39
ずっと来ないで欲しいと願っていた日がついに来てしまった。
今日は終業式で、3月の第3金曜日だから、天体観測の日で、宙と会う最後の日だ。
今夜、彼女は去ってしまう。
朝起きた瞬間から、ずっと胸が苦しくて身体が重い。
正直、彼女のことを考えすぎて、昨日の夜はほとんど眠れなかった。
でも、どんなに悲しいことがある日でも、当たり前のように世界は回って時間は進む。
人々はいつも通りの生活を、なんてことない日常を送っている。
俺だけが、どこか遠いところに置き去りにされた気持ちだった。
なんとか自分を奮い立たせてベッドから起き、顔を洗い、朝食を食べ、歯を磨き、身支度を整える。
お母さんに見送られて家を出て、いつもの曲がり角に向かう。
雲ひとつない晴れた空が広がっている。
気温も高くて、薄手の上着を1枚着るだけで十分だった。
今夜の天体観測も問題なく行えそうだと思ってから、彼女が入部して以降、全ての第1、3金曜日の天気が晴れで、一度も欠かさずに天体観測を行えていることに気づく。
やっぱり、彼女は宇宙人の不思議な力で天気をコントロールしてるのかもしれないと思い、そのパワーの凄さに、つい笑ってしまった。
「太星君、おはよう。」
宙が、まるでこの空みたいに晴れやかな笑顔で声をかけてきた。
やっぱり今日もキレイだな。
そう思ってから、俺も笑顔で挨拶を返した。
「おはよう。」
2人並んで通い慣れた通学路を歩く。
一歩進むごとに、この道を一緒に歩くのも今日が最後であることを認識させられて、感傷的な気持ちになっている俺とは対照的に、宙はニコニコしながら、いつものように他愛もない話をしていた。
そんな彼女の横顔を脳裏に焼き付けたくて、じっと見つめるけど、今夜、この記憶も消されてしまうのだろう。
分かっているけど、どうしても、覚えていたいと願ってしまった。
「なんか、すごい見てるね、私のこと。」
彼女を見つめる俺の視線に気づいた宙が、イタズラっぽく笑いながら俺のことを見てきた。
「今日の私はどうですか?」
彼女は俺がなんて答えるか知ってるうえで質問してくる。
「...今日もすごく可愛いよ。」
そしてその答えを聞いて、満足そうに笑ってみせる。
彼女が可愛くて、キレイなのは事実なので、俺は特に照れることもなく、サラリと褒められるようになっている。
最早、お決まりのやりとりになっているのだ。
「私、太星君に褒めてもらうの好きなんだよね、嬉しくて。」
彼女はそう言うと、にっこりと笑った。
その顔を見て胸がズキンと痛む。
「...じゃあ、今日、たくさん言うよ。」
俺がそう宣言すると、彼女が目を丸くしたあと、ゆっくりと笑顔になった。
「ふーん...じゃあ、早速どうぞ。」
彼女が右手を俺に向けて、促してきたので、俺は話し始めた。
「まず、肌が白くて、顔が小さくて、瞳が大きくて、まつげが長くて、鼻が高くて、唇が薄くて、顎が小さいから、そもそもの造形がすごく整ってて可愛い。
手足も長いからスタイルも良いし、宙を見たらほとんどの人がキレイだって判断するよ。
あと、付け加えるなら、目が少し灰色がかってるのが、不思議な雰囲気がする。
なんていうか、吸い込まれそうになる。」
「ふーん...。なんか見た目のことばっかり。」
まずはビジュアルからと思ったのだけど、見た目のことを言及され慣れてる彼女にはそこまで響かず、むしろ不服そうだった。
「分かった。じゃあ、それ以外ね。
結構ふざけたり、ボケたりするの好きだよね。
それで笑わされることも多い。
自分が言ったことで俺が笑った後に嬉しそうな顔をしてるのが可愛い。
意外と子供っぽくて、イタズラ好きで、俺が困ってると楽しそうにしてるのも可愛い。
基本的に真面目で、真剣に勉強してるところは凛としててすごくキレイだと思う。
大好きなチョコを食べてると、すごく幸せそうな顔をしてるのが可愛い。
あと...」
俺が話している間、彼女の様子を見てると、頬を赤らめながら、俺の言葉を噛み締めるように聞いていて、なんだかとても嬉しそうだった。
そんな様子を見ていると、いくらでも言葉が出てきたので、登校中、ひらすら彼女のどこが可愛いかを話し続けた。
最終的に、「存在そのものが可愛い」と話したら、「さすがにネタ切れ感がすごい」と言って笑っていたので、俺もつられて笑ってしまった。
教室で自分の席に座り、宙が自分の席に座っている姿を眺める。
この光景も今日で見納めだ。
終業式の後、担任からの挨拶が終わると、彼女の周りには、女子たちが集まってきていた。
口々に宙との別れを惜しむ言葉を送り、彼女は笑顔でそれに応えていて、女子たちのスマホで何枚も集合写真を撮っていた。
「...人気者だね、彼女。」
気づいたら琢磨が近くにいて、声を掛けられた。
「うん、そうだね。」
彼女から目を逸らさずに、俺は応えた。
「いつ引っ越すの?」
優吾もそばにやってきて、質問してきた。
