外伝第五話:黄金の檻、凍てつく心
外伝第五話は地王暦前23年の物語です
外伝第五話:黄金の檻、凍てつく心
修道院の朝は、石造りの回廊に響く冷徹な鐘の音から始まる。
ミリアムにとって、その音は救いの合図ではなく、自身を縛り付ける「聖性」という名の鎖が軋む音に聞こえていた。
ミリアムが膝をつく礼拝堂の床は、冬の冷気を吸い込んで凍てついている。
祈りの最中、彼女の指先は感覚を失い、白く強張っていた。
しかし、肉体の痛みなど、胸の奥で渦巻く昏い情熱に比べれば些細なものだった。
シスター・エレーナが見守る中、ミリアムは掌の上に聖王力の光を灯す。
それは清廉な白銀の輝きを放っているが、その源泉にあるのは皮肉にも、世界への凄まじいまでの「拒絶」だった。
愛するものを取り上げられた彼女にとって、神の説く教えは空虚な響きでしかない。
「神がこの世界を愛しているというのなら、なぜ私からあ二人を奪ったのですか?」
その問いを、ミリアムは唇を噛んで飲み込む。
言葉にすれば、エレーナの慈愛に満ちた、しかし逃げ場のない瞳が自分を射抜くことを知っていたからだ。
修行が進むにつれ、ミリアムの感情は凪いでいった。それは平穏を得たからではない。
激しすぎる憎悪と執着を、聖王力を制御するための「型」の中に無理やり押し込めた結果だった。
彼女の瞳からはかつての鋭い光が消え、代わりに底の見えない、静謐で空虚な「鏡」のような冷たさが宿り始めた。
夜、独りきりの寝台で、ミリアムは二人の名を心の中で繰り返す。
それは彼女に残された唯一の「毒」であり、同時に「生」の実感だった。
それは、凪いだ湖面のような信頼。
自分を正しく導き、守ってくれるであろうシーザーの兄のような、あるいは半身のような確信。
それは、肌を焼くような焦燥。
アレクサンダーが自分を忘れてしまうのではないか、別の誰かにその奔放な愛を注ぐのではないか。
その想像は、ミリアムの胸を鋭利なナイフで抉る。
独占欲という名の濁った感情が、聖王力の清らかさと反比例するように膨れ上がる。
彼女が「聖女」として完成に近づけば近づくほど、その内側には「魔女」にも似た激情が凝縮されていった。
ある日の修行中、エレーナはミリアムの頬を撫でて満足げに微笑んだ。
「素晴らしいわ、ミリアム。あなたの心から、淀みが消えていくのが分かります。その調子です」
ミリアムは伏せ目がちに「ありがとうございます」と答えた。
その声は鈴の音のように澄んでいたが、心の中では冷笑していた。
(――消えたのではない。心の奥底、誰にも触れられない深淵に沈めただけだ)
彼女は悟ったのだ。
この「聖王力」という奇跡を早く使い果たし、普通の女に戻るためには、完璧な聖女を演じきらなければならない。神に背くために、神に最も近い存在にならなければならない。
ミリアムは祈りの姿勢を崩さないまま、内側に潜む反逆の意志を、深い、深い沈黙の中に隠し通した。
彼女が心を閉ざせば閉ざすほど、外に漏れ出す光は強まり、周囲の修道女たちは「奇跡の子だ」と崇めた。
窓の外では、季節が音もなく過ぎていく。
かつて見送った馬車の轍はもう見えない。
ミリアムはただ、凍てついた心の中で、二人の男と再会するその瞬間のために、自身の人間性を削りながら聖なる力を蓄え続けるのだった。




