30. 御伽噺の終りと、王女の願い。
夜通し森を歩き続けた末にたどり着いた、円状の空き地。
そこで見上げたのは、古い技法で積み上げられた、石造りの塔だった。
なんの飾り気もない塔でありながら、どこか老齢した王を思わせる。周りに生えた森の木々も、まるでその地の主に跪くかのごとく、幹をうねらせ葉を低く茂らせていた。
蒼闇の中、朝日を灰色に弾くその塔の元へ辿り着いたとき、ウィード・セルは王女が洩らした苦笑を、肩越しに聞いた。
「あーあ。もう、冒険もお終いみたいね」
待ち構えていた騎士の一団。
背後にグリフォンを従えたその部隊は、昨夜、村を訪れたディ=エルドレンのものとは違うようだった。
身に着けている鎧や軍旗の意匠も目にしたことがない。だが、なんとなく、どこの連中なのかは予想がついた。
「ご親切ね。異国の地で、わざわざ自らがお迎えにいらっしゃるなんて」
ぐるりと周囲を睨め付けたあと、彼らに立ち向かうように、マリー・ベルは数歩前へと踏み出した。
それを待ち構えていたかのうように、居並ぶ一団の間から、一人の小柄な少年が子犬のように転がり出て来る。
「王子! 今ですよっ」
少年が拳を振り上げて叫ぶと同時に、突如、地面から湧き上がった豪風が、ウィード・セルの足元を攫った。
咄嗟に身体を支えた手の下に、緑の光を放つ円形の魔法陣を見つけ、しまった、と舌打ちしたが、もう遅い。
――― 風の檻、そう呼ばれる高位の魔術。
陣の範囲に捕らえた獲物を突風が吹き荒れる空間に留め、徐々に切り裂いてゆくという、捕縛用というよりはむしろ拷問に近い術として知られる。
目の前で、マリー・ベルの纏め上げていた紅の髪が、弾けて大きく広がった。
驚き、目を見開いてこちらを振り返った彼女の様子から、この魔術が自分にしか及んでいないことを知り、安堵する。
だが、そんなこちらの気持ちはお構いなく、次の瞬間には、王女様は腕で風を避けながらウィード・セルを怒鳴りつけ始めた。
「もう、ドジねっ。何でそんなにあっさり捕まっちゃうのよ! もうちょっと格好良く防ぐとか、足掻いてみるとか出来なかったわけ?」
こんな時にもそれかよ!
そう返すことも出来ず、ウィード・セルは地に片膝を突いたまま、仕掛けられた風の魔術による攻撃を堪えていた。
時折、鋭い風が刃となって掠める。焼かれたかのような痛みに目を眇め、頬を伝った血を手の甲で拭う。
その様を目にした瞬間、それまでウィード・セルの失態を詰っていたのが嘘かのように、マリー・ベルの表情から突如として感情が抜け落ちた。
夕べ、村の広場で兄王子に向けたものと、同じ目。
ゆっくりと騎士団に向き直った彼女は、先ほど号令を挙げた従士姿の少年に向かい、腕を組んで問う。
王女がどんな形相をしているのかは、背を向けられているので分からないが、真っ向から見据えられたらしき子犬少年が、悲鳴を飲み込んだ様子で顔を青くし、一歩、二歩と後ずさったことから、たぶんよほどのものなのだろうと推察された。
少年はあははと笑いながら、陣形を取って整列している騎士団の中に戻ろうとしているが、矢面に立たされては堪らないとなった最前列の騎士たちと、何やら揉め始めている。
「ねえ、」
片足で地面を蹴った音と、異様に優しげな声音で降りかかってきた隣国王女のお言葉に、一同がびくりと反応して、動きを止めた。
「これで物語の筋書き通り、“魔法使いは倒された”ということかしら? 屋外だとはいえ、ここも〈魔導士の塔〉と名の付くものの敷地内には違いないものね。――しかし、貴国テリゼードは、確か、剣の国だったと記憶しているのですけど」
「あー、うー、も、申し訳ございません。ウチの王子は、少々変わり者でしてー」
少年がふわふわとした紅茶色の髪を片手で掻き混ぜながら、テヘペロと答える。
だが、マリー・ベルの視線は彼を素通りし、その斜め後ろに立つ人物――― 背の高い、ウィード・セルたちよりもやや年上らしき青年へと注がれていた。
可愛らしい面に愛想笑いを懸命に浮かべている従士とは対照的に、その人物は、冷徹なまでに無表情だった。
“王子”と呼ばれた者。
彼の混じり気のない澄んだ金髪を見て、ああ、とウィード・セルも納得した。
腹の底に、黒い澱のような淀みが生じる。
(こいつが……)
金の王子――― テリゼード国第3王子・ヒーセリジオ=ロア=テリシゼミアは、魔術を放った右手の印を解き、氷碧の瞳をマリー・ベルに据えた。
ゆっくりとした足取りで王女に近付く彼の姿を、ウィード・セルは未だ展開している陣に囚われたままの身で睨みつける。
「『お迎えに上がった、愛おしい銀月姫。どうか、私とともに我が国へおいでください』」
王子の、恐ろしく棒読みで口にされた台本通りの台詞。それを聞き取ったウィード・セルの鼓膜に、自らが奥歯を噛み締めた音が重なった。
礼ののち、恭しく差し出された男の手。それに自らの白い手を重ねながら、銀色の名を持つ紅い姫君は優雅に微笑む。
「『心よりお待ちしておりました、金の王子』―― そうお応えすれば、気がお済みかしら」
華奢な手が、王子の手の平に包まれる。ただ見ているしかないウィード・セルは、自らの拳が無意識に地面を掴んだことに気付かなかった。
