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...もう少し焼いた方が良いかな。
俺はオーブンの中で現在進行形で焼かれているクッキーの様子をオーブンの扉から覗きこんで確認していた。
明日はホワイトデーなので、宙にバレンタインデーのお返しとしてクッキーを手作りすることにしたのだ。
普段、お母さんの仕事帰りが遅い時に、簡単な料理をすることもあるけど、お菓子作りは初めてだった。
宙といえばチョコレートなので、ココアパウダーを使ったチョコクッキーを作ることにして、ネットで調べた失敗しにくそうなクッキーのレシピを参考にしていた。
材料を混ぜて生地を作り、冷蔵庫で寝かせてから、生地を伸ばして型抜きで型を抜き、予熱したオーブンに生地を載せ、レシピ通りの時間焼いたものの、出来上がったクッキーはまだ生焼けだったので、もう一度オーブンで焼き直しているところだった。
ここまで来て、焦がすのだけは避けたい。
オーブンの扉から、集中してクッキーの焼き色を窺っていると、
「ただいまー」
玄関から帰ってきたお母さんの声が聞こえた。
「あー、甘い匂いがする。クッキー?」
「...うん。」
クッキーの焼き色を確認することに集中していたので、生返事になってしまった。
お母さんはオーブンレンジの前に陣取っている俺の後ろに回ってきた。
「なんでそんなに真剣そうに覗き込んでるの?
焼き上がるまで、普通に待ってればいいじゃん。」
「...もう、レシピに書かれてた焼き時間は越えてるんだけど、生焼けだったから追加で焼いてる。ここまできたら焦がしたくなくて。」
そう答えて真顔で電子レンジと向き合っている俺のことをお母さんはニヤニヤしながら見ていた。
「...愛だねぇー。宙ちゃんも喜んでくれることでしょう。」
「...あと1分で終わるから、そしたらキッチン片付ける。」
お母さんのイジリはスルーして、目の前のクッキーの焼き加減に集中した。
本当は、お母さんが夕食を作り始めるまでにクッキーを完成させたかったのだけど、予想よりも時間がかかったので、お母さんが帰ってきてしまったのだ。
「はーい。完成したら味見させてねー」
お母さんがそう返事して、コートを仕舞うためにキッチンから出て行ったタイミングでオーブンからチンと音が鳴ったので、中のクッキーを取り出すと、こんがりとちょうど良い焼き色がついていた。
これなら大丈夫そうだ。
粗熱を取るために大きなお皿にクッキーを並べていると、戻ってきたお母さんが、皿を覗き込んできた。
「おー、良いねぇ。ちゃんとクッキーだ。美味しそう。味見して良い?」
「一回俺が食べてからね。」
そう言ってヒビが入ってしまったクッキーを持ち上げて口に運んだ。
まだ温かいクッキーはサクッとした歯応えの後、しっとりとした食感になり、口の中にココアの味が広がった。
シンプルな味だけど、チョコ好きの宙なら喜んでくれるのではないかと思った。
「食べて良いよ、お母さん。このひび割れてるやつ。」
俺がもう一枚ヒビが入っているクッキーを指差すと、お母さんは待っていましたと言わんばかりの素早い動きでクッキーを食べていた。
サクサクと言う咀嚼音がお母さんから聞こえてくる。
「うん、美味しいじゃん。ちゃんとチョコの味がするし、甘すぎなくて良い感じ。初めてのお菓子作りにしては上出来なんじゃない?」
「ありがとう。今、流しとか片付けるから待ってて。」
俺がそう言ってから片付ける様子を、お母さんはカウンターに頬杖をつきながら微笑ましそうに見守っていた。
「いやー、私は嬉しいよ、太星の成長が。」
お母さんは何度も頷きながら、しみじみと話していた。
「...何それ?」
俺が軽く笑いながら言うと、
「太星が彼女のためにクッキーが作ってるなんて、半年前の私に教えてあげても信じないと思う。
ホワイトデーのお礼のお菓子なんて、山ほどお店に売ってるのに、手作りするって決めて、あんなに真剣な表情で、失敗しないように集中して作って、出来上がったクッキーの味見は、ひび割れて見た目が劣るやつを選んで食べてて....愛だよね〜宙ちゃん喜ぶよ。」
若干いじっている感じは否めないけど、俺の恋愛面をずっと心配していたお母さんの姿を見てきたので、本当に喜んでいるのも分かる。
「...まぁ、俺もバレンタインデーで手作りのお菓子もらったから、俺も手作りしないと、フェアじゃない気がする。」
宙がバレンタインデーに作ってくれたガトーショコラは冗談抜きで人生で一番美味しいガトーショコラだった。
あれくらいの美味しさのものを作るのは難しいけど、宙が手作りしてくれたという要素込みであの味なのだと実感できたので、せめて俺も精一杯努力してお菓子を手作りしたいと思ったのだ。
「うんうん。良い心構えだよ。
明日は放課後まっすぐお父さんのところ行くんだよね?」
「うん、お父さんの家で夜ご飯食べてから天体観測行ってくる。土曜日の朝帰ってくるから。」
明日は金曜日で、以前、宙を誘った天体観測に行くことになっていた。
放課後、理科準備室で天文部の活動をした後、そのままお父さんの家に向かい、夕食を取ってから車で出発する流れだった。
「そっか。宙ちゃんも一緒なんだよね?
