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地王伝:第一部外伝  作者: 蓮葉橋架
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外伝第六話:銀翼の落日、深淵の恋情

外伝第六話:銀翼の落日、深淵の恋情


世界は広大であり、力を持つ種族ごとにその版図は分かたれていた。

北方に広がる峻烈なる大地――天王界。

かつては天王族がその圧倒的な法の力で万物を統べていた大陸である。

しかし、南方の湿った闇からは魔王界の軍勢が、東方の険しき山嶺からは竜王界の息吹が押し寄せ、境界線は常に血と火に洗われていた。

その南東の端、魔王族の侵略を正面から受け止める盾の役割を担っているのがタルカ法国である。

この国の名は、数千年にわたり国境の防壁となってきた守護天使タルカスに由来する。

かつてタルカスは自ら最前線に立ち、銀色の翼を血で染めながら魔族を退けてきた。

だが、人間という種族が天王族の支配に加わり、その「信仰心」を武器に変える術を学んでからは、タルカスは一歩退いた場所から彼らを見守る「監視者」へと立場を変えた。

人間が天王族の代わりを務める、代理戦争の時代。

タルカスは自らを慕う聖騎士や聖女たちに、天の法を具現化した「天王力」を分け与え、それを唯一の対抗手段として授けていたのである。


ある日、静寂が支配する修道院の奥底。

タルカスは、地上から立ち昇る一際美しく、かつて見たこともないほど純度の高い聖王力を感知した。

導かれるように彼が降り立った場所には、一人の少女が膝をつき、祈りを捧げていた。

ミリアムである。

彼女の魂から溢れ出す光は、水晶のように透明で、一点の濁りもなかった。

「……聖女よ、そなたの聖王力は他の誰よりも清らかである」

銀色の翼を広げ、神々しい後光を纏って現れた守護天使。

その荘厳な姿に、並の人間であれば平伏し、畏怖に震えるだろう。

しかし、ミリアムはゆっくりと瞼を持ち上げると、透き通った瞳で真っ直ぐに天使を見つめ返した。

「そなたに我が天王力を、そして神の加護を授けよう。そなたこそが、この地を照らす真の灯火となる」

「光栄に存じます、タルカス様」

ミリアムの言葉に、私欲や高揚感は微塵もなかった。彼女はただ、与えられた使命を静かに受け入れたに過ぎない。

ミリアムにとって、タルカスは敬うべき「ことわり」であっても、心揺さぶられる対象ではなかった。

だが、タルカスの方は違った。

数千年の時を生き、感情を「不純物」として削ぎ落としてきたはずの守護天使の胸に、かつて経験したことのない、熱く、痛いほどの執着が芽生えたのだ。

その一瞬の「情」は、彼の完全無欠であった天王力に、目に見えぬほどの小さな、しかし致命的な綻びをもたらした。


タルカス自身は、自らの内に生じた綻びに気づいていなかった。

しかし、その深淵の隙間を、めざとく見逃さない存在がいた。

魔王界の最奥、骨の玉座に座す魔王母メルフェレーンである。

彼女は鏡のような水面に映るタルカスの姿を見下ろし、邪悪な、しかし陶酔を孕んだ微笑を浮かべた。

「……ふふふ、見つけたわ。あの堅苦しい銀の小鳥に、愛欲という名の重りがついた瞬間を」

天王力という法に守られている限り、メルフェレーンが直接タルカスに呪いをかけることはできない。

だからこそ、彼女は魔王族特有の狡知を巡らせた。

「あの清純な小娘を使いましょう。愛に飢えた天使が、自ら翼を毟り、泥に堕ちていく様を特等席で見せてもらうわ」

メルフェレーンは直接手を下すのではなく、タルカスの精神の奥底、その無意識の領域に干渉し始めた。


それからのタルカスは、常にミリアムを想うようになった。

瞑想の間、あるいは戦場を見下ろす空の上で、彼の視界には常にミリアムの幻想が浮かんでいた。

それがメルフェレーンの微かな魔王力によって増幅された偽りであるとは気づかぬまま、タルカスはそれを自らの「崇高な愛」であると錯覚していった。

祈るミリアムの横顔、微笑む唇、あるいは自分の名を呼ぶ慈悲深い声。

タルカスの中で、守護すべき対象であった聖女は、いつしか「独占したい一人の女」へと変貌を遂げていった。

それは、天王族にとって最も忌むべき、破滅への禁忌。

法を司る者が、特定の個人のために心を乱すこと――。

「ミリアム……我が光、我が救いよ……」

銀色の翼を持つ守護者が、自らの聖性を蝕む熱に浮かされている。

その背後では、魔王母の嘲笑が闇に響き、地上の軍勢が音もなく進軍を開始していた。

タルカスがその「恋情」の対価として何を失うのか、そして彼が愛した少女が、彼を堕天させるための「刃」へと変えられていくことに、まだ誰も気づいてはいなかった。

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