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地王伝:第一部外伝  作者: 蓮葉橋架
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外伝第十一話:欺瞞の白亜、そして胎動する希望

第十五話のサイドストーリー。

地王暦前20年の物語

外伝第十一話:欺瞞の白亜、そして胎動する希望


神聖タルカ法国の本国へと帰還したシーザーとミリアムを待ち受けていたのは、民衆の歓声ではなく、大聖堂の地下に構えられた冷徹なる「元老院査問会」の糾問であった。

高く聳え立つ白亜の円柱と、神威を誇示する巨大な神像。

その足元に設けられた豪奢な椅子に深く腰掛ける老議員たちは、鷹のような鋭い眼差しで二人を見下ろしていた。

「聖女ミリアム、そして聖騎士シーザーよ。遠征の最中、神聖なる任務を放擲し、痴暮の情事に耽っていたという噂がある。天上の法を預かる身でありながら、己が肉欲に身を任せたか否か、厳しく問わねばならん」

老議員の長が、その皺枯れた声を大理石の天井へと響かせる。

彼らが求めているのは真実ではなく、法国の権威という「面目」を維持するための生贄であった。

だが、シーザーは微塵も揺らがなかった。彼は冷徹なまでに張り詰めた、端正な顔容のまま一歩前に進み出ると、理路整然とした釈明を突きつけた。

「すべては戦局における不可抗力にございます。アレクサンダーは崩壊寸前であったアンクール王国との永劫の架け橋となるべく、王女レイミアと婚姻を結んだ。そして我らは、魔王母メルフェレーンの奇襲を受け、守護天使タルカス様を喪失するという未曾有の悲劇に見舞われた。その際、聖女ミリアムは天王力を失い、只人ただびととして任務を完了せざるを得なかったのです」

シーザーの言葉は、完璧な欺瞞でありながら、元老院が反論できぬ絶対的な「正論」であった。天王力を失い、神の器でなくなった以上、一人の人間として結婚するのも自由である――そう結論付けざるを得ない筋書きを、シーザーは完璧に構築していた。

さらに、査問会の空気が決定的に変わったのは、二人が同時にその身から「聖王力」の残光を放った瞬間であった。

タルカスに穢され、その光の大半を失ったはずのミリアムであったが、その瞳の奥には、未だ常人を超絶する清冽な光の粒子が残っていた。シーザーもまた、その強靭な意思によって聖王力の残滓を完全に制御してみせた。

「……ふむ。完全に光を失ったわけではない、か」

辛うじて保たれた聖女と聖騎士の面目。元老院の老人たちは、アンクール王国の奪還という絶大な功績を認めざるを得なくなり、結果として二人の婚姻を「神の祝福」として認め、シーザーはその卓越した政治手腕を買われ、若くして元老院議員の一員へと列せられた。

だが、守護天使タルカスという強大な光の盾を失った天上の座は、いまだ歪な空白のままであった。


それから三ヶ月ほどのち。

法国に衝撃が走った。

完全なる只人へと堕ちたと思われていたミリアムが、かつてを凌駕するほどの、瑞々しくも圧倒的な「天王力」を取り戻したのだ。

聖都の神官たちは「神の奇跡」と涙を流して歓喜したが、その真実を知る者は、シーザーとミリアムの二人だけであった。

それは神の加護などではない。

ミリアムの胎内、その闇の底で急速に成長しつつある「タルカスの子」――後にリディアと名付けられる、異形の半天使ネフィリムの胎動がもたらした、逆流する神威であった。

この悍ましき真実を偽装し、元老院の目を欺くために現れたのが、天界より降り立ちし地天使ディーリであった。

「……なぜ、私たちのような大罪人に肩入れしてくださるのですか? ディーリ様」

大聖堂の静謐な洗礼室。

ミリアムは自らのまだ平坦な腹部を愛おしげに、そして恐ろしげに愛撫しながら、宙に浮かぶディーリへと問いかけた。

ディーリは、タルカ法国という組織ではなく、ミリアムという「個人」の守護を引き受けた、異端の天使であった。

ディーリはその超然とした美貌に、どこか人間のような、哀切に満ちた翳りを浮かべて静かに語り出した。

「聖騎士シーザー、聖女ミリアムよ。……天王族と魔王族の力は、あまりにも拮抗しすぎているのです。互いが互いの致命傷となる純粋なる力ゆえに、私たちは出会えば、双方を滅ぼし尽くすまで止まれぬ宿命にある。……だからこそ、そのどちらの血をも宿さぬ『あなたたち人間』こそが、この果てしない闘争を終わらせる最後の希望なのです。そしてミリアム、あなたの胎内の子が……未来の天秤を引っくり返す、最大の切り札となるやもしれません」

