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「お邪魔します。はじめまして、太星君とお付き合いしてる、宇野宙です。今日はよろしくお願いします。」
家に入ると、宙は出迎えたお父さんに挨拶をした。
「はじめまして。太星の父です。今日は来てくれてありがとうね。
さぁ中に入って。」
お父さんは穏やかな笑みを浮かべながら、宙に話しかけていた。
「太星にも確認したけど、宇野さん、苦手な食べ物とかアレルギーはなかったよね?夜ご飯ハヤシライスなんだけど、問題ないかな?」
「用意してくださってありがとうございます。私なんでも食べられます。
ハヤシライス、大好きなので嬉しいです。後で食事代払いますね。」
相変わらず、宙の初対面の人間への対応は見事だ。
笑顔を絶やさず、相手が喜びそうな言葉をチョイスできるのには、後天的な努力だけでは補えない先天的な才能もあると思う。
きっと、宙なら結婚の挨拶でも義実家の人々をすぐに虜にしてしまうのだろうなと考えてから、彼女が地球上でそんな状況になることがあり得ないのを思い出す。
彼女を好きになってから、彼女がカマドウマに似た宇宙人であることを忘れかけていることが多い。
きっと、彼女とこのまま地球で一緒に過ごしたいと思うあまり、地球人の姿が彼女の真の姿なのだと思い込みたいのかもしれない。
2人で洗面所で手洗いをしてから食卓に戻ると、お父さんがキッチンで食事の準備をしていた。
「手伝いますね。このサラダ、テーブルに持って行っても大丈夫ですか?」
「あぁ、宇野さんありがとう。うん、お願いします。」
宙はすぐにお父さんのそばに寄り、率先して準備を手伝っていた。
やっぱり、気配りがよくできる。
2人に任せっぱなしなのは申し訳ないので、俺もキッチンに向かい、グラスに麦茶を注いだ。
3人で協力するとあっという間に準備が終わった。
テーブルの上には細かく切られた鶏肉やアボカド、トマトなどでできたコブサラダとタマネギ、マッシュルーム、牛肉がたっぷり入ったハヤシライスが並んでいて、ハヤシライスからは、美味しそうな湯気が立ちこめている。
「じゃあ、2人とも座って。食べようか。」
お父さんに促され、ダイニングテーブルに備えられた椅子に座る。
「すごい美味しそう。本当にありがとうございます。」
宙は目をキラキラと輝かせながらお父さんにお礼を言っていた。
宙と目が合ったお父さんは、少し照れくさそうに笑っていた。
「いただきます。」
ハヤシライスを一口食べると、爽やかなトマトの酸味と煮込んだタマネギと牛肉のコク深い味わいが口いっぱいに広がった。
お父さんの作る料理は派手さはないけれど、手間暇かけて作られているので、どれも美味しくて、特に煮込み料理は絶品だ。
ハヤシライスは俺とお父さんのお気に入りで、お互いに気合いを入れて何かを頑張らなければいけないときに出ることが多い。
お父さん的には、初めて宙に合う今日は頑張らなければいけない日だったのだろう。
「コブサラダすごく美味しいです。このドレッシングどこのメーカーですか?」
「ありがとう。このドレッシング手作りだから、気に入ってくれたなら嬉しいよ。」
「え!すごい!手作りなんですね。どうやって作ったんですか?」
「結構簡単だよ。マヨネーズと、ケチャップと…」
宙とお父さんの会話は弾んでいて、俺は相槌を打つだけで充分だった。
なんだか、お母さんと初めて会ったときも、こんな風に、俺抜きで盛り上がっていた気がする。
楽しそうに2人が話す姿を見て嬉しく思いながら、俺はハヤシライスをゆっくりと味わっていた。
「すみません、お手洗い借りてもいいですか?」
「もちろんいいよ、玄関を入ってすぐの左手の扉だからね。」
「ありがとうございます。お借りします。」
宙が席を立ち、トイレに向かってすぐお父さんは小声で俺に話しかけてきた。
