【第九十九話】百年前への序章
〈世界樹・根の流路〉
静寂が訪れる。
根の流路を流れる精霊流だけが、星空のように淡く輝いていた。
ハルモニアへ視線が集まる。
「……長い話になります」
「構わないよ」
「そのために、円卓と椅子まで用意してくれたんでしょ」
笑みを浮かべるナナセ。
思わずつられるように、ハルモニアも微笑んだ。
「かないませんね」
「せっかくなら、紅茶とお菓子でも用意しましょう」
指先を軽く鳴らす。
円卓の上へ湯気の立つ紅茶と、小さな焼き菓子が次々と並んでいった。
『お菓子っ!』
ナナセの目の前へ白い光が集まる。
光は少女の姿となり、当然のようにナナセの膝の上で立っていた。
「……行儀悪いよ?」
「じゃあ、ナナセの膝貸して」
返事を待たずに、座り込むポラリス。
「貸してじゃなくて、もう座ってるよね?」
『細かい』
ポラリスは焼き菓子へ手を伸ばす。
その姿を見つめるハルモニアの表情が、少しだけ柔らかくなった。
「――お久しぶりですね」
「覚えていないでしょうが……」
ポラリスは焼き菓子を咥えたまま首を傾げる。
「ちゃんとは覚えてないけど……」
「でも、“あの時”逃がしてくれたんだよね」
「それだけは覚えてるよ!」
「ありがとう!」
その一言だった。
ハルモニアの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
驚いたようにエトが歩み寄った。
「……ハルモニア様?」
「……大丈夫です」
目元を指先で拭う。
「ただ、嬉しいだけですから……」
長い年月を越えて届いた感謝。
その重みを噛み締めるように、ハルモニアは静かに微笑んだ。
誰も急かさなかった。
根の流路には穏やかな時間だけが流れていた。
やがて。
ヒナノが思い出したように口を開く。
「そもそもだけどさ……」
「場所が分かっていたなら、取り戻せなかったの?」
ハルモニアは静かに頷く。
「私自身は何もできないですよ」
「私は、この世界の調和を見守る存在です」
「そして、世界樹と根の流路を管理することが役目です」
世界樹へ視線を向ける。
「世界中へ伸びる根を通して、多くの出来事を知ることはできます」
「ですが」
「知ることと、介入できることは別なのです」
「ジェネシスのように地上を歩き」
「食べたり飲んだり」
「人と触れ合うことはできません」
ナナセが静かに頷いた。
「だから、ジェネシスの件を僕に頼んだ」
「そういうことか」
「ええ」
「あなたたちだからこそ、私の代わりを頼めました」
オボロも口を開く。
「おそらく……」
「私とナナセ様へ託された、七年前のヤクモノ島の件も」
「同じ理由だったのでしょうね」
「その通りです」
ハルモニアは優しく微笑んだ。
「私は導くことしかできません」
「歩くのは、皆さん自身なのです」
静かな沈黙が流れる。
やがてハルモニアは一つ息を吐いた。
「――さてと」
「シドーにあった秘宝についてですね」
円卓を囲む全員へ視線を巡らせる。
「まず、一つだけ訂正しましょう」
その声は穏やかだった。
けれど。
どこか懐かしむようでもあった。
「この物語の主人公は」
「オルフェではありません」
ナナセたちは黙って続きを待つ。
「彼は確かに、この物語の中心にいました」
「ですが」
「主人公ではないのです」
ラクテアが静かに目を伏せる。
ブレルも何も言わない。
エトだけが、不思議そうにラクテアを見つめていた。
「これは」
「一人のエルフと一人の人間が」
「寿命という壁に向き合った物語です」
ハルモニアの声は、どこか寂しかった。
「願いは、時に人を救います」
「ですが」
「強すぎる願いは、やがて人を壊してしまうこともあるのです」
ハルモニアは静かに目を閉じた。
遠い昔を思い出すように。
誰も言葉を挟まない。
「百年前――」
ハルモニアが静かに口を開く。
「まだ彼が、オルフェと名乗る前」
「一人の青年だった頃の話です」
「始まりは――」
「“レーヌ”の後継者候補だった一人のエルフと」
「精霊に愛されていた、一人の人間との出会いでした」
根の流路を流れる光が、静かに揺らいでいく。
世界樹が百年前の記憶を呼び起こすように。
ハルモニアは、遠い過去を思い返していた――
【第百話へ続く】




