異世界の食料調達は命懸けです
異世界で迎える二日目の朝は、草の感触と、身体の節々の痛みから始まった。
慣れない寝床で一晩を過ごしたせいで、背中が張っている。昨日の長距離歩行の疲れも残っていて、起き上がるだけでため息が出た。隣を見ると、先輩がすでに起きていた。焚き火の残り火を丁寧に消しながら、手帳に何かを書き込んでいる。
昨夜、先輩の指先を握って眠ったことを思い出す。顔が少し熱くなった。でも、そんなことを考えている余裕はすぐになくなった。
お腹が空いている。喉も渇いている。昨日から、まともな食事をしていない。
「おはよう、ひよりちゃん。異世界の朝って、空気が澄んでるね」
「……おはようございます。先輩は元気そうですね」
「うん。取材日和だよ」
「取材日和じゃなくて、遭難二日目です……」
あたしは立ち上がり、制服のしわを伸ばした。まずは食料と水を探さないと、倒れてしまう。
「先輩、今日は水と食べられるものを最優先で探しましょう」
「そうだね。小説に書くなら、遭難二日目の空腹感も大事な資料になるし、しっかりメモりながら探そう」
「取材のついでみたいに言わないでくださいよ」
それでも先輩は機嫌よく頷いた。この人は本当に、どんな状況でも小説のことを考えている。
草原を歩き始めてしばらくすると、低い茂みの近くで、見慣れないキノコを見つけた。笠は茶色くて、柄は白っぽい。椎茸に似ている。
「これ、食べられそうですかね……?」
「どうだろう。元の世界と同じ植生なら見分けられるんだけどなぁ。こちらの世界だと、毒キノコかもしれないし」
その瞬間、先輩が突然声を上げた。
「ステータスオープン!」
「先輩、何事ですか!?」
「このキノコについての表示とか出てくれないかなぁと思ってね。出ないなぁ」
「もう。ビックリさせないでくださいよ」
先輩の奇行は心臓に悪い。
「それに、先輩が見たいのは、キノコが食べられるかですよね? 鑑定なのでは?」
「そうかなぁ。小説によると思うよ。でも、ひよりちゃんは魔法を使えるんだから、何か起こるかもしれない。今度はひよりちゃんがやってみてよ」
人目がないとわかっていても、恥ずかしい。それでも、先輩に言われると断りきれない自分がいる。
「ええ! やるだけですからね。ス、ステータスオープン!」
何も起こらない。草原の風だけが、静かに吹いている。
「どう?」
「何も起こりません……」
顔が熱い。恥ずかしくて、地面を見たくなる。
「やっぱり出ないか。実際に遭難してみると、鑑定スキルの便利さがよくわかるね」
目の前のキノコは、空腹も相まって実においしそうである。キノコは毒を持っている可能性が高いので、我慢するしかない。
「知らない世界で、食べられるか食べられないかわかるだけでも、かなり楽だと思います」
「うん。キノコを食べるのは、やめておこうか」
「それが、賢明ですね」
「食べるなら、モンスターにしようか」
先輩は手帳に何かを書き込みながら、平然と言った。
「……それは、同意したくありません」
既にスライムを飲んでいる先輩にとっては、キノコを食べることより、モンスターを食べることの方が簡単な認識になってしまっている。
あたしが、頑張って判断しないと、この先やっていけない!
