた瞬間、濃密な白煙が爆発するように広がった。


幾筋もの光が、白煙の中へ飲み込まれていく。


その隙を逃さず、オルフェウスは精霊の涙へ向かって駆け出した。


あと数歩。


手を伸ばせば届く。


「甘い」


煙の向こうから聞こえた声と同時に、足元へ幾何学模様が走った。


「なっ――!」


床を突き破るように光の鎖が伸び、両足へ絡みつく。


勢いを殺し切れないまま身体が宙へ投げ出され、


そのまま背中から本棚へ激突した。


「ぐっ!」


積み上げられていた本や書類が頭上から崩れ落ちる。


肺から空気が押し出され、息が詰まった。


煙を裂くように、ハーデスがゆっくりと歩いてくる。


「お前の手札くらい、兄である私が知らないと思ったか?」


光の鎖が両腕まで這い上がり、身体を締め付ける。


「薬草から抽出した毒」


「魔力を乱す薬」


「煙や閃光による目眩まし」


ハーデスが右手を向けた。


「薬師としては見事だが――私には通用しない」


「……そうだね」


光の鎖に締め付けられながら。


オルフェウスは苦しそうに、それでも笑った。


「昔の僕なら」


ハーデスの眉が動く。


オルフェウスの左手が腰の鞄へ潜り込んだ。


再び薬瓶が出てくる。


そう思ったハーデスの目が、僅かに見開かれた。


「――何だ、それは」


取り出されたのは、一冊の本だった。


深緑色の装丁。


表紙には、古い術式が幾重にも刻まれている。


オルフェウスが片手で本を開いた。


「コンステラで教えてもらったんだ」


風もない研究室で、ページがひとりでに捲れていく。


「魔法って」


「植物を育てる以外にも、色々できるんだね」


魔導書が淡い光を放つ。


オルフェウスが右手の人差し指と中指を立てた。


その瞬間。


本の周囲へ複数の魔法陣が展開された――


【第百十二話へ続く】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