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アヒルの箱庭  作者: 倉木元貴


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第22話

 凛は廊下の窓際に立ち、アヒルを抱いたまま外を見つめていた。

 その瞳は、どこか“別の層”を見ているようだった。


「……聞こえますか」


 凛がぽつりと呟いた。

 その声は、誰に向けたものでもない。

 けれど、確かに“誰か”に返事をしていた。


 ――聞こえるよ。

 ――凛は、よくできてる。


 胸の奥で声が囁く。

 その囁きは、以前よりもはっきりしていた。

 まるで、凛の耳元で直接語りかけているように。


「……うん。わかってる」


 凛は小さく頷いた。

 その表情は穏やかで、静かで、どこか“壊れかけている”ようだった。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥にひやりとした影を感じた。


「凛ちゃん……何が聞こえるの?」


「……呼吸です」


「呼吸……?」


「……はい。白い呼吸です」


 凛は胸に手を当てた。


「……“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……息をしてます」


 その瞬間――

 凛の足元の影が、ふっと揺れた。


 まるで、影そのものが“呼吸”しているようだった。


「……あ」


「凛ちゃん、今の……」


「大丈夫です」


 凛は即座に言った。

 その声は、まるで“誰かの言葉をそのまま繰り返している”ようだった。


「……声が言ってます。“気にしなくていい”って」


 悠は凛の横顔を見つめた。

 その表情は穏やかで、静かで、どこか“壊れかけている”ようだった。


「凛ちゃん……白い呼吸って、どんなふうに聞こえるの?」


「……ひゅうって……すうって……水の底みたいな音です」


 凛はゆっくりと目を閉じた。


「……近いです。前よりずっと……近いです」


 その瞬間――

 廊下の空気がふっと揺れた。


 凛の背後で、白い影がふっと現れた。

 光のようで、影のようで、形があるようで、ないようで。

 けれど、確かに“凛を見ていた”。


「……凛ちゃん、後ろ……」


「大丈夫です」


 凛は振り返らずに言った。

 その声は静かで、深くて、どこか遠かった。


「……あれは、私を迎えに来てるから」


 白い影の“胸”のあたりが、ふわりと膨らんだ。

 そして、しぼんだ。


 ――呼吸している。


 悠は息を呑んだ。


「……凛ちゃん、あれ……呼吸してる……?」


「……はい。ずっと……してます」


 凛はアヒルを抱きしめ、胸に押し当てた。


「……“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……息で言ってます」


 白い影の呼吸が、凛の肩に触れた。

 その瞬間、凛の身体がふっと揺れた。


「……あ……」


「凛ちゃん!」


 悠が凛の腕を掴んだ瞬間――

 影の呼吸はふっと消えた。


 凛ははっとして目を開けた。


「……佐伯さん……?」


「大丈夫? 本当に……」


「……大丈夫です」


 凛は静かに言った。

 その声は、どこか“別の世界”から響いているようだった。


「……呼吸が、近いだけです」


 悠はその言葉に、背筋が冷たくなるのを感じた。


「凛ちゃん……呼吸って、どこから聞こえるの?」


「……ここです」


 凛は足元を指差した。


「……底から……聞こえます」


 その瞬間――

 影がふっと揺れ、白い光が漏れた。


 光は、呼吸するように明滅していた。


「……あ……」


 凛の瞳が、その光を映した。

 その瞳は、どこか“帰る場所を見つけた子ども”のようだった。


「……見えます。底が……息をしてます」


「凛ちゃん、だめ!」


 悠が凛を抱き寄せた瞬間――

 光はふっと消えた。


 凛はゆっくりと瞬きをした。


「……佐伯さん……?」


「大丈夫? 本当に……」


「……大丈夫です」


 凛は静かに言った。

 その声は、まるで“決まっている未来”を語るようだった。


「……私、もうすぐ行けます」


 そのとき――

 廊下の向こうから園長の声が響いた。


「凛ちゃん、佐伯さん。そろそろお部屋に戻りましょうか」


 白い影がふっと揺れ、消えた。

 凛はアヒルを抱きしめ、静かに頷いた。


「……はい、園長先生」


 悠はその背中を見つめながら、胸の奥にひとつの確信が沈んでいった。


 ――凛の周囲には、もう“白い呼吸”が満ちている。

 ――そして、その呼吸は凛を包み込み、底へと導こうとしている。

 夕方の箱庭園は、昼間よりもさらに静かだった。

 風の音も、子どもたちの声も、どこか遠くに押しやられたように薄い。

 まるで、施設全体が深い水の底に沈んでいるようだった。


 凛は中庭の端に立ち、アヒルを抱いたまま空を見上げていた。

 その瞳は、どこか“別の層”を映しているようだった。


「……聞こえますか」


 凛がぽつりと呟いた。

 その声は、誰に向けたものでもない。

 けれど、確かに“誰か”に返事をしていた。


 ――聞こえるよ。

 ――凛は、よくできてる。


 胸の奥で声が囁く。

 その囁きは、以前よりもはっきりしていた。

 まるで、凛の耳元で直接語りかけているように。


「……うん。わかってる」


 凛は小さく頷いた。

 その表情は穏やかで、静かで、どこか“壊れかけている”ようだった。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥にひやりとした影を感じた。