お父さん喜びそうだね。宙ちゃんに会いたがってたし。」
「うん。そうだね。」
お母さんに、俺が家族3人でいられないのが寂しかったと伝えてから、なんとなくだけど、お母さんのお父さんへの態度が軟化してきている気がする。
俺のためにお父さんに歩み寄ろうとしているのだろうけど、どんな理由でも、両親が仲良くなってくれるのは嬉しい。
お正月に家に遊びに行った時に、俺が巣立った後、もう一度お母さんに告白するとお父さんは約束してくれたけど、このまま距離が近くなっていけば、成功率は上がるのではないだろうか。
そんなことを考えていたら、どうやらニヤついていたらしい。
「太星〜ニヤニヤしてるよー、さては宙ちゃんのこと考えてたでしょ〜?」
お母さんは勘違いして完全にいじるモードに移行していた。
「はいはい、片付け終わったから、キッチン使って良いよ。待たせてごめん。」
俺があっさりといなすと、お母さんはつまらなそうに口をへの字にしていた。
「何よー、寂しいリアクション取っちゃってー。
あぁ、これが反抗期かー。」
お母さんは大袈裟に頭を抱えて、嘆いていた。
「本当の反抗期だったら、彼女のために作ったクッキー味見させてあげたりしないから。ほら、どうぞ。」
俺がそう返すと、お母さんは気を取り直したようにキッチンに入って行った。
翌日の放課後、理科準備室で、宙にラッピングしたクッキーを渡すと、目をキラキラと輝かせながら受け取ってくれた。
「...すごい美味しそう。手作りしてくれたの?」
「うん。バレンタインに宙が作ってくれたガトーショコラの足元にも及ばないだろうけど。」
クッキーはピンク色のビニール製の袋に入れ、赤いリボンで留めていた。
クッキーの材料を買う時も、どのラッピングをする時も、選んでいる間とてもワクワクして楽しかった。
やっぱり好きな相手のために何かをする時間というのは、最高に幸せだ。
こんなことを考えていると、やっぱり誰かを好きになるとは頭のネジが外れて、バカになるということだと思い知らされる。
宙はクッキーを大事に両手で持って、愛おしそうにじっと見つめていた。
「んー、もったいないけど...せっかくだから食べるね。」
「うん、どうぞ。」
一旦机の上にクッキーを置いてから彼女は両手を合わせて、いただきますと言っていた。
袋から取り出したクッキーを一口食べた宙は、一気に顔を綻ばせて、幸せそうな表情になった。
「...ものすごい美味しい。ちゃんとチョコの味がする。サクサクほろほろだ。えー、めちゃくちゃ美味しいよ、手作り感があってとても良いです。」
満面の笑みで味の感想を一生懸命伝えてくれる宙を見て、俺までニヤけてしまった。
「うー、大事にゆっくり食べ進めたいのに、美味しすぎて手が止まらない。どうしよう。」
彼女は困ったように笑いながら、クッキーに手を伸ばしていた。
「...そんなに気に入ってくれたなら、また作るから。」
俺がそう言うと、彼女はパッと花が咲いたように顔を綻ばせてから、嬉しそうに口を開いた。
「...ありがとう。また作ってね。太星君が作ってくれたっていう要素込みだからこその美味しさだと思うから。」
そう言って、クッキーにまた手を伸ばす彼女を、俺はずっと笑顔で眺めていた。




