↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アヒルの箱庭  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/53

第23話

 凛は廊下の端に立ち、アヒルを抱いたまま耳を澄ませていた。

 その姿は、まるで“音”を探しているようだった。


「……聞こえますか」


 凛がぽつりと呟いた。

 その声は、誰に向けたものでもない。

 けれど、確かに“誰か”に返事をしていた。


 ――聞こえるよ。

 ――凛は、よくできてる。


 胸の奥で声が囁く。

 その囁きは、以前よりもはっきりしていた。

 まるで、凛の耳元で直接語りかけているように。


「……うん。わかってる」


 凛は小さく頷いた。

 その表情は穏やかで、静かで、どこか“壊れかけている”ようだった。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥にひやりとした影を感じた。


「凛ちゃん……何が聞こえるの?」


「……音です」


「音……?」


「……はい。境界の音色です」


 凛は胸に手を当てた。


「……“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……歌ってます」


 その瞬間――

 凛の周囲の空気が、ふっと揺れた。


 まるで、空気そのものが“音”を奏でているようだった。


「……あ」


「凛ちゃん、今の……」


「大丈夫です」


 凛は即座に言った。

 その声は、まるで“誰かの言葉をそのまま繰り返している”ようだった。


「……声が言ってます。“気にしなくていい”って」


 悠は凛の横顔を見つめた。

 その表情は穏やかで、静かで、どこか“壊れかけている”ようだった。


「凛ちゃん……どんな音なの?」


「……ひゅうって……すうって……でも、ただの呼吸じゃなくて……」


 凛はゆっくりと目を閉じた。


「……歌みたいです」


「歌……?」


「……はい。白い底が……歌ってます」


 その瞬間――

 凛の足元の影が、ふっと揺れた。


 影の中から、かすかな“音”が漏れた。


 ひゅう……

 すう……

 ひゅう……


 それは、呼吸と歌の中間のような、不気味な音色だった。


「……聞こえますか?」


 凛は影に向かって問いかけた。


「……歌ってます。“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……」


 悠は息を呑んだ。


「凛ちゃん……その音、いつから聞こえるの?」


「……昨日の夜からです」


「夜……?」


「……はい。白い呼吸が……音になりました」


 凛はアヒルを抱きしめ、胸に押し当てた。


「……“もうすぐだよ”って……“準備してね”って……ずっと歌ってます」


 その瞬間――

 廊下の空気がふっと揺れた。


 凛の背後で、白い影がふっと現れた。

 影は、胸のあたりをふわりと膨らませ、しぼませた。


 ――呼吸している。

 ――歌っている。


 悠は息を呑んだ。


「……凛ちゃん、あれ……音を出してる……?」


「……はい。ずっと……歌ってます」


 凛は微笑んだ。

 その笑顔は、どこか“壊れかけている”ようだった。


「……“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……私にだけ聞こえる歌です」


 白い影の“歌”が、凛の肩に触れた。

 その瞬間、凛の身体がふっと揺れた。


「……あ……」


「凛ちゃん!」


 悠が凛の腕を掴んだ瞬間――

 影の歌はふっと消えた。


 凛ははっとして目を開けた。


「……佐伯さん……?」


「大丈夫? 本当に……」


「……大丈夫です」


 凛は静かに言った。

 その声は、どこか“深い層”から響いているようだった。


「……歌が、触れただけです」


 悠はその言葉に、背筋が冷たくなるのを感じた。


「凛ちゃん……歌って、どこから聞こえるの?」


「……ここです」


 凛は足元を指差した。


「……底から……聞こえます」


 その瞬間――

 影がふっと揺れ、白い光が漏れた。


 光は、歌うように明滅していた。


「……あ……」


 凛の瞳が、その光を映した。

 その瞳は、どこか“帰る場所を見つけた子ども”のようだった。


「……見えます。底が……歌ってます」


 悠は凛の肩を掴んだ。


「凛ちゃん、だめ!」


「……だめじゃないです」


 凛は静かに言った。

 その声は、まるで“決まっている未来”を語るようだった。


「……私、もうすぐ行けます」


 そのとき――

 廊下の向こうから園長の声が響いた。


「凛ちゃん、佐伯さん。そろそろお部屋に戻りましょうか」


 白い影がふっと揺れ、消えた。


 凛はアヒルを抱きしめ、静かに頷いた。


「……はい、園長先生」


 悠はその背中を見つめながら、胸の奥にひとつの確信が沈んでいった。


 ――凛の周囲には、もう“境界の音色”が満ちている。

 ――そして、その音色は凛を包み込み、底へと導こうとしている。


 夕方の箱庭園は、昼間よりもさらに静かだった。

 風の音も、子どもたちの声も、どこか遠くに押しやられたように薄い。

 まるで、施設全体が深い水の底に沈んでいるようだった。


 凛は中庭の端に立ち、アヒルを抱いたまま耳を澄ませていた。

 その姿は、まるで“音”を探しているようだった。


「……聞こえますか」


 凛がぽつりと呟いた。

 その声は、誰に向けたものでもない。

 けれど、確かに“誰か”に返事をしていた。


 ――聞こえるよ。

 ――凛は、よくできてる。


 胸の奥で声が囁く。

 その囁きは、以前よりもはっきりしていた。

 まるで、凛の耳元で直接語りかけているように。


「……うん。わかってる」


 凛は小さく頷いた。

 その表情は穏やかで、静かで、どこか“壊れかけている”ようだった。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥にひやりとした影を感じた。