「太星、宇野さん、ものすごい良い子だね。話しやすくてびっくりした。」
「うん、良い子でしょ。」
「いやー、まずあまりにも美人で驚いちゃったけど、こっちの反応見ながら気さくに話してくれるから、ありがたかったよ。
あれは絶対モテる…すごいね太星、あんな子と付き合えて。」
お父さんは腕を組みながら感心したように話していた。
「お母さんも彼女と話してるときすごい楽しそうだからね。」
「確かに、絶対、お母さんはああいう人懐っこい子好きそうだもんな…太星が本音を言えるようにしてくれるくらい気遣いもできる人なのがよく分かった…大事にしなきゃね。」
お父さんはそう言うと、優しい笑顔になった。
食事を終えたので、天体観測に行く前に制服から私服に着替えた。
洗面所から着替えて出てきた宙は、クリーム色のタートルネックに、ジーンズという出で立ちだった。
制服でも私服でもスカート姿しか見たことがなかったので、彼女がズボンを履いている姿は新鮮だった。
正直、そもそものビジュアルが良いので彼女はどんな格好も似合う。
「温かい格好が良いって言われてたから、こんな感じにしたんだけどどうかな?中には保温性ありって書いてた長袖のシャツ着てて、ズボンは裏起毛だよ。あとブランケットも2枚持ってきた。」
「コートはいつも制服の上にきてるやつ?」
「うん。それだと寒いかな?」
彼女がいつも着ているダッフルコートなら、もう少し上を厚着にしないと寒いかもしれない。
「俺のフリース貸すから、その上からダッフルコート着る感じでも良い?それなら大丈夫だと思う。」
俺が提案すると、彼女は目を丸くしていた。
「え?いいの?太星君は何着るの?」
「俺はダウンコートを重ね着して、フリースは着ない予定だったから、良ければ貸すよ。」
「じゃあ、ありがたく借ります。」
彼女が同意してくれたので、寝室の俺の服が入っているタンスからグレーのフリースを取り出し、彼女の元へと戻った。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう。」
俺からフリースを受け取った彼女は、いそいそと羽織った。
「...確かに、すごい温かい。」
フリースの襟ぐりを両手で掴みながら、彼女は笑顔で感想を言っていた。
普段俺が着ている服を宙が来ているのはなんだか新鮮だったし、自分の服を好きな相手に着てもらうのは、独占欲が満たされて、正直嬉しい。
俺が黙って宙のことを見ていると、彼女が近づいてきて、両手を広げてきた。
「...どうかな?この格好。」
小首を傾げながら上目遣いで質問してくる。
もちろん答えは一つだ。
「めちゃくちゃ可愛いよ。」
俺が答えると、彼女は満足そうな笑みを見せてくれた。
「...普段の私って、ワンピース着ること多いけど、こういう格好と、どっちの方が可愛い?」
彼女が重ねて質問をしてきた。
「そもそも、宙が可愛いから、どんな格好してても可愛いでしょ。
ワンピースでも、ズボンでも、制服でもジャージでも、どれも可愛いよ。」
正直、宙が着ればどんな服も似合うし、可愛いと思ってる。
俺がそう言い切ると、宙は嬉しそうに照れ笑いしながら顔を赤らめていた。
その様子が可愛くて、俺も思わずニヤける。
「...えーっと、準備できたなら、そろそろ行こうか。」
後ろからお父さんに気まずそうに声をかけられ、申し訳ない気持ちになった。
車で1時間ほどかけて移動し、いつもお父さんと天体観測をしている山頂のポイントまで移動した。
駐車場に到着して、車外に出ると、平地よりも気温が低いので、一気に全身が冷たい空気に包まれる。
「じゃあ、ちょっと歩いて開けたところに行こうか。暗いから転ばないように、ゆっくり着いてきてね。」
お父さんからもらったランプを手に持ち、山道を5分ほど進むと、開けた場所に出た。
「じゃあ、ここに設営しようか。」
