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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
28/43

27. 黒衣の魔女と、ミンナの願い。

 風が凪ぎ、大気が張り詰めた。


 ウィード・セルの全身に、産毛が逆立つような嫌な感覚が、ざわりと駆ける。

 それは、多分、彼が“生き物”として感じ取った、“何か”。


 次の瞬間、それはまるで爆発のように。

 村全体――― いや、森にまで至る広範囲で、



 大地を震わせる呼応の声が一斉に木霊した。




 何だ、何が起こるんだと怯え、混乱し始めた騎士団員たちに、大元の原因たる王女様からお声がかかる。

「あ、みなさぁんっ! この国の騎士さんだからぁ、とぉーぜん、わかってらっしゃると思うけどぉ~」

 ブリブリした物言いで小首を傾けたお姫様は、その美貌を最大限に輝かせて宣った。

「“このコ(、、、)”たちぃ、みーんな国際保護動物なんだから、傷ひとーつ付けちゃ……… 駄目だからね?」





 ――― そして、


 兄王子と騎士たちの、悪夢が始まった。






 + + + + + + +





 外で上がり始めた絶叫。

 それに気付いた老女は、ふと顔を上げて、白いレースのカーテン越しに窓の向こうを見やった。

「あらあら、まあまあ。もう始まったみたいですね」

 賑やかで楽しそうだわと笑みながら、老女は自宅の居間で、花柄の木製カップにお茶を注ぐ。

 淹れたてのハーブ・ティーから広がった爽やかな薫りに、この部屋に集う者皆が、目元を緩めた。

 水色の陶器で出来たティーポットは、老女――― ネリアの唯一の嫁入り道具。夫であるペンターは、若かりし頃から毎日欠かさず口にしている妻お手製のハーブ・ティーに口を付け、今日も美味いと微笑んだ。

「村が祭以外でこんなに賑やかなのは、いつぶりかのぅ」

「そうですね。確か、ユマとキリルの結婚式以来じゃないでしょうか?」

「あぁ、そうじゃったのぅ。ちょうどこんな感じだったのぅ。あの時は、酒に酔われた魔女殿が、ハイテンションのまま〈森の衆〉をお呼びになって」

「用意していたお酒があっという間に飲み干されてしまって、本当にどうなることかと思いましたわ。お祝いのお料理も、足りなくなった分を酔っていない村人総出で、慌てて作るハメになりましたし。まぁ、あの時に限らず、お祝い事やお祭には毎度そうなっているような気がしますけど」

 うふふ、ほっほっほと笑い合いながら、アットホームな空気でもって己の過去の失敗をあげつらっている昔馴染みたちの様子に頭痛を覚え、“魔女”と呼ばれた女はこめかみを押さえた。

 妙齢の美しい女だった。

 細い肢体に薄い生地で出来た黒い服を纏い付かせ、しどけなくソファーに腰掛けている姿は、清廉かつ妖艶。蕩けるような白肌も、襟ぐりから僅かに覗くふくよかな胸元も、見る者に劣情を抱かせる色香を伴っていたが、彼女が放つ気品がそれを許さない。

 魔女は細く整った形をした指で、酒が入ったゴブレットの代わりに、今夜はハーブ・ティーのカップを持ち上げ、優雅な仕草で薔薇色の唇に運んだ。

「私は、あなたと違ってザルじゃないのよ、ネリア。あと、お酒は飲んで呑まれ切れっていうのが、私の旦那様(ダーリン)のモットーなの」

 そう言いつつも、多少は自分の失態を後ろめたく思うのか、魔女は胸元に落ちた月色の髪を、くるくると指先に絡めながら視線を泳がせる。

 魔女の外見年齢は20代後半。

 だが、その実、自分より遥かに長く生きているはずの彼女に対し、ネリアは「めっ」と幼い子供を叱るような仕草で彼女の頬を突いた。

「何がモットーですか。ただ単に、修行が足りてないだけでしょう。まったく情けない、〈黒い森の魔女〉の名が泣くわね。今からでも、お酒との上手な付き合い方を伝授してあげましょうか?」

「伝説の元義賊団の女頭にそう言って頂けるのは光栄だけれど、止めておくわ。わたしの肝臓は、とっても繊細に出来ているから」

 そう言って、ぷくっと頬を膨らませたネリアの姿は、村長の妻らしく上品で可愛らしい。しかし、彼女の過去をよーく知っているペンターは、若干引き攣った笑みを口元に浮かべている。

「おぉい! 軍の奴らが来おったぞい」

 乱暴な音を立てて開かれた居間のドアから、一人の老人が興奮した面持ちで入って来た。

「ドタバタ歩かんでくれ、ルビンスキー。お前は本当に落ち着きがないのぅ」

 許可なく家に侵入してきた上に、図々しくも隣の椅子に腰かけて来た昔馴染みに、ペンターは呆れた視線を送る。

 村の元大工棟梁ことルビンスキーは、村長の台詞を耳にした途端、夜気に冷えたと禿げ上がった額を擦っていた手を止め、目を剥いて怒鳴った。

「ばっかもんが! 待ちに待ったこの日が遂に来たというのに、のんべんだらりとしておれるかい!