気を持ち直して、しばらく歩いていると、小川を見つけた。
「先輩。川です! 水がありますよ!」
喜んだのも束の間だった。川に近づくと水は茶色く濁っていて、泥が混じっている。底も見えない。清流どころか、見た目だけで飲む気になれない。
「濾過して飲めば……」
「布で泥を濾すくらいはできるけど、病原体や有害物質は取り除けないよ」
「鍋もないし、煮沸もできないですね……」
水筒の中には、昨日のスライムの体液がある。見た目は透明で綺麗だ。でも、安全かどうかはわからない。
「泥水を濾過して飲むか……スライムの体液を飲むか。水筒は一つだけですし、どうしましょう、先輩」
「ひよりちゃん、スライム飲もう!」
先輩は即答だった。
「聞く相手を間違えました。でも、聞く相手が先輩しかいない……」
先輩は、昨日少量飲んでも今のところ異常がないことや、濁った水よりはマシかもしれない、という自分なりの理由を話してくる。それでも、安全の証明にはならない。あたしはどちらも積極的に飲みたくなかった。
「水もですが、食材もいりますよね。川には魚がいるかもしれません」
魚なら魔物を食べるよりは抵抗が少ない。でも、水が濁っているせいで、中がまったく見えない。釣り竿も針も糸もない。石の陰を探したり、水面を覗いたりしても、成果はゼロだった。
「小説だと『川で魚を捕まえた』の一行で済むのにね」
「現実は、魚の居場所すらわからないんです」
「釣竿って、偉大な発明なんだなぁ。疲れないし、川に入らずに待ってるだけで、食料が手に入るからね」
「そうですね。何が潜んでいるかわからない川に入ってまで魚を捕まえる気にはならないですね」
そうは言っても、もう丸1日近く水も食べ物も口にいれていないので、空腹が限界に近づいてきている。
足取りも重くなってきたころ、草むらの向こうに小さな動きがあった。
ウサギに似た動物だ。ただし、頭に一本の角が生えている。地球にはいない、不思議な生き物だった。
「……魔物ですかね」
「どうだろうね。こっちの世界だと、動物と魔物の基準はどうなっているんだろうか?」
先輩は、手帳を開いて、角付き兎を観察する。
「見た目は可愛らしいね。毛並みもいいし、角の形も面白い」
先輩はすぐに手帳を取り出し、観察を始めた。動きや草を食べる様子を細かく見ている。あたしは可愛らしい外見に、すぐに食料だと割り切れない。でも、お腹はもう限界だった。
「捕まえられませんか?」
「追いかけても、無理そうだよ。そうだいいこと思いついた」
そう言って、先輩が周囲の枝と石を拾い始めた。
「先輩、今度は何をするんですか?」
「投槍器アトラトルだよ。昔の人が狩りに使っていた道具なんだ。てこの原理で、槍に勢いを与えるんだ」
「そんなものまで知ってるんですか?」
「小説の取材で調べたことがあってね。意外と簡単そうだったから、作ってみたことがあるんだ」
「……先輩って、変なことばかり詳しいですよね」
「褒めてくれて、ありがとう!」
「褒めてません!」
先輩は不格好な投槍器と、先端に石をくくりつけた投げ槍を作り上げた。何度か調整して、ようやく形になった。
「こんなもんかな」
先輩は、できあがった投槍器を握りしめた。
「まずは試してみようか」
「……本当に飛ぶんですか?」
「理屈ではね」
先輩が投げた槍は、狙った方向から大きく外れて、草むらに落ちた。
「……理屈では?」
「うん。実際にやってみると難しいね」
それから何度か投げ方を確かめ、先輩はようやく満足そうに頷いた。
「よし。あとは獲物に当てるだけだね」
「当てられるんですか?」
「……やってみないとわからないかな」
あまり頼りにならない返事だった。
先輩は真面目な顔をして、静かに投槍器を構えた。
角のある動物が比較的近くに来たとき槍をはなった。
投げ槍が、動物の脇腹に当たった。小さな悲鳴のような声がして、生き物が倒れる。
「……先輩?」
「うん?」
「今、魔物を倒しました?」
「うん。倒したみたいだね」
「……先輩が?」
「僕が」
「……本当に?」
「ひよりちゃん。僕もびっくりしているんだけどね」
二人で、倒れた生き物を見つめた。角のある小さな体が、動かなくなっている。自分が言い始めたこととはいえ、実際に命を奪ったという実感が、胸に重く沈んだ。
「パッパラパー」
「うわっ!」
先輩が突然大きな声をあげたので、あたしもビックリしてしまった。
「急にやめてくださいよ。心臓に悪い。いったい突然どうしたんですか?」
「モンスターを倒したから、レベルが上がったことにしようかと思って、ステータス有りの小説って、作者が全部考えないといけないからね」
先輩の手帳を覗き見る。
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高瀬朔 レベル2
投擲 プラス1
撃破モンスター
スライム ホーンラビット
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「……先輩」
「なんだい?」
「このホーンラビットって名前、誰が決めたんですか?」
「僕だけど?」
「勝手に名前をつけないでください!」
「でも、角の生えたウサギだし、わかりやすいと思うんだけどなぁ」
「そういう問題じゃありません!」
先輩は、少し考えてから手帳に何かを書き足した。
ホーンラビット(仮称)。
「これでどうかな?」
「……好きにしてください」
先輩は自由すぎます。
あたしのしんみりとした気持ちが吹き飛んでしまいました。
「それにしても、やはりレベルアップは気持ちいいね。出来ることが目に見えるというのは、いいものだよ。ひよりちゃんも書いといてあげるね」
「あたしは書かなくていいですよ。それよりこれ、どうやって食べるんですか?」
先輩が、しばらく黙った。
「いやあ、小説だと『獲物を解体して、焚き火で焼いた』の一行で済むんだけどね」
「その一行を、今からあたしたちがやるんですよね……」
倒しただけでは、食事は完成しない。解体の経験も、まともな刃物も、調味料もない。飲み水すら、まだ確保できていない。
獲物を手に入れた安堵と、次に待っている現実的な苦労が、同時に胸に広がっていた。




