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アヒルの箱庭  作者: 倉木元貴


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第39話

 深夜の凛の部屋は、静寂というより“停止”に近かった。

 空気は動かず、温度も変わらず、時間だけがどこか遠くで流れているような感覚。

 窓の外の闇は、まるで深い水の底のように濃く沈んでいた。


 凛は窓際に立ち、アヒルを抱いたまま外を見つめていた。

 その背中は、昨日よりもさらに薄く、輪郭が揺れて見える。

 光の層から少しだけ浮いているような、不安定な存在感。


「……凛ちゃん、もう窓から離れよう。本当に危ないよ」


 悠が声をかけると、凛はゆっくりと振り返った。

その瞳の奥の白い構造は、もはや“形”になりつつあった。

 黒目の奥で、細い白い線が絡み合い、何かの“目”のようなものを作りかけている。


「……佐伯さん。聞こえませんか?」


「何が……?」


「……ガラスの呼吸です」


 凛は窓に手を触れた。

 その瞬間――ガラスが、ふっと“膨らんだ”。


 音はしない。

 割れもしない。

 ただ、ガラスそのものが、まるで肺のように“吸った”のだ。


 ひゅう……

 すう……


 凛の呼吸と同じリズムで、ガラスがわずかに脈打つ。


「……ほら。合わせてきてます」


 凛の声は静かだった。

 怖がっているわけではない。

 むしろ、懐かしいものに触れたような落ち着き。


「凛ちゃん、離れて……!」


 悠が凛の腕を掴んだ瞬間――ガラスが“吐いた”。


 すう……

 ひゅう……


 今度は逆のリズムで、内側へ沈む。


 ガラスの表面が、ほんのわずかに波打つ。

 まるで、向こう側の空気がこちらへ押し寄せているように。


「……境界が薄いんです。叩かれたから」


 凛はガラスに手を重ねた。

 その指先が、白く染まる。


「次は……開きます」


「開かなくていい。開いちゃだめだよ」


「……でも、呼んでるから」


 凛の声は、もう“こちら側の声”ではなかった。

 どこか遠く、深い場所から響いているような薄い音。


 ガラスが、また膨らむ。また沈む。呼吸のように。


 ひゅう……

 すう……


 そのたびに、窓の外の闇がわずかに揺れ、白い線が、ほんの一瞬だけ浮かび上がる。


 人の目の位置に。人の手の位置に。


 すぐに消える。

 けれど、確かにそこに“いた”。


「……佐伯さん」


 凛は静かに言った。


「境界が……震えてます」


 その言葉と同時に、ガラスの中央に、細い白い亀裂が“呼吸に合わせて”脈打った。


 深夜の凛の部屋は、静寂というより“停止”に近かった。

 空気は動かず、温度も変わらず、時間だけがどこか遠くで流れているような感覚。

 窓の外の闇は、深い水底のように濃く沈んでいた。


 凛は窓際に立ち、アヒルを抱いたまま外を見つめていた。

 その背中は、昨日よりもさらに薄く、輪郭が揺れて見える。

 光の層から少しだけ浮いているような、不安定な存在感。


「……凛ちゃん、もう窓から離れよう。本当に危ないよ」


 悠が声をかけると、凛はゆっくりと振り返った。

 その瞳の奥の白い構造は、もはや“形”になりつつあった。

 黒目の奥で、細い白い線が絡み合い、何かの“目”のようなものを作りかけている。


「……佐伯さん。境界が……薄いんです」


「薄いって……どういうこと?」


「……呼吸が合ってるから。ガラスと、影と、私の」


 凛は窓に手を触れた。

 その瞬間――ガラスが、ふっと“吸った”。


 ひゅう……

 すう……


 凛の呼吸と同じリズムで、ガラスがわずかに膨らむ。


 そして――ガラスの中央に、細い白い線が浮かび上がった。


 最初は、ただの光の反射のようだった。

 けれど、次の呼吸で――


 ピシ……


 白い線が、亀裂になった。


「……今の、聞こえましたか?」


 凛の声は静かだった。

 怖がっているわけではない。

 むしろ、確かめるような響き。


「凛ちゃん、離れて……!」


 悠が凛の腕を掴んだ瞬間――亀裂が、呼吸に合わせて“脈打った”。


 ひゅう……

 すう……


 ガラスの白い亀裂が、まるで生き物のように震える。


「……境界が、呼吸してます」


 凛はガラスに手を重ねた。

 その指先が、白く染まる。


「次は……開きます」


「開かなくていい。開いちゃだめだよ」


「……でも、呼んでるから」


 凛の声は、もう“こちら側の声”ではなかった。

 どこか遠く、深い場所から響いているような薄い音。


 ガラスの亀裂が、また脈打つ。

 また震える。

 また広がる。


 ピシ……ピシ……


 白い線が、ゆっくりと枝分かれし始めた。


 窓の外の闇が揺れ、白い目の線が、ほんの一瞬だけ浮かび上がる。


 すぐに消える。

 けれど、確かにそこに“いた”。


「……佐伯さん」


 凛は静かに言った。


「境界が……開きたがってます」


 その言葉と同時に、白い亀裂が、呼吸に合わせて大きく脈打った。


 深夜の凛の部屋は、静寂というより“停止”に近かった。

 空気は動かず、温度も変わらず、時間だけが遠くで流れているような感覚。

 窓の外の闇は、深い水底のように濃く沈んでいた。


 ガラスの中央には、白い亀裂が走っている。

 呼吸に合わせて脈打ち、震え、広がり、また縮む。

 まるで、生き物のように。


 ひゅう……

 すう……


 凛の呼吸と完全に同期していた。


「……凛ちゃん、もう窓から離れよう。

 本当に危ないよ」


 悠が声をかけると、凛はゆっくりと振り返った。

 その瞳の奥の白い構造は、もはや“形”になっていた。

 黒目の奥で、細い白い線が絡み合い、何かの“目”のようなものを作りかけている。


「……佐伯さん。境界が……開きたがってます」


「開かなくていい。開いちゃだめだよ」


「……でも、呼んでるから」

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