「今夜。そのまま移動するらしい。」
「え、バタバタじゃん。」
「...お父さんの仕事の都合で、急いで行かなきゃいけないんだってさ。」
俺がそう話しながら、彼女のことを見つめている様子を見て、心配になったのか、琢磨が俺の頭を撫で、優吾が俺の背中をさすってきた。
「え?何?」
俺がそう言うと、2人は今まで見たことがないような優しい顔をして俺のことを見守っていた。
「...たぶん、2人なら大丈夫だよ。」
いつも冷静な声色をしている琢磨が今まで聞いたことのないような、穏やかで温かい声で励ましてくれて、少しだけぐっときてしまった。
「...ありがとう。」
俺がそう返事をすると、2人は同時に背中と頭をぽんと叩いた。
「皆に声かけられてたね。」
学校からの帰り道、俺は宙に話しかけた。
今日は午前中で授業が終わりなので、一度帰宅してから、また夕方に落ち合い、理科準備室に向かう予定だった。
「そうだね、こんなに別れを惜しまれたの初めてかも。
今までの学校では、ここまでクラスに居場所がなかったから。
最初から最後までクラスに馴染まない転校生って感じで。」
彼女はその美しさのせいで、注目を浴びてしまうので、誰とも打ち解けないようにしていたと以前、話していた。
「でも、この高校では、太星君の彼女っていうポジションだったから、皆とも上手くコミュニケーションが取れた気がする。
だから、太星君のおかげだよ。本当にありがとう。」
笑顔でお礼を言われ、なんだか背中がむず痒いような感覚になる。
「…俺、宙が他の人たちと上手く接するために、特に何かをできたわけじゃない気がするけど。」
苦笑いをしながら答えると、
「私みたいな注目を浴びるタイプに彼氏がいないって状況自体が、クラスの人間関係を荒しちゃうんだよ。
告白されたり、私に告白していた人のことを好きな相手に攻撃されたり、今までは正直大変だった。
でも、太星君と付き合ってることになって、そういうことが一切なくなったから、ものすごく快適だった。
それに、彼氏のことが大好きな子っていう認識だから、良い印象を持ってくれたんだと思うけど、皆、優しくしてくれたし。
なので、間違いなく太星君のおかげ。」
彼女が力強くそう言い切ったので、自分が彼女の役に立てたのだと思えた。
正直とても嬉しい。
「…それなら良かったよ。ありがとう。」
俺がそう言うと、彼女は嬉しそうな笑みを見せた。
そのまま2人並んで歩き、いつもの曲がり角に到着した。
「じゃあ、17時にここで。」
「うん、またあとで。」
彼女と別れ、俺は家までの帰り道を急いだ。
今日は天体観測の前に、お互いに、以前手作りしたお菓子をもう一度作って持ち寄ろうと約束していたのだ。
スーパーに寄って、チョコクッキーの材料と、お昼ご飯のお弁当を購入してから帰宅すると、一刻も早くクッキー作りに取りかかりたかったからか、自分でも驚くほど素早くお弁当を食べ終えていた。
お弁当の空の容器を片付けてからエプロンをつけ、キッチンで調理を始めた。
ボウルに薄力粉、ココアパウダー、砂糖、バター、卵黄を分量通りに入れて、ヘラで混ぜ合わせる。
生地がひとかたまりになったらラップに包んで冷蔵庫で1時間ほど寝かせる。
寝かせた生地を麺棒で伸ばし、型抜きをしてから、オーブンの天板に並べて焼いていく。
前回は10分ほどの焼き時間で半生状態で、そこからプラス5分焼くとちょうど良い焼き加減になったので、今回は最初から焼き時間を15分に設定した。
前回は成功しているので、焼き上がるまで、クッキーから目を離しても大丈夫なのだろうけど、どうしても上手く焼けるか心配で、オーブンの中を覗き込んでしまっていた。
このクッキーは彼女に渡す最後のプレゼントなのだ。
絶対に失敗したくない。
15分後オーブンからクッキーを取り出すと、前回同様、ちょうど良い焼き目がついた美味しそうなチョコクッキーが出来上がっていて、ほっと胸をなで下ろした。
これなら宙も喜んでくれそうだ。
せっかくなので今回もしっかりピンクの包装紙にリボンをつけてラッピングをした。
クッキーの準備を終えてから時計を見ると、針は16:00を指していた。
自分の部屋に戻り、待ち合わせ場所に向かう準備をする。
机の引き出しから、天文宇宙検定の受験のときに宙からもらったお守りを取り出して、自分が手にしている通学鞄に入れる。
通学鞄には、彼女がクリスマスにくれた、おうし座のキーホルダーと、水族館でお揃いで購入したイルカのキーホルダーが付いている。
全てを順番に見て、俺は彼女との日々を思い出していた。
ひとしきり感傷に浸った後、俺は鍵つきの引き出しを開けて、1冊の分厚いノートを手に取った。
俺はこのノートを持って行って、彼女にどうしてもお願いしたいことがあったのだ。
ノートを通学鞄に入れた俺は、自分の両手で頬をはたいて気合いを入れ直してから家を出た。




