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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
30/43

29. たくさんのお姫様と、名無しのお姫様。

 どちらかというと運動は苦手だ。


 一族の義務で魔術の訓練を受けていたとはいえ、座学がほとんどだったので体育会系な扱いをされたことがない。


 慣れないことはするもんじゃないな、と胸の内で自分の体力の無さに呆れつつ、ウィード・セルは額の汗を拭った。

「――― そっか。みんなにも、ありがとうって伝えてね」

 楽しそうな声に顔を上げれば、マリー・ベルが村の様子を伝えに来た一角獣を見送っているところだった。

 虹色の光沢を帯びた尾を靡かせ、ご機嫌な足取りで帰って行く幻獣の後姿に向け、王女と彼女の胸に抱かれているアルダは、暢気にひらひらと手を振っている。

「なぁ、おい。今更だけど、アルダに乗って逃げれば良かったんじゃないか?」

 ひとっ飛びすれば、こんな体力消費をしなくても済んだのでは。

 胡乱な目で睨め付けてくる魔法使いに向かい、王女は頬を膨らませた。

「何言ってるのよ。そんなことしたら、舞台や建物が壊れて、村のみんなが怪我しちゃうでしょう?」

 …… それもそうだ。だが、正論でも、コイツに言われるとなんかムカつく。

 奥歯をギリギリさせるウィード・セルに意地悪く笑いながら、マリー・ベルは手を差し出した。

「さっきの子が、塔までの道を教えてくれたわ。今から行けば、夜明けまでには着けるかも」

 かろうじて逃げ込んだ夜の森に、月光以外の灯りはない。

 ウィード・セルは緑の月明かりに白く浮いた手を取り、体を預けていた大樹の幹から腰を上げた。

「これから、うんと歩かなきゃいけないけど、大丈夫? あなたって、ほんとモヤシよねー」

 大げさな仕草で肩を竦める彼女に、いつもならばうるさいっと牙を剥くところだが、今ばかりはそうしなかった。

 立ち上がったウィード・セルは、淡く笑んでいる花色を含んだ空色の瞳を、じっと見つめて言う。

「…… お前、“異能者”だったんだな」

 異能者とは、先天的に特殊な能力を持つ人間のこと。

 知識の習得や修行によって魔術を得る魔導士も、数が少ないために珍重されるが、異能者の希少性は、その比でない。

「あーあ、ついに気付かれちゃったわね。とっておきの秘密だったのに」

 ぺロリと悪戯っぽく舌を出したマリー・ベルは、ま、極秘事項ってわけじゃないんだけど、と笑って続ける。

「わざわざ言う必要もないかなって思ってたの。わたしの能力は、『他種族と心を通わせる』ってだけのものよ。大したものじゃないわ。…… でも、“銀月姫”には必要でしょう?」

 身を翻して歩き始めたマリー・ベルの何気ない口調に、ウィード・セルははっとした。

 銀月姫の絶対条件と云えば、銀色の髪と、類まれなき美貌。

 その印象ばかりが強かったせいで、もう一つの選定条件があることをすっかり忘れていた。

「当代の王族で、この能力を持って生まれたのは、わたしだけだったの」

 森の動物と心を通じさせる―― それが、“銀月姫”であるための、条件の一つ。

 ただし、異能を持つという事項を絶対の内に数えるのは不可能であるため、あくまで確実性を高めるための条件として存在するだけのこと。

 事実、歴代の銀月姫の中でも、異能者であったのは初代のみであったはず。

「ねえ、ウィード・セル。この国に王女が何人いるか、あなた知ってる?」

 王女の問いに、魔法使いは頷いた。

 現国王には、子が32人。うち、26人が王女だ。

 後宮に住まう大勢の妃たちは、医学や魔術の知識を駆使してまで、姫を生むことを強要される。正室であれ側室であれ、絢爛な後宮で権力を振るうことを赦されるのは、王女を挙げた妃のみ。


