28. 続・駆け落ち姫君と、黒い森のお友達。
ヒイィィ、と背後でノイ・クレスの悲鳴が、尾を引きながら走った。
ちらりと振り返ってみれば、そこには花輪を付けた黒い豚と、翼を生やした白い双頭の仔馬に蹴手繰られる彼の姿。
(哀れな……)
全力で走りながら、ウィード・セルは目頭を抑える。
しかし、気の毒なのは彼だけではない。
「ぎゃあぁあぁぁぁぁッ!」
「た、たすけっ! ぐええええぇぇえぇっ!」
今もまた、左手で小鳥の大群に髪を毟られている中年伝達士が、右手で巨大猫からの猫パンチを喰らった若い騎士が、地面に倒れて悲惨な末路を遂げようとしている。
未曾有の大混乱とは、まさにこういう状態なんだろうなと、ウィード・セルはパニックを起こしそうな脳の片隅で、冷静に思った。
+ + + + + + +
あの、王女の叫びが高らかに天を突き抜けた次の瞬間、地の底から湧き上がったかのように大気を揺らした、歓声にも似た膨大な数の呼応。
それから幾許かの間も置かず、街の広場には悪夢のような光景が広がった。
突如として、森から現れた獣や幻獣たちの群。
その頭数、種族数は数え切れない。
「ホントに絶滅危惧種なんだろうな、こいつら!」
そうツッコミを入れずにはいられない大群を目の当たりにしながら、ウィード・セルは走っている。
現状、彼らを捕えようとしている者は、誰もいない。
二人を取り囲んでいた騎士たちは皆、自慢大会の出場者だったペットや、森から突如として現れた幻獣たちの群に追い回されていた。
「よそ見してないで、もっと早く走りなさいよ!」
前を向いたまま先を行くマリー・ベルから、怒号が飛ぶ。
彼女はウィード・セルの手を握ったまま、混乱する人ごみの中を迷うことなく駆けていた。
不思議なことに、それまでゲシゲシと騎士を足蹴にしていた3匹のアルパカも、宮廷魔導士を舐め転がしていた大蛇も、王女と魔法使いには、自ら道を譲るようにして退く。
「あんた ―――」
小さな背中に向けて口を開きかけたが、急にマリー・ベルが立ち止ったために、続きは叶わなかった。
見れば前方に、張り付こうとする虹色蜥蜴を投げ飛ばしながらこちらに向かい来る、二人の騎士の姿。
「まー、ガッツがあるわね。頼もしいわ」
「んな、悠長なこと言ってる場合か!」
強く王女の腕を引き、その身を背に庇う。ウィード・セルは繋がれていない方の手で、素早く複雑な印を結ぶと、突き出した腕で薙ぎ払うように空を切った。
紅い閃光の軌跡が宙を走る。
「ぎゃああ」
「くそっ、魔術か!」
突如、虚空に舞い踊った炎に巻かれそうになり、騎士たちが絶叫した。錯乱した彼らが叩き崩した木箱の山が、地面に落ちて割れる。
不運にも、箱の中身は祭のために準備された花火だったようだ。
引火した大量の花火が爆音を轟かせ、色とりどりの大輪の花を大地に咲かせた。
「……よし!」
この混乱に乗じれば、何とか上手く追手を捲ける。
そう考えを巡らせつつ、汗ばんだ手で無意識に拳を握る。しかし、
「わぁー! すごいっ。すごくきれいねーッ」
隣で発せられた歓声に、少年の張り詰めた背から、思わず力が抜け落ちた。
視線を向けた先で、無駄にキラキラと輝きを灯した碧の双眸とかち合う。
「そーいえば、あなたって魔導士だったわね。すっかり忘れてたわ」
「えーえー、そうだろうよ。俺も、忘れかけてたよ」
賞賛を乗せた拍手を贈ってくる王女を横目にしながら、ウィード・セルは大きく息を吐いた。