「き、きたないのぅ。唾を飛ばすんじゃない」

「黙れ黙れっ。一体、この村に住もうてきた何代の御先祖たちが、今日という日を待ち望んでおったと思っとるんじゃ。余所から来たワシとて、ずっとずっとじゃなぁ……!」

「はい、ルビンスキー。お茶をどうぞ」

「……うぬ。かたじけない、ネリア殿」

 少し冷ましたお茶のカップを横から差し出され、ルビンスキーは大人しくそれを受け取る。彼は、爽やかなハーブの香りを口に含むと、一気にカップの中身を呷った。

 もっと丁寧に味わってほしいのぅ、と愚痴るペンターを無視して、カップとソーサーをテーブルの上に置いたルビンスキーは、向かい側に腰掛ける魔女に深々と頭を下げた。

「魔女様。此度は誠におめでとうございます。このルビンスキー=ハイル、心の底よりお祝い申し上げる」

「まぁ、ルビンスキー。あなたっていつも大げさね」

「いえ。恩人である貴女の悲願であった今日という日への寿ぎを、どうぞ受けてやってください」

 魔女はくすくすと笑い声を立てたが、ルビンスキーは日頃弟子たちから“守銭奴”と称されている顔を収め、真摯に彼女と向き合った。

「貴族同士の策謀に巻き込まれ、職も家も失い、あげく病を得た妻を医者に診せることも出来ずに亡くしてしまったワシを掬ってくださったのは、貴女様ただお一人じゃった。もしもあの時……」

 遠い昔のあの日、あの時、彼女が手を差し伸べてくれていなければ、きっと今頃は、唯一残されていた宝である娘さえも失っていた。

 ルビンスキーだけではない。

 この村の人間は、皆この〈黒い森の魔女〉に恩義を持つ。

 とある旅の女剣士と、家が没落したため幼い頃に売り飛ばされた男娼は、妾にと彼を欲した中年侯爵の手から救われ、今は仲睦まじく宿屋を経営して暮している。

 とある仕立て屋を目指していた青年は、都で出会った異国の姫と恋に落ち、子に恵まれたまではいいが、それゆえに命を狙われることになり、命を拾われた今は息子と二人で仕立て屋を営んでいる。

 野党に襲われ家族を失った者、冤罪で牢に繋がれた者、森に捨てられた子供。

 様々な経緯を経て魔女の手により掬い挙げられた人々が、この土地に根差し、生きてきた。長い長い時の中、同じような出来事を繰り返して。

 この村の人々は、皆、魔女たる彼女を愛している。


 例え、この村の始まりが“贖罪”であったとしても、それが今の真実。


「わたしたちからも、おめでとうと言わせて?」

 夫と手を取り合ったネリアが、柔らかな目で魔女を見つめる。

「“ごめんなさい”より、“おめでとう”とお伝えすることを、先祖と他の村人たちに代わり、どうかお赦しください」

 頭を下げた村長夫妻を前に、魔女は目を伏せて小さく笑んだ。

 俯きがちに傾けられた彼女の肩で、緩く編み上げられた星色の髪が、今日もドレスに散り映える。

 細い首元を飾る、いつ何時も手放さないという青い雫形の首飾りだけが、彼女の唯一の装飾品。全身に纏う黒が、この小さな青い宝石を贈った夫に捧げられた喪服であることを、この村の者は皆知っていた。

 魔女の夫の名と真実、そして、己が先祖の罪。

 この村に生まれ、生きてきた者は、それを痛いほど知っている。

「ばかね。あなたたち、本当におばかさん」

 手の平で包んだカップ。湯気を立てる琥珀色の水面を見つめながら、彼女は苦笑を含んだ呟きを零す。

 この村の人間は、いつの時代も同じ。

 何度言い聞かせても、彼女のいうことを頑として受け入れやしない。

 現代を生きる彼らは、彼ら。

 過去の罪は、現代(いま)を生きる村人(このひと)たちが贖うべきものじゃない。いや、あれは罪ですらなかったのだ。

 だから、背負うべきではなかった。目の前のこの人たちだけでなく、あの時代を生きた――― あの()自身も。

 そう思っているからこそ、魔女は親愛なる友たちに、感謝の心を伝える。

「今回、無事に王族の捜査を撹乱出来たのは、あなたたちのおかげよ。お礼を言うのはこちらの方だわ」

 頭を下げた魔女を前にし、ルビンスキーは慌てた様相で椅子から腰を浮かした。

「何をおっしゃいますか、どうか顔をお上げください! これまで騎士や魔導士として王都に上がった者たちは、誰も彼もが自らの意思で赴いたのじゃ。貴女の力になりたいと」

「そうですよ。この村の人間みんなが、貴女のことをとても大切に思っている。それをどうか忘れないで」

「そうじゃて。だが、あやつらがよくもまぁここまで上手くやれたもんじゃのぅ。一月以上も二人の足取りを捕まえさせんとは。そこまでチート的に優秀なもんはおらんかったように思うが」

「ああ、なんでも王族の中に協力してくださった方がいたみたいですよ? 確か、第3王女のレア・ミュライエ様と、その兄王子様たちだったかしら」

「ほう。第2王妃がお産みになったお子方か」

「兄王子より、妹姫のお名前が先に出るとはの。いやはや、やはりこれからは女子の時代なのかのぅ」

「まあまあ、あなたったら」

 暖かな部屋の中、友たちの明るい笑い声は、外の夜空を引き裂くように響き渡っている悲鳴や混乱の音を無視して続く。

「ねえ、シェイラ。貴女もお茶のお代わりをいかが?」

 持ち上げられたポットに向かい、魔女は微笑んでカップを差し出す。






 あと、もう少し。



 あともう少しでこの願いを叶えることが出来ると、魔女は長椅子に背を預け、静かに両目を閉じた。




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