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地王伝:第一部外伝  作者: 蓮葉橋架
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外伝第十六話:落日の粛清、鋼の玉座

本伝第二十二話のサイドストーリー

地王暦前十六年の物語


外伝第十六話:落日の粛清、鋼の玉座


大歓声と血の匂いに満ちた闘技場。その熱気の最高潮において、凄絶な咆哮が響き渡った。

「地獄王」ことアレクサンダーが、突如として砂舞台から高みの貴族観客席へと猛然たる跳躍を見せ、驚愕に目を見開く有力貴族の首元へその太い腕を叩きつけたのだ。

「始まったか……」

観客席の最上部から騒乱の煙を見つめ、シーザーは冷徹に呟いた。

その美しく端正な顔容には、一片の動揺もなかった。

すべては彼が闇に潜んで描いた、元老院という巨木を根底から腐らせるための、精緻極まるシナリオの幕開けであった。

シーザーの合図とともに、聖都の各所に配備されていた聖騎士団が、事前に指示されていた「魔王族の奇襲に備える訓練」の通りに一斉に動き、防衛線を張った。

しかし、配置に就いた各隊長の元へ届けられたのは、シーザーからの「極秘の直筆命令書」であった。

そこに記されていたのは、防衛ではなく、苛烈なる内部粛清の命。

『――元老院議長コンスタンティンをはじめとする、魔王族の邪気に魅入られ、法国を内側から貪る不純なる貴族どもを漏れなく捕縛せよ』

添付された名簿には、賄賂を貪り、私兵を蓄え、前線に義士を送り込んできた悪名高き貴族たちの名が、ずらりと連ねられていた。

「……そうだったのか。やはり、この聖都の歪みは魔王族の仕業であったか!」

元より清廉で頑固な聖騎士たちは、シーザーの周到な大義名分に深く得心し、正義の怒りに燃えて次々と貴族たちの屋敷へと突入していった。

一方、アレクサンダーの暴動に呼応して始まった奴隷剣士たちの脱獄。

彼らの前には、なぜか厳重であるはずの武器庫が破られ、上質な剣や鎧、さらには逃走用の軍馬が潤沢に用意されていた。

そればかりか、脱獄した彼らが聖都の迷路のような路地で迷わぬよう、聖騎士団と法国兵は巧妙に「死角」を作り出し、その逃走経路をただ一つの場所――元老院議事堂へと、濁流のように誘導していった。


「行くぞ野郎ども! 腐った老人どもの住処をブチ壊してやる!」

先頭を切って赤土の路地を爆走するのは、愛剣を狂い振るうアレクサンダーである。その琥珀色の瞳は、かつての覇王の輝きを取り戻し、檻から放たれた飢えた獅子そのものであった。

背後に続く、混乱と興奮の渦中にあった奴隷剣士たち。

彼らは個別に行動して各個撃破されるよりも、この圧倒的な武を誇る「地獄王」に従うことが唯一の生存への道であると本能で理解し、地鳴りのような足音を立てて共に突き進んだ。

白亜の元老院議事堂。

その大門を守るコンスタンティン直属の防衛隊は、さすがに強固な陣形を敷いていた。

しかし、怒涛の勢いで押し寄せるアレクサンダーの大剣の一振りと、巨躯を誇る亜人ミノタウルスたちの狂暴な突撃、そして死線を幾度も潜り抜けてきた百戦錬磨の奴隷剣士たちの前には、ただの肉の壁に過ぎなかった。

大門が凄まじい音を立てて叩き割られ、アレクサンダーが議事堂の内部へと突入したその瞬間。

「――皆、止まれ! ここからは私の指示に従え!」

暴徒の群れの殿しんがりで、中性的な美貌に血飛沫を浴びた少年――ロシェが、鋭い声で指揮を引き継いだ。

アレクサンダーに付き従っていた奴隷たちの動きが、一瞬で整然としたものへと変わる。ロシェは、シーザーから事前に秘密裏に手渡されていた「議事堂の隠し通路と聖都外への脱出地図」に従い、傷ついた仲間たちを確実に安全な退路へと導いていった。

アレクサンダーを議事堂の内部へ引き込み、コンスタンティンたち元老院の息の根を止めさせる。そして他の奴隷たちは生きて逃がす。

この極限の混沌の中に通された一本の細い糸こそ、シーザーがロシェに授けた、あまりにも完璧な「反逆の連立方程式」であった。


数時間の後、聖都を揺るがした嵐は収まった。

しかし、その後に築かれたのは、かつての法国の体裁ではない。シーザーの手によって捕縛され、冷たい石床に引きずり出された貴族たちは、完全に恐怖に支配されていた。

アレクサンダーの暴動という死の恐怖の直後、救世主のように現れたシーザーから提示されたのは、あまりにも冷酷な「生存の条件」であった。

不当に蓄えられた莫大な私有財産の没収。

非人道的な奴隷制度の根本的な見直し。

そして、世俗の権力を捨て、純粋なる聖教会へと完全に従属すること。

命を惜しむ老人たちは、震える手で次々とその誓約書に血判を押していった。

混乱に乗じて元老院の虚を突き、友の怒りをも完璧に利用し尽くした、あまりにも鮮やかで、あまりにも悍ましい陰謀詐術。

そのすべての決着がついた、昏い執務室の中。

「……あ……」

シーザーは、自らの指先を見つめた。

身体の奥底から、何かが弾けて消える音がした。燃え尽きそうだった蝋燭の灯火――彼が辛うじて保ち続けていた純白の「聖王力」の残滓が、完全に、現世の塵となって消滅した瞬間であった。

神の法を欺き、策略という名の闇の力で権力を手に入れた男を、天上の光はついに完全に見放したのだ。

しかし、シーザーの青い瞳に絶望の色はなかった。

彼はゆっくりと拳を握り込み、窓外の血に染まった聖都の夜を見据えた。

「光の時代は終わった。……これからは私が、アレクサンダーのように、泥に塗れた剣を振るわねばならぬ」

聖なる力を失い、ただの「只人にんげん」となったシーザー。

だが、その胸に宿る、この国を悪しき因習から救い、ミリアムとまだ見ぬ子を護り抜くという決意は、神の加護などよりも遥かに強固で、揺るぎない鋼の王座へと昇華していた。一方、議事堂の奥で宿敵を屠り、愛するレイミアを奪還せんとするアレクサンダーの咆哮が、静まり返る白亜の館に重く、深く響き渡っていた。

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