ディーリの言葉に、シーザーは鋭い瞳を細めた。

「タルカ法国は、あのタルカス同様、内側から腐り、堕落の淵に立っています。このままいけば、魔王界の闇に飲み込まれるのも時間の問題でしょう。そうなれば……私たち天王族は、タルカから容赦なく手を引きます。この血塗られた聖域を清浄化できるのは、利権に溺れた老人たちではない。泥を舐め、それでも前を向くあなたたちしかいないのです」

そう言い残すと、地天使ディーリは一筋の光の粒子となって姿を消した。後に残されたのは、世界という名の重すぎる十字架を背負わされた二人の沈黙だった。


その夜、シーザーは大聖堂の最奥、俗世との関わりを完全に断ち切って隠居している養父、アウグストゥスの元へと面会を求めた。

重々しい鉄の扉が開かれた先、薄暗い燭台の光の中に座していたのは、かつてタルカ最強の聖騎士と謳われた、老いた英雄の姿であった。

その深く刻まれた皺と、光を失わぬ灰色の瞳が、訪れた義理の息子を静かに迎える。

「……父上。誠に、申し訳ございません」

シーザーは衣服の擦れる音を立てて跪き、深く頭を下げた。

「すべては私の未熟さゆえ。……まんまと、あの魔王母メルフェレーンに足元をすくわれ、すべてを滅茶苦茶にされてしまいました」

アウグストゥスは静かに息を吐き、老いた手でシーザーの肩をそっと叩いた。

「顔を上げよ、シーザー。……相手があの、人心を弄ぶ魔王母メルフェレーンであったならば、仕方のないことだ。……私もかつて、奴には生涯消えぬ苦渋を舐めさせられた」

「父上が……ですか?」

シーザーが驚愕して顔を上げる。

アウグストゥスは遠い過去を忌むように、かすかに目を細めた。

「かつての私とハンニバルの関係は、丁度、今のお前とアレクサンダーのようであった。互いに背中を預け、世界を正せると信じていた。……しかし、二人ともあの女に手玉に取られてしまったのだ。ハンニバルは……未だに、メルフェレーンの呪縛から解き放たれてはおるまい。お前が聖王力を完全に失わず、生きて戻っただけでも、上出来というものだ。恥じることはない」

アウグストゥスは、自らの内に燻る無念を絞り出すように言葉を続けた。

「あの女を、メルフェレーンを討ち倒すには、搦め手など通用せん。ただ、己が聖王力を極限にまで高め、絶対的な光で焼き尽くすしかないのだ」

「……父上。私は今回の遠征で、聖王力を失うことの、本当の恐ろしさを知りました」

シーザーはゆっくりと立ち上がり、その瞳に昏く、しかし絶対的な政治的闘志を宿した。

「そして、ひいてはこの国の悪しき因習……神の影に隠れて肥え太る、あの腐りきった元老院を、根底から断たねばならんと考えております。彼らを潰し、この国を真に一本の鋼とせねば、再び魔王族の入り込む隙を与えるだけです」

その過激な決意を聞いたアウグストゥスは、悲しげに、しかし息子の成長を頼もしく思うように、その顔を歪めた。

「……茨の道だぞ、シーザー。これからは神の光ではなく、政治という名の『泥』に塗れることになる」

「――構いません」

シーザーは一瞬だけ、かつて焚き火の前で馬鹿な喧嘩を繰り返した、もう一人の戦友の荒々しい笑顔を思い浮かべた。

「私には……どれほど泥に塗れようとも、最後にその剣を預けられる『友』がおりますゆえ」

そう言って深く一礼したシーザーの背中は、もはや一人の聖騎士のものではなかった。それは、タルカを堕落の淵から救い、新たなる世界の秩序を自らの手で掴み取らんとする、若き指導者の、冷徹にして苛烈な覚悟の姿であった。

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