「凛ちゃん……何が聞こえるの?」


「……呼吸です」


「呼吸……?」


「……はい。白い呼吸です」


 凛は胸に手を当てた。


「……“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……息をしてます」


 その瞬間――

 凛の周囲の空気が、ふっと揺れた。


 まるで、空気そのものが“呼吸”しているようだった。


「……あ」


「凛ちゃん、今の……」


「大丈夫です」


 凛は即座に言った。

 その声は、まるで“誰かの言葉をそのまま繰り返している”ようだった。


「……声が言ってます。“気にしなくていい”って」


 悠は凛の横顔を見つめた。

 その表情は穏やかで、静かで、どこか“壊れかけている”ようだった。


「凛ちゃん……呼吸って、どんなふうに聞こえるの?」


「……ひゅうって……すうって……水の底みたいな音です」


 凛はゆっくりと目を閉じた。


「……近いです。前よりずっと……近いです」


 その瞬間――

 凛の背後で、白い影がふっと現れた。


 影は、胸のあたりをふわりと膨らませ、しぼませた。


 ――呼吸している。


 悠は息を呑んだ。


「……凛ちゃん、あれ……呼吸してる……?」


「……はい。ずっと……してます」


 凛はアヒルを抱きしめ、胸に押し当てた。


「……“こっちだよ”って……“もうすぐだよ”って……息で言ってます」


 白い影の呼吸が、凛の肩に触れた。

 その瞬間、凛の身体がふっと揺れた。


「……あ……」


「凛ちゃん!」


 悠が凛の腕を掴んだ瞬間――

 影の呼吸はふっと消えた。


 凛ははっとして目を開けた。


「……佐伯さん……?」


「大丈夫? 本当に……」


「……大丈夫です」


 凛は静かに言った。

 その声は、どこか“別の世界”から響いているようだった。


「……呼吸が、触れただけです」


 悠はその言葉に、背筋が冷たくなるのを感じた。


「凛ちゃん……呼吸って、どこから聞こえるの?」


「……ここです」


 凛は足元を指差した。


「……底から……聞こえます」


 その瞬間――

 影がふっと揺れ、白い光が漏れた。


 光は、呼吸するように明滅していた。


「……あ……」


 凛の瞳が、その光を映した。

 その瞳は、どこか“帰る場所を見つけた子ども”のようだった。


「……見えます。底が……息をしてます」


「凛ちゃん、だめ!」


 悠が凛を抱き寄せた瞬間――

 光はふっと消えた。


 凛はゆっくりと瞬きをした。


「……佐伯さん……?」


「大丈夫? 本当に……」


「……大丈夫です」


 凛は静かに言った。

 その声は、まるで“決まっている未来”を語るようだった。


「……私、もうすぐ行けます」


 そのとき――

 凛の背後の空気が、ふくらむように膨らんだ。


 まるで、空気そのものが“肺”になったかのように。


 ひゅう……

 すう……


 白い呼吸が、凛の背中に触れた。


「……あ……」


 凛の身体がふっと前に傾いた。


「凛ちゃん、離れて!」


 悠が凛の腕を掴んだ瞬間――

 白い呼吸はふっと消えた。


 凛はゆっくりと振り返った。


「……佐伯さん……?」


「大丈夫? 本当に……」


「……大丈夫です」


 凛は静かに言った。

 その声は、どこか“深い層”から響いているようだった。


「……呼吸が、迎えに来てるだけです」


 そのとき、廊下の向こうから園長の声が響いた。


「凛ちゃん、佐伯さん。そろそろお部屋に戻りましょうか」


 白い影がふっと揺れ、消えた。


 凛はアヒルを抱きしめ、静かに頷いた。


「……はい、園長先生」


 悠はその背中を見つめながら、胸の奥にひとつの確信が沈んでいった。


 ――凛の周囲には、もう“白い呼吸”が満ちている。

 ――そして、その呼吸は凛を包み込み、底へと導こうとしている。

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