手間のかかるヤツ、とぼやきながら王女の手を掴み直し、身に纏った蒼い外衣を払う。
「行くぞ」
そう声を掛けるとともに、当り前のように彼女の手を取ってしまった自分に驚いたのは、しっかりとその手の平を握りしめた後だった。
「いよっ、お二人さん! 妬けちまうねぇ~」
「駆け落ちだ! 駆け落ち続行だぞおぉ!」
「いいぞー、ウィセルー! そのまま掻っ攫っちまえー!」
見計らったかのように、騒動を遠巻きに見守っていた村人たちによる口笛混じりの冷やかしが、あちらこちらで上がり始める。
赤顔したウィード・セル同様、マリー・ベルも彼らの行為に目を見張ったようだったが、すぐにその表情を綻ばせた。
離れないようにね? と悪戯気な視線を寄越し、ぎゅっと指を絡めてくる。そのまま、彼女は何をとち狂ったのか、それを皆に見えるよう高く掲げてみせた。
わぁっと湧き上がった、一際大きな歓声。
「だあああああっ! おい、もう行くぞ!」
羞恥に堪え切れなくなったウィード・セルは、自分のものより遥かに小さなその手を引き、彼の頭の中と同じくらいハチャメチャに混乱した村の中を、死に物狂いで走り始めた。
+ + + + + + +
ヒーセリジオ王子ことヒースは、アルフェンから受け取った祭の戦利品である綿飴を舐めながら、呑気に下界の惨状を見下ろしていた。
ここは上空。遥か高み。
ヒースは、自身直属の魔導士団が所有するグリフォンたち――― その一頭の背に跨り、村の上をゆるやかに遊覧しているところだった。
「せっかくの祭なのに大惨事ですね。皆さん、大丈夫でしょうか!? 怪我などしていないといいんですけど」
「大丈夫だろう…… 騎士団以外は」
ガフガフと綿飴に喰らい付いているアルフェンの言葉に、ヒースは緩慢な頷きで応じた。
「大丈夫だろう…… 騎士団以外は」
彼の言葉通り、騒ぎを起こしている森の動物や幻獣は、騎士団の人間以外に危害を加えていない。
村人たちに至っては、豪胆なことに、乱入してきた珍客とともに宴を愉しんでいるようだった。なんと、たまたま目に留まった一角では、男たちとマンティコアが飲み比べを始めている。
「あーあ、いいなぁ。楽しそうだなー。僕ら、いつまでこんな所に居なきゃいけないんですかねー?」
浮かれ倒している村人たちを羨ましそうに見つめながら、アルフェンがぼやく。
見れば、他の騎士を乗せ、指示通りに村の周囲を警戒しながら周回しているグリフォンたちも、心なしかいつもよりそわ付いているようだ。
軍行に慣れ、魔術や兵器が飛び交う戦場を駆け抜けることも何ら苦にしない優秀な騎獣たちだが、やはり同じ幻獣が一同に会し、どんちゃん騒ぎを楽しんでいる状況を目の当たりにしていると、平静では居られぬらしい。
いつも姿勢良く、クールに佇んでいる姿が印象的なだけに、少し微笑ましくも思う。
(さて、どうしたものか)
村に乗り込む際、「絶対について来るなっ」とノイ・クレスに威嚇されたので、捕りものに参加しに行くわけにはいかない。
ヒース的には、面倒が省けてラッキーだったのだが、アルフェンは始終ぶすっとした表情で、ノイ・クレスを怯えさせていた。
へにょりと眉を下げた従士の横顔を眺めながら、ヒースは顎に手を当てて、しばし考えるような仕草を見せた。
その後、ぼそりと提案してみる。
「じゃあ、踊りにでも行ってみないか?」
せっかくの異国の祭。
やることもないのなら、遊んだっていいだろう。
王子の言葉に、アルフェンだけでなく、グリフォンや他の騎士たちも一斉に歓声を上げた。




