第10話
駆けつけたのはセグレトと使用人の青年だった。
「お嬢様が、不審な人物が出たとおっしゃっていましたが」
本当は、悲鳴を聞いて駆けつけたセグレトに、化け物だの熊だの変態だのとハチャメチャに訴えて逃げて行ったのだった。
「そりゃ、俺だ。ちょっと脅かしてやっただけだよ。心配ない」
チェーザレの見た目に納得して、セグレトと青年は脱力気味に肩の力を抜いた。
「しかし、なにがあったのですか? 皆さん、なぜこんなところに?」
ソフィアの涙の粒が光る目元から、鞭打ちを受けた部屋に鋭く目を向けたセグレトは、床に落ちた折れた鞭にも気づき、嫌な予感が再び湧いてきた。
セグレトの緊張が伝わって、青年が護身用に引っ掴んできた火かき棒を持つ両手に力を込めた。
「っ……!」
青年の姿と伯爵の鞭を持つ姿が重なって、ソフィアはまた目をギュッと閉じて震えた。
「大丈夫ですか? まさか」
セグレトがいち早く気づいて、そっとソフィアの肩に触れた。
「だ、大丈夫です。なにもされていません」
心を落ち着けて目を開けると、セグレトの青ざめた顔が見下ろしていた。
「大丈夫よ。この娘はうまく逃げたから」
「エンリカさん、なにが?」
「そうね、全ては後で話すわ。もうみんな部屋に戻りなさい。後は私に任せて」
エンリカの威厳に、一同は大人しくうなずいた。
「俺は念の為そばにいますぜ。セグレトさんはメイドさんを部屋まで送ってやりな」
「はい」
セグレトが即答し、チェーザレは青年に言った。
「お前ももう部屋に戻っていい。途中で誰かに聞かれたら、もう心配ないと伝えてくれ」
「はい、よかった」
青年はおやすみなさいと言って戻って行った。
ソフィアももう一度エンリカとチェーザレに礼を言って、セグレトと共に歩き出した。
階段をおりてメイド部屋のある廊下まで来ると、セグレトがソフィアに向き合って両肩に優しく手をおいた。
「本当に大丈夫か? チェリーナ様のことで、旦那様から……罰をうけたのでは?」
セグレトは心配そうに、体に視線を這わせてきた。
そんな彼を安心させるために、なるべく優しく軽い口調で言った。
「大丈夫ですよ。罰は受けそうになりましたけど、エンリカさんとチェーザレさんが助けてくれましたから」
なんとか微笑むソフィアとは反対に、セグレトは眉を寄せて表情を硬くした。
「あの部屋に入ってしまったのか」
セグレトはソフィアに恐ろしい思いをさせたくなかった。防げなかった悔しさとソフィアを守りたい気持ちが溢れてきた。
ソフィアはセグレトの両腕に強く抱きしめられた。
「大丈夫です……」
驚いてそう言いながら、セグレトの温かさに思考が途切れた。
頬を包む大きな手に安心した。
力強さと優しさが体から伝わってくる、けれど、服の向こうの素肌は、鞭で傷つけられていると思うと……。
傷を癒やしたくて、指先で胸を撫でた。
「セグレトさんこそ、もう傷は……?」
「ありがとう……大丈夫だ」
力強い返事に顔を見上げると、優しい笑顔をみせてくれた。
「もしもまた、なにかあったら言ってくれ。二度とこんな目には遭わせない。私が必ず助ける」
胸がいっぱいになり、彼の切実な瞳を、愛おしく見つめ返してうなずいた。
「ありがとう……ございます」
自分もセグレトさんを守りたくて、恐る恐る背中に両手を回した。
セグレトは驚いたが、ソフィアの気持ちに応えようともう一度強く抱きしめた。
ふたりは目を閉じて、つかの間全て忘れて互いの温もりを感じていた。
体を離して顔を見上げると、セグレトが告げた。
「私もこの屋敷を出て、新しい主を探す決心がついた」
「よかった……セグレトさんを残して屋敷を出るのは心配だったから」
「フフ、ありがとう。君のおかげで私はもう大丈夫だ。お嬢様のことに専念してくれ……また、会おう」
「はい」
彼もここから抜け出して、新しい人生を歩ける。
本当によかった。
セグレトの姿が見えなくなるまで見送り、ソフィアはメイド部屋に入った。
下手に外に出て巻き添えにならないよう、じっと待ち構えていたメイド達に囲まれ、部屋を出てからの一部始終を、もちろんセグレトとのやりとりは秘密にして、話して聞かせた。
予想以上の展開に、みんな悲鳴をあげたり震えたり。
やっと興奮がおさまると、伯爵の今後に話がいった。
「チェーザレさんにやり返されて、旦那様が懲りて鞭を振るわなくなればいいけど」
「どうかしら? 懲りるタイプじゃないんじない? 親子揃って」
懲りてくれることを願うしかないと、ソフィアはため息をついた。
その後、エンリカが来て、旦那様が奥様をなだめて寝室に引っ込んだ、今日のことは忘れろと命じられた、あなたも忘れなさいと言われてほっとした。
チェリーナ様は怖がっていて、ご夫妻とお休みになるようだと聞き、何歳だったかしら?と思ったものだがなんにせよ、事が収まってよかった。
しかし、その夜はさすがにソフィアも悪夢を見そうで、お嬢様とセグレトのことを思い浮かべて眠りについた。
今すぐにでも、子爵家に帰りたかった。
お嬢様が恋しかった。