 ――― この国を救う、女児を生め。

 ――― 50年毎に、神より欲される娘に相応しい王女を。

 ――― 多くの娘を並べ立て、その中より最も出来の良い者を。


 血に濡れ、生まれてきた我が子を胸に抱くことなく、薬や呪術の副作用で命を落とした妃も、その昔は少なくなかったそうだ。

 全ては、あるかどうかも分からない、未来の演劇儀礼のために。

「わたしのお母様は、没落した地方貴族出身の宮廷侍女だったの。お母様の身分は低かったし、わたしの髪、銀じゃなくて赤でしょう? お母様ご自身がわたしを生んだ時に亡くなったから、王宮の人間はわたしを必要なしと見なして、後宮から出したらしいわ。だからね、わたしはただの貴族の娘として、西の森にあったお母様の故郷で育てられたのよ」

「………」

「あ、同情とかは止めてよねっ。 お爺様もお婆様も、とーっても優しかったし、森には動物(ともだち)が大勢いたんだから。…… わたし、あそこが大好きだった」

 幸せだった、と彼女は呟く。

 このままずっと、この暖かな場所で過ぎ往く年月を見送って行けるのだと、幼いマリー・ベルは信じ、疑いもしていなかった。

 8つになった年、通り掛かりに彼女を目にした商人の口伝により、彼女が異能と、それと同等なまでに稀有な美貌を備えているという事実を、王宮に知られるまでは。

「王宮から迎えが来たとき、髪を染めろだとか、アルダちゃんは連れて行っちゃいけないだとか言われて、森の中に逃げたりしたわね」

 くすくすと笑い声を立てながら、王女は胸元に抱いているアルダを撫でた。

 その横顔は、少し人間離れしているほどに綺麗過ぎて、俯いたままでいられると、何だかひどく落ち着かない。そんな気分を払うように、ウィード・セルは努めて明るく言った。

「でも結局は、その首飾りを貰ったおかげで、アルダも城に行けたんだろ? 良かったな、離れずに済んで」

「うん。…… でも、それももう終わり。親友なんだもの、これ以上、わたしだけの我侭に付き合わせるわけには、ね」

 喉を鳴らす竜を見つめる双眸は伏せられていて、彼女が瞳にどんな感情を浮かべているのかは分からない。

 ウィード・セルは、くしゃりと前髪を握った。

 何か言いたいのに、思いつかない。そんな自分が、もどかしくてならなかった。

「ねえ。お祭り、とっても楽しかったわね」

 囁きに近い言葉と共に、マリー・ベルがウィード・セルの手に触れてきた。

「ああ、そうだな」

 頷きを返しながら、彼も細い指を握り返す。

「お料理もお菓子もおいしかった。お爺様やお婆様と一緒に暮らしてた頃を思い出したわ」

「そうか」

「…… でも、少しだけ怖かったの」

 自分と同じ格好をした、見知らぬ銀色の少女たち。

 誰にでもなれる、誰でもない誰か。

「なんだか、“わたし”が沢山いるみたいだった」

 すぐに逃げたくなるのは、昔とあまり変わってないわね、と小さく笑ったあと、マリー・ベルは唇を閉ざした。

 沈黙の中、虫の歌と草を踏みしめる二人の足音だけが響き続ける。



『――― わたしが王族に名を連ねることも、当代の〈銀月姫〉であることも間違い』


『――― わたしは〈銀月姫(マリー・ベル)〉なんて名前じゃない。このふざけた名前は、母さまを虐げ嬲ったあの(おとこ)や、それを止めなかった連中に押し付けられた“モノ”だもの』



 先刻、広場で兄王子に向けて言い放たれた王女の言葉が、耳の奥に残る。

 考えてみれば、当たり前だった。

 26人も居る、銀月姫候補の王女たち。彼女らの名が皆、〈銀月姫(マリー・ベル)〉であるはずがないのだ。

 銀月姫とは、称号に過ぎない名前。

 本当の名前は、他にある。


(じゃあ、俺は・・・・・・)


 ――― こいつの本当の名前を、知らないってことだな。


 短くない時間、共に過ごしていたにも関わらず、何故、名すら教えて貰えなかったのか。

 どうせ、当初の目的が果たされれば、分かれていく道行。

 この先、口にする機会も無くなるであろう名など、知る必要はないと思考は割り切るのに、息が詰まるほどに衝撃を受けている自分もいる。

 ウィード・セルは、夜気で凍えた柔らかな手をきつく握りしめて、ただ前へと足を進めた。

 腹立たしいような、寂しいような、何ともいえないごちゃまぜの感情の中で、どうしてこんな思いになるのかという結論から、必死で視線を逸らさねばならない自分自身が、ひどく惨めに思えた。






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