蜀の崩壊
空蝉さんがアジトに帰還してから、二ヶ月が経っていた。
帰ってきた彼が思ったより働いたのもあって、多忙だったアジトは落ち着きを取り戻し始めている。幹部メンバーだけは相変わらず多忙らしいが。
そういうわけで、俺とロールのタッグは久しぶりに二週間程の休暇を貰った。
デリダでの二週間は正直やることがないので、俺とロールはどこかに出かける予定を立てることにした。
そのため現在、ロールは外出の許可を取りに行っていて、その間に俺は一人でアジトの中を探索している。
休暇を貰うまで日々任務に追われていたから、アジト内の構造はマップ上でしか把握できていなかったのだ。
それに加え、地下5階の内装工事は一昨日やっと終わったところだった。地下5階への立ち入りは今日解禁されたばかり。
アジトはもうすでに十分な機能を取り戻している。これ以上の建設予定は今のところないらしく、デリダは以前にも増して拠点として優秀になっていた。
エレベーターで地下5階に降りると、そこには綺麗なフロアが広がっていた。
内装工事が終わったばかりなだけあって、どこを見渡してもピカピカだ。
地下1階から地下4階は、構成員が地上とを行き来するため、床が結構泥だらけになっている。土を落とそうとしても、この辺りは湿地で、どうしても完全に土を落としきれないのである。
そのため、清掃員はいつも忙しそうだ。
俺は新しくできたフロアを進む。
エレベーターを降りたところはちょっとした広間で、そこから前後左右に通路が分かれていた。
マップによると、全ての通路は繋がっているらしく、とりあえず目の前の廊下に俺は足を進めた。
「どこ行くんだよ、死音ァ!」
音のなかった背後からいきなりデカい声が響いて、俺は驚愕する。そしてその後に苛立った。
「空蝉さん、音消して近づくのやめてもらっていいですか。そのうち反射で攻撃しちゃいますよ」
振り返ると、羽織と袴の伝統衣装を着た空蝉さんがそこにいた。空蝉さんはこの服を本格的に気に入ったらしく、これ以外の服を着ている所を見たことがない。
「あ"ァ? やれるもんならやってみろよ」
やたら好戦的な態度に俺は嘆息する。
空蝉さんはあれ以来、ことある度俺に絡んでくるようになった。多分俺と戦いたいのだと思う。
だが、音支配と強化系超人の力を手に入れた空蝉さんに、今更真っ向勝負で勝てる気はしない。
劣化コピーとは言え、同じ能力を持ってるんじゃ無音世界も相殺されかねないし。
「……空蝉さん、今日は任務ないんですか?」
とりあえず、彼の言葉をはぐらかす。
こうしておけば、空蝉さんと戦闘になることはない。空蝉さんは一応味方なのだ。
ホントにあの時殺しておけば良かったな、とは思うが。
「あァ、今日は幹部会議でよ。それで待機中だ。テメェは何コソコソしてたんだ?」
「別にコソコソなんてしてませんよ。ただのマップ確認です。
空蝉さんこそ、こんなところで何してるんですか? 会議室は2つ上の階でしょう」
B5Fは特に重要な機材が昨日の内に運び込まれ、中枢管理に関わるシステムなどが既に稼働していると聞く。
ロールが詩道さんに聞いた話だが、観測者もこれからはこのフロアに直接配備するんだとか。
勝手に入れる部屋は少ないだろうし、面白いものなんて何もない。実際、新しく開放されたフロアなのに全く人がいなかった。
ここに立ち入る理由など空蝉さんにはないはずだ。
「ハハ、それを聞くか?」
聞いてんだよ。
「まあ、なんでもいいんですけど」
空蝉さんにこれ以上絡まれるのも嫌なので、俺は先に進もうとする。
すると空蝉さんは俺の肩をガシっと掴んだ。
「観測者の能力を頂きに来たんだよ」
「ボスに殺されますよ」
「バーカ。ハイドは裏切った部下以外手にかけねェ。あんなでけェ度量の男はそうそういないぞ。そんくらいのオイタなら許してくれるさ」
確かに、ボスがやらかした構成員を咎めることはあっても、殺したことはないな。
です子さんの時は流石に例外だったみたいだけど。そういえば宵闇さんとは、殺し合いをした過去があったんだっけ。俺は宵闇さんのことはそれなりに知った気になっているが、未だに二人が争った理由はてんで検討がつかないな。
まあそれは置いといて、観測者の能力をコピーする、というのは十分な裏切り行為だと思うんだが。
「まあ、勝手にすればいいと思いますよ」
関わらない方が良いと思った俺は、空蝉さんの手を振り切った。が、空蝉さんはもう一度俺の肩を掴み直す。
「お前もついてくるんだぜ?」
「はあ?」
何を言ってるんだ、そういう顔で俺は空蝉さんを睨み返した。空蝉さんはニヤニヤとした笑みを浮かべたまま手を離してくれない。
「死音お前、観測者の本体は見たことねェだろ?」
「見たことないですけど絶対ついていきませんよ」
「実はと言うと、俺も見たことねェ。アレを直で扱っていいのは煙と執行とハイドと詩道だけって決まってたんだよ」
空蝉さんは受け答えを全くする気がないみたいだが、少し興味深い話をしたので、俺は思わず口を閉ざしてしまった。
「気になるだろォ?」
否定はできない。だけどさっき空蝉さんが述べたメンバー以外が直に扱えないなら、尚更関わったらダメだ。
「つーわけで、ここの廊下突き当り左の部屋に観測者がいる」
「そんな部屋、許可無しで入れる訳ないと思うんですが」
「そりゃそうだろ。だからわざわざ俺は新しい煙の部屋からこれをパクって来たんだぜ?」
そう言って空蝉さんが俺にぴらぴらと見せびらかしたのは白いカードキー。
見覚えがあるそれは、前のアジトのマスターキーに似ていた。
「このフロアのマスターキーらしい」
「マジでボスに殺されるでしょ、それ」
「これで共犯な」
「ふざけないでください」
「オイオイ、テメェ俺が今からすることを誰かにチクる気だな? これは放っておけねェ」
「なんで俺を巻き込むんですか?」
俺は純粋な疑問を投げかけた。
俺を巻き込む理由なんてないだろ。
「そりゃあ、目撃者だからだよ。せっかくこのフロアの人払いを済ませたってのに」
目撃者というのはおかしい。勝手に空蝉さんが現れたんだから。
いや、でも確かに。空蝉さんがずっと音を消してコソコソやってたなら、俺はそれに気づいていたに違いないな。
しかしどうりで人が全然いないわけだ。
「……大体、観測者の能力なんて必要ないでしょう。俺の音支配があるんだから」
「確かにお前の能力は便利だが、俺の性格にあってるかって聞かれるとそうじゃない。神経を使いすぎるんだよなァ、これは」
「観測者の能力だって同じですよ」
「それは使って見ないと分からねェだろ?
観測者はその気になれば、射程数千キロの感知だってできるらしいぜ。やばくねェか? その感覚を味わってみたいんだよ」
ほとんど純粋な好奇心、ってわけか。
しかしどうあっても俺を巻き込むつもりだな、この人。
こういう時、機動力の無さは悔やまれる。無理やり空蝉さんを振り切ったりもできないんだから。
「……分かりました。ついていきますけど、手伝いはしませんからね」
「オーライオーライ、なら行こうぜ。周囲の警戒は頼んだからな」