「お迎えが遅くなってしまい申し訳ない。いろいろと予定外な不測の事態にみまわれてしまったので」
「あら、むしろ少し早過ぎたのではないかしら? 蜜月までもう少し時を置いた方が、対面した際の喜びが増しましたのに」
傍目にも明らかなほど、白々しい会話の応酬。
甘さを全く含まない王女の睦言に、ヒースも感情のみえない口調で淡々と言葉を返し続ける。
「一刻も早く、貴女にお会いしたかった。残念ながら、私は我が婚約者殿と直接お会いする機会に、まだ一度も恵まれていなかったので」
「まあ、そんなにも我が身を望んで頂けるなんて光栄ですわ。でも……」
マリー・ベルは笑みを崩さぬまま、ヒースの手を振り払った。
そんな婚約者の礼を失した態度にも動じぬ王子に対し、彼女は満面に嗤い、
「女性には、いろいろ準備が必要ですの。それを待たずして押しかけるなんて、ちょっと無粋ではなくて?」
その好戦的な視線を、灰色の塔に向ける。
「ねえ、貴女もそう思わない? シェイラ・フィフィ」
――― 誰だそれ。
頭上の遥か高みを仰ぐ王女の問いかけに、その場の人間がみな首を傾げた。
その時だった。
「無粋とは何かを問う前に、人の庭で勝手に騒がないで頂きたいわ」
夜色の声が、天から降って来た。
「あら。どなたかと思えば、お城のお姫様」
頭に直接届けられたかのような、不思議な女の声。
軽やかな風の音が鳴る。
虚空に、ぞろりと長い漆黒の衣裳を纏った女が現れた。
「ごきげんよう、可愛いお姫様。先日はお取引、どうも有難うございました。――― 本日は、何の御用かしら?」
あちらこちらで、息を呑んだ気配がした。
“それも当然だ”、誰もにそう思わせるような女だった。
「ものっっすごい美人さんですねー!! ぼ、僕、こんなに綺麗なお姉さん、見たことありませんよ。ね、王子!」
「ああ」
ヒソヒソしているようでしていない主従の会話に、周囲の人間も皆、コクコクと頷く。
人外の領域に達するほどの、まるで月のような美貌。繊細に結い上げられた銀髪が、朝靄に烟る。
装飾品といえば、大きく開いた胸元を飾る小さな青いペンダントだけだが、シンプルなそれが肌の真白さを一層際立たせていた。
夜露を思わせる色香を湛えながらも、何者も寄せ付けぬ気品ある仕草で裳の裾を捌いた女は、女王が君臨するかの如く、一瞬にしてこの場を支配した。
(・・・・・・ これが、塔の魔女)
村で情報を手に入れた、骨牌の製作者だという魔導士。
ウィード・セルがおかしな呪いをかけられた元凶。
“主の命に逆らえば激痛――― もとい、痒さに襲われる”というふざけた呪いを編み出したヤツがどんな人間なのかは気になっていたが・・・・・・。
その風体や、突如何もない空間に現れたことからみて、この艶めいた美女が力ある魔女であることは、誰の目にも明らかだった。
「今日はお買い物ではないの、シェイラ・フィフィ。魔導士としての貴女に、魔術の依頼をしに来たわ」
恍惚と畏怖に凍ってしまった周囲とは異なり、マリー・ベルは片手を腰に当て、尊大な笑みさえ浮かべて魔女を見上げていた。
魔女に劣らぬ、美貌を持つ王女。
どこか似通っている異質な美の対面は、そこだけが別世界であるような錯覚を、見る者皆に与える。
塔の魔女は、まるで獲物を見つけた猫のごとく、王女を捉えた紫水晶の瞳を細めた。
「いいのかしら。わたくし、お高いですわよ?」
「かまわないわ」
「そう。では、まず貴女様の〈望み〉と、提供くださる〈対価〉の提示を。二つが等価であるかどうかは、こちらの判断に委ねていただきます」
モノの価値を決めるのは、その人間の心の在り方次第。
その魔女の言葉にしっかりと頷いたマリー・ベルの姿を、風の壁に遮られた世界の向こうで、ウィード・セルは静かに瞳に映した。
(そうか、これで終わるんだな・・・・・・)
やっと、やっとだ。
これで、ついに、このくだらない呪いの解呪が成される。
短くない時間を費やした末、ようやく手にしたこの瞬間。喜ぶべきのこの場面を、ウィード・セルの心は空虚な思いで迎えた。
これで呪いが解かれれば、王女とは別れることになる。
演劇儀礼の〈魔法使いが金の王子に倒された〉という件は、もう達成されたのだ。
儀礼を抜け出し、逃亡を図ったことに対する断罪は為されるだろうが、この儀礼自体を成立させるには王子と王女の婚姻が不可欠なのだから、他国の妃となるマリー・ベルが本格的に罪に問われることは無いだろう。
隣国へと渡る彼女とウィード・セルの接点は、もう完全に無くなる。
二度と・・・・・・会うことも、ない?
「王女殿下!」
演劇儀礼の最中に逃亡した揚句、怪しげな魔女と何らかの交渉を始めた隣国王女に周囲は慌てた。
諌めようと騎士たちが動く。だが、それらを意に介すことなく、凛と背筋を伸ばした少女は、はっきりと求められた提示を口にした。
彼女が唱えた思いも寄らぬ〈望み〉。
その告げられた言葉に、ウィード・セルの目が見開かれる。
「望みは、そこに居る魔導士が属する一族――― ヴォロンディ家と王家との間に結ばれた誓約魔術を解くこと。そして対価には……」
マリー・ベルは自らの髪を指で梳いた。
手櫛で、星の光を灯した深紅の髪色を掲げ見せ、魔女の瞳をまっすぐに見て、笑う。
「この“色”をあげるわ」