お父さんがメインでテントを設営し、中に防寒シートを敷き、毛布を敷き詰め、俺は大型の望遠鏡を設置して、北斗七星に標準を合わせた。
肉眼でも普段、屋上から見る時より何倍も星が明るく輝いて見えるので、望遠鏡を覗くとその美しさは格別だった。
「じゃあ、せっかくだから宙、覗いてみて。」
俺が声をかけると、空はゆっくり望遠鏡を覗き込み、小さく歓声を上げた。
「...本当にすごい光って見える。キレイ...なんか、いつもより近くに見える感じがしちゃう。」
そう言いながら、彼女はしばらく笑顔で星空を見つめていた。
その後も、うしかい座のアルクトゥルス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラと、春先の定番の星座を見ていく。
新しい星座に標準を合わせる度に、宙は嬉しそうに歓声を上げていた。
「...本当にすごいキレイ...。」
夢中になって、望遠鏡を覗き続ける宙の様子が微笑ましくて、俺とお父さんは顔を見合わせて、笑顔になった。
その瞬間、お父さんのスマホが鳴った。
「あ、ごめん。なんか、病院から連絡きたから、ちょっと電話してくる。
2人はそのままここにいて。」
スマホをチェックしたお父さんはそう言い残して、電波がより届きやすい駐車場まで歩いて行った。
しばらく望遠鏡を覗き続けていた宙は、目が疲れたのか、テントの中に座り、水筒に入れた紅茶を飲んで休憩し始めた。
「太星君。本当に連れてきてくれてありがとう。
ものすごくキレイに見えて、本当に感動してる。」
宙は満面の笑みで俺に話しかけてきた。
「喜んでもらえて嬉しいよ。
やっぱり山の上からだと普段よりもよく見えるよね。」
「うん。そうだね。」
彼女はそう答えてから一口お茶を飲み、何かを考えるように、黙り込んでいた。
少ししてから俺のことをゆっくりと見つめてきた。
ライトに照らされた彼女の瞳はなんだか潤んで見えて、いつもと違う環境に2人きりということもあって俺はドキドキしてしまった。
「...本当に大切なものは目に見えない。」
彼女は星の王子さまの有名な言葉を小声で呟いた。
「え?」
俺が聞き返すと、
「太星君の星の王子さまの本、借りっぱなしでごめんね。もう読み終わってるんだけど...何回も繰り返し読んじゃってて。」
彼女は申し訳なさそうに苦笑いをしながら謝ってきた。
「あぁ、別に大丈夫だよ、気にしないで。
...繰り返し読むくらい気に入ってくれたんだ。」
自分の好きな本を、好きな人が何度も読んでいる。
この事実だけで胸がじんわり温かくなる。
「うん...前に一度読んだはずなのに、改めて読んだら、なんか、泣けてきちゃって。」
故郷の星で大切に育てていた一輪のバラとケンカをして、旅に出た王子さま。
様々な星を旅してから最後に辿り着いた地球で、たくさんのバラが咲いている様子を見て、自分が特別だと思っていたバラが実はありふれた存在だったことを知って悲しむ。
そんな王子さまの元に1匹のキツネがやってくる。
王子さまは寂しさからキツネに遊んでほしいと頼むけど、キツネは飼いならされていないと遊べないと断り、飼いならすとは絆を結ぶことだと教える。絆を結べば自分たちは世界でたった1人の友達になるのだと。
こうして、王子さまと交流を深めたキツネは、大切なことは目に見えないと彼に伝える。
彼がバラのために使った時間が長ければ長いほど、バラは王子さまにとって大切な存在になるのだと教えてくれたのだ。
「私にとって、太星君は、まるでキツネみたいだよ...絆を結んで、私にたくさんのことを教えてくれた。」
そこまで言うと、宙は切なそうな笑顔を浮かべながら、俺をまっすぐに見つめた。
「太星君...協力者になってくれて、本当にありがとう。
私、太星君に出会えて良かった。」
あぁ...なんてキレイなんだろう。
宙を見るだけで、彼女への愛おしさで俺は胸が張り裂けそうになる。