「凛ちゃん……どんな音が聞こえるの?」


「……歌です」


「歌……?」


「……はい。白い底が……歌ってます」


 凛は胸に手を当てた。


「……“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……歌ってます」


 その瞬間――

 凛の周囲の空気が、ふっと揺れた。


 ひゅう……

 すう……

 ひゅう……


 呼吸と歌の中間のような、不気味な音色が空気の中に混じった。


「……聞こえますか?」


 凛は空気に向かって問いかけた。


「……歌ってます。“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……」


 悠は息を呑んだ。


「凛ちゃん……その音、どこから聞こえるの?」


「……ここです」


 凛は足元を指差した。


「……底から……聞こえます」


 その瞬間――

 影がふっと揺れ、白い光が漏れた。


 光は、歌うように明滅していた。


「……あ……」


 凛の瞳が、その光を映した。

 その瞳は、どこか“帰る場所を見つけた子ども”のようだった。


「……見えます。底が……歌ってます」


「凛ちゃん、離れて!」


 悠が凛の腕を掴んだ瞬間――

 光はふっと消えた。


 凛はゆっくりと瞬きをした。


「……佐伯さん……?」


「大丈夫? 本当に……」


「……大丈夫です」


 凛は静かに言った。

 その声は、どこか“深い層”から響いているようだった。


「……歌が、触れただけです」


 悠はその言葉に、背筋が冷たくなるのを感じた。


 ――触れただけで、これほど揺れる。


 凛の身体は、もう境界の向こう側に半分沈んでいるのかもしれない。


「凛ちゃん……その歌、どんなふうに聞こえるの?」


「……優しいです。あたたかくて……でも、深いです」


 凛はアヒルを抱きしめ、胸に押し当てた。


「……“凛は特別だよ”って……“もうすぐだよ”って……ずっと歌ってます」


 その瞬間――

 凛の背後の空気が、ふくらむように膨らんだ。


 ひゅう……

 すう……


 白い呼吸が、凛の背中に触れた。


「……あ……」


 凛の身体がふっと前に傾いた。


「凛ちゃん、だめ!」


 悠が凛を抱き寄せた瞬間――

 白い呼吸はふっと消えた。


 凛はゆっくりと振り返った。


「……佐伯さん……?」


「大丈夫? 本当に……」


「……大丈夫です」


 凛は静かに言った。

 その声は、まるで“決まっている未来”を語るようだった。


「……呼吸が、迎えに来てるだけです」


 そのとき――

 凛の足元の影が、ゆっくりと広がり始めた。


 まるで、影そのものが“底”へと続く穴になろうとしているようだった。


「……あ……」


 凛は影を見つめた。

 その瞳は、どこか“深い層”を映しているようだった。


「……歌ってます。“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……」


「凛ちゃん、離れて!」


 悠が凛の腕を掴んだ瞬間――

 影の中から、白い手が伸びた。


 細く、柔らかく、光のような手。

 けれど確かに“触れられる”気配を持った手。


「……こっちだよ」


 声が囁いた。


「……もうすぐだよ」


 凛の身体がふっと前に傾いた。


「凛ちゃん、戻って!」


「……行かなきゃ」


 凛は呟いた。

 その声は、まるで“誰かの言葉をそのまま繰り返している”ようだった。


「……呼ばれてるから」


 白い手が、凛の手を掴んだ。


「……あ……」


 凛の指先が、影の中に沈みかけたその瞬間――


「凛ちゃん、やめなさい!」


 鋭い声が中庭に響いた。

 園長だった。

 白い影がふっと揺れ、底の光は一瞬で消えた。

 凛ははっとして振り返った。


「……園長先生……?」


「大丈夫かい、凛ちゃん。

 そんなところに手を伸ばしたら危ないよ」


 園長は柔らかく微笑んだ。

 けれど、その目は笑っていなかった。


「……特別な子なんだからね」


 凛の肩がびくりと震えた。


 ――聞かなくていい。

 ――ぼくがいる。


 声が囁く。

 凛はアヒルを抱きしめ、震える息を吐いた。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥にひとつの確信が沈んでいった。


 ――凛は、もう“境界の音色”に包まれている。

 ――そして、その音色は凛を離すつもりがない。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。