第9話「業継、ナノマシンの初設計に入る」
夜。
九条本邸の一室。
窓の外は静かで、山の気配だけがわずかに残っている。
業継は机に向かい、画面を見ていた。
だが、今日はいつもと違う。
地図ではない。
鉱脈でもない。
画面に映っているのは――人体の構造図だった。
「……これ、できると思う?」
『質問の対象を確認します』
「体の中で動くやつ」
業継は指で画面をなぞる。
血管。
細胞。
腫瘍の簡易モデル。
「ここに入ってさ、悪いとこだけ直すやつ」
『ナノマシン医療の概念と一致します』
「それ」
業継は椅子にもたれた。
目は真剣だが、どこか楽しそうでもある。
「鉱脈より、こっちのほうが大事だろ」
『重要度は高いと評価されます』
「だよな」
その時点で、方向は決まっていた。
業継は、もう次に進んでいる。
ただし今回は、少し違う。
すぐに“やろう”とはしなかった。
「……でも、さすがにこれは」
『はい』
「いきなりは無理だよな」
自分でブレーキをかけた。
ほんの少しの変化。
だが確実な変化だった。
『認識更新を確認』
アークの表示が出る。
「だって、これ失敗したらヤバいだろ」
『極めて高リスクです』
「だよなあ」
業継は少しだけ顔をしかめた。
「鉱脈ならまだいい。山が変わるだけだ。
だけど、人の中だから間違えたら終わる。
それでも...」
止まらない。
「できたら、すごいよな」
『はい』
「病気とか、全部いけるだろ」
『理論上は可能性があります』
「じゃあやる」
『条件付きで許容します』
即座に返ってきた。
業継が少し驚く。
「いいの?」
『設計段階に限定します』
「設計だけ?」
『はい。実装・実験は現段階では非許可です』
はっきりとした線引きだった。
業継は少し考える。
やりたいのは“作ること”だ。
だが今は、“作る前”の段階でもいい。
むしろ――
「設計のほうが面白いかもな」
『合理的です』
⸻
画面が切り替わる。
人体モデルの拡張。
細胞単位の表示。
さらに、異常細胞のパターン。
業継は指を動かす。
「まずさ」
『はい』
「何するやつにする?」
『目的の定義を推奨します』
「じゃあ――」
少し考える。
そして、決めた。
「ガン」
『腫瘍細胞の識別・排除ですね』
「そう」
業継は画面に小さな点を描く。
「これがナノマシンだとして」
『仮想モデルを生成します』
画面上に、極小の構造体が表示される。
まだ粗い。
だが形はある。
「これが体の中を動く」
『移動方式を定義してください』
「血流に乗る」
『受動移動。制御精度は低下します』
「じゃあ一部は自分で動く」
『エネルギー源が必要です』
「体の中から取れない?」
『可能性はありますが、効率は限定的です』
会話はどんどん進む。
まるで、最初からそこにあった設計を掘り起こしているように。
業継は止まらない。
「で、悪いやつだけ見つける」
『識別方法を定義してください』
「目印つけるとか?」
『外部マーカー方式は現実的ですが、事前処理が必要です』
「じゃあ中で判別」
『難易度が上昇します』
「できない?」
『不可能ではありません』
業継は笑った。
「じゃあやる」
その一言で、設計が一段進む。
アークが補助する。
だが主導は業継だ。
(直感だけど...)
“できる気がする”という確信。
(だから、設計を前へ進めていく)
⸻
一時間後。
画面には、最初の簡易モデルができていた。
(不完全で粗い」
だが――
「それっぽいな」
『初期設計としては有効です』
業継は少しだけ満足そうに頷く。
「これで、ガンだけ壊せる」
『理論上は可能です』
「理論上か」
『現段階ではそれ以上の評価は不可能です』
業継は腕を組む。
(ここまでは順調に出来た。
だけど、ここから先が全然違う。)
“作る”では済まない。
「……これ、どうやって作るんだ」
『現在の技術水準では困難です』
「だよな」
業継はあっさり認めた。
珍しいことだった。
今までは、“できる”前提で進んできた。
だが今回は違う。
「じゃあ、どうする」
『段階分割を推奨します』
「段階?」
『単機能化です』
画面が分割される。
ナノマシンの機能が細かく分けられていく。
『移動』
『識別』
『破壊』
『排出』
「分けるのか」
『はい。一体化は後です』
業継はそれを見て、少し考える。
そして頷いた。
「それならいけるな」
小さく、しかし確実に。
方向が定まる。
⸻
その時。
扉の外で足音が止まった。
「……起きているな」
低い声。
業真だった。
「父さん?」
「入るぞ」
扉が開く。
業真は部屋に入り、画面を見た。
一瞬で理解した。
「……医療か」
業継は少しだけ苦笑した。
「バレるよな」
「隠す気がないからだ」
業真は画面に近づく。
しばらく黙って見てから、言う。
「どこまでやった」
「設計だけ」
「実験は」
「やってない」
その答えに、業真は一度だけ頷いた。
「それでいい」
業継は少し驚く。
「止めないの?」
「止める必要はない」
静かな声だった。
「だが、線は引く」
「線?」
「人に使うな」
はっきりと言い切った。
業継はすぐに頷く。
「うん」
「動物もだ」
「そこまで?」
「そこまでだ」
迷いはなかった。
これは父としてではない。
統治者としての判断だ。
「……わかった」
業継は素直に従った。
ここは逆らうところじゃないと理解している。
業真は少しだけ視線を緩める。
「設計は続けろ」
「いいの?」
「いずれ必要になる」
その言葉は、未来を見ている。
資源だけでは終わらない。
この力は、必ず医療にも向かう。
それを理解しているからこその許可だった。
「ただし」
業真は続ける。
「この件は、まだ外に出すな」
「橘さんにも?」
「……段階を見て判断する」
業継は少し考えた。
橘なら手伝える。
だが、まだ早いかもしれない。
「わかった」
アークが表示する。
『合理的判断です』
「お前はもうそれしか言わないな」
『現状は最適です』
業真はそのやり取りを見て、何も言わなかった。
だが、わかっている。
この“補助”がなければ、業継はもっと先へ行ってしまう。
止められない速さで。
⸻
業真が部屋を出た後。
業継はもう一度画面を見た。
ナノマシン。
まだ形だけ。
だが確実に、“次の世界”につながっている。
「なあ」
『はい』
「これ、いつかできると思う?」
少しだけ、真面目な声だった。
アークは、わずかに間を置いて答えた。
『はい』
その一言は、いつもより少しだけ重かった。
「……そっか」
業継は小さく笑った。
ならやる。
ただし、順番に。
段階的に。
今度はちゃんと、積み上げる。
資源で土台を作り、
技術で支え、
そして――
命に触れる。
その最初の一歩が、今、静かに始まっていた
感想や評価をお願いします