彼女は自分が王子さまなら俺のことを絆を結んだキツネだと言ってくれる。けど、もし、俺が王子さまなら、宙は間違いなく俺にとってのバラだ。
大切に時間をかけて手間暇をかけて見守ってきた、他に代わりなんていない一輪のバラ。
いつも彼女には振り回されてるし、彼女に恋をしたことで、頭のネジが外れてバカになって、今までしてこなかったようなこともできてしまう。
でも、そんな風に自分が変わってしまうことさえ、彼女を好きだからだと思うと、愛おしく思えて、受け入れてしまう。
宙に出会って、俺の人生は確実に変わった。
本当に、本当に、言葉じゃ表現できないくらい宙のことが、大好きだ。
でも、この気持ちも、彼女との大切な思い出も、あと少しで覚えていられなくなってしまう。
彼女が調査任務を終えた時、俺の記憶は操作されて、彼女が宇宙人であることも、彼女との日々のことも忘れてしまうのだ。
その事実が、悲しくて、苦しくて、本当に嫌で、胸が痛くて仕方ない。
大切なことは目に見えない。
...本当にその通りだ。
俺にとって、一番大切なのは宙を好きだと思う気持ちなのだから。
例え、身体に傷一つ付かなくても、この気持ちを消された俺は、一番大事なものを失うのだ。
喉の奥が熱くなって、自分の目が潤んでいくのが分かる。
そんな俺の様子を見た宙が、心配そうに俺を見つめている。
俺は必死に笑顔を作ってから、口を開いた。
「...俺も、宙の協力者になれて、本当に良かった。
すごく感謝してるよ、ありがとう。」
俺がそう返事をすると、彼女はとても優しく微笑んでいた。
その姿はまるで、観音様やマリアさまみたいに神聖なものに見えた。
そんな彼女の姿を見ると、さらに胸がいっぱいになって、涙が出そうになったけど、彼女に心配をかけたくなくて、必死で堪えた。
あと1週間で、彼女は地球から去ってしまうのだ。
わざと蛇に噛まれて、自分の身体だけを残し、故郷の星に帰ってしまった星の王子さまのように。
天体観測を2時間ほどで終えてから、車に乗り込むと、後部座席に座っていた宙は、小さな寝息を立てながら、眠り始めた。
その寝顔は、眠り姫のように美しかった。
「お父さん、今日はありがとう。宙もすごい喜んでたよ。」
俺は、運転席でハンドルを握るお父さんに話しかけた。
「こちらこそ、すごい楽しかったよ。
太星が素敵な人と付き合えてることが分かって、嬉しかったし。」
お父さんは正面を見つめたまま、笑顔で答えた。
「...でも、寂しくなるね。宇野さん、来週には引っ越しちゃうんでしょ?」
「...うん。」
彼女ともうすぐ一緒にいられなくなる事実に再び胸を痛めながら俯いていると、そんな俺の様子を見たお父さんは、ゆっくりと話し始めた。
「太星。相手を困らせたくないからって、自分の気持ちに嘘をつくのだけはやめなよ。」
まるで俺の心を見透かすように、そう言われ、俺は驚いてお父さんの顔を見た。
「自分の気持ちを正直に伝えるのって、相手を傷つけちゃう可能性ももちろんあるから、相手のことを思って我慢したり、身を引くのが愛だっていう意見も一理あるとは思う。
...でもさ、誰かを好きだと思う気持ちがそもそもエゴイスティックなことなんだよ。
自分の内側から溢れ出るありのままの感情なんだから。
誰かのことを思って自分の気持ちに嘘をつくのをよしとするのは...言い方が悪いけど、相手のことを考えてる自分に酔ってるだけだって思っちゃうんだよね。
俺はお母さんのことが好きだっていう自分の気持ちに嘘をついて、蓋をしたことを、今でもずっと後悔してるから。
太星に、こんな後悔だけはしてほしくない。」
そこまで言うと、お父さんは一度、深呼吸をしてから、また口を開いた。
「...この先、何があっても、俺は太星の味方だから。」
その言葉を聞いて、ずっと我慢していた涙が溢れ出してきた。
お父さんの優しさで胸がいっぱいになった。
「...ありがとう。」
掠れるような声で、そう返すのが、精一杯だった。




