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その日の夜、ほとんど眠ることができなかった俺は、翌朝、寝ぼけ眼でいつもの曲がり角に立っていた。
事故とは言え彼女を押し倒し、そのままキスしようとしてしまったことに対して自己嫌悪に陥ると同時に、宙に謝ったときに言われた、「それでも良いかなって思った」という言葉の意図が分からず、考えることが多すぎてキャパオーバーになってしまったのだった。
さすがに明け方頃に眠気が襲ってきたので、一瞬寝ると夢の中の自分は、宙に対して、押し倒したその先の行為をしていて、叫び声を上げてすぐ起きた。
あまりにも淫らな夢を見てしまった罪悪感で速やかに死にたくなった。
正直、宙と顔を合わせるのがとんでもなく気まずくて、ずる休みしようと決心し、"体調が悪いから今日は休むので、先に学校行ってて"と彼女にメッセージを送ると、ものすごく心配された挙げ句"放課後お見舞いに行くね"というメッセージが来た。
家で二人きりなんて絶対ダメじゃん!!
結局、彼女のお見舞いを全力で回避するために、眠い身体を引きずって、登校することにした。
「太星君、おはよう。」
いつもよりも数倍爽やかに見える笑顔で、挨拶をしてきてくれた宙を目の当たりにした瞬間、こんな相手をいやらしい目で見てしまった自分の浅ましさを実感して、やっぱり早く死にたくなった。
「…おはよう。」
宙と目を合わせないようにしながら、なんとか絞り出すように挨拶をして、通学路を歩き始めると、彼女は心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「大丈夫?熱はないって言ってたけど、休んだ方が良かったんじゃない?」
彼女と目が合った瞬間、今朝の淫らな夢を思い出し、一瞬で顔が赤くなった。
「…だ、大丈夫…学校休むほどじゃないから。」
彼女から目を逸らしながらやっとの思いで答えると、彼女は怪訝な表情をしながら俺のことをじっと見てきたので、俺は全く違う方向を見続けた。
すると彼女は俺の目線の先に移動してきて、いたずらっぽい笑みを浮かべてきた。
心臓が大きく跳ねて、俺は必死の思いでまた別の方向に目線を向けたけど、彼女はニヤニヤと笑いながらまた目線を合わせようとしてくる。
これは…絶対に面白がっている。
「…な、何?やめてよ、」
俺が目を合わせないようにしながら必死に抵抗すると、
「えー、私は太星君の目を見てるだけだよー」
彼女はまるで面白いおもちゃを見つけた子供のように楽しそうに話している。
これは...耐えられる気がしない。
「…お願いだから勘弁してっ!」
俺がそう叫んでから走り出すと、当たり前のように彼女も同じペースでついてきた。
「えー、待ってよー」
必死の形相で逃げる俺と、楽しそうに笑顔で追いかけてくる宙の姿を見た登校中の学生達は、皆、不思議そうな顔をしていた。
…疲れた…。
重度の寝不足なうえ、朝からランニングまでする羽目になった俺は、本当に死にそうになりながら机に突っ伏していた。
「…太星、大丈夫?なんか顔色悪いし、目の下のクマもひどい。」
俺のそばまで来た優吾は、心配そうに俺の様子を窺っていた。
「…うん。ちょっと寝不足なだけだから、心配しないで。」
俺がそう答えると、優吾はまだ何か聞きたそうだったけど、俺から出ているであろう、深く掘り下げないでくれというオーラを感じたのか、話題を変えた。
「あのさ、急だけど、次の日曜日、俺と亜季と、太星と宇野さんで一緒に水族館行かない?」
そう切り出され、前に優吾が亜季ちゃんが宙と話したがってると言っていたのを思い出した。
「リニューアルしたばっかりでキレイになってるらしいし、亜季が宇野さんに会いたがっててさ、お願いします。」
優吾は両手を合わせながら頼んでいる。
やっぱり宙の美しさは男女を問わず人を虜にしてしまうのだろう。
それに、亜季ちゃんのためにいつも全力で行動する優吾の姿は微笑ましかった。
「分かった、俺は大丈夫だから、あとで彼女の都合も聞いてみるね。」
「ありがとう、助かるよ。頼むわ。」
俺の返事を聞いた優吾はほっとしたような表情を浮かべた。
放課後、宙を誘うと彼女も快諾したので、水族館行きが決まった。
約束の日曜日、優吾達とは水族館の最寄り駅で落ち合うことにして、俺はいつもの曲がり角で彼女を待っていた。
宙、今日どんな格好で来るんだろう。
またワンピースなのかな。
宙が俺の家に来てから数日経ち、彼女の顔を見ても赤面しなくなったので、やっと目を合わせて話せるようになっていた。
「太星君、お待たせ。」
そう言って現れた彼女は裾にレースがついている薄い水色の膝丈のワンピースを来て、白いコート羽織り、黒いタイツに、焦げ茶色ロングブーツ、肩からはベージュ色の小さなポーチが掛かっていて、今日も俺がプレゼントしたピンクの手袋をしていた。
髪型はポニーテールで、彼女が動く度に髪の毛がゆらゆらと揺れ、ガラス玉のついた髪飾りが、キラキラと光っていた。
首元には華奢なネックレスが光っており、両耳には小さなイヤリングが揺れている。
もちろん薄く化粧をしていて、今日もすれ違う人々の視線を釘付けにするであろう溢れんばかりの美しさを見せつけていた。
…今日も眩しすぎる。
そう思って俺が目を細めていると、彼女は俺の前でくるっと回ってから、スカートの裾を両手で軽く持ち上げた。
「…今日の私はどうですか?」
上目遣いでにっこりと微笑みながら質問してくる。
これは、自分が可愛いと自覚していないとできない仕草だ。
そして、この問いに対する俺の答えはただ1つ。
「…今日もとんでもなく可愛いです。」
俺がしみじみと感想を伝えると、彼女は嬉しそうな笑みを見せてから口を開いた。
「うん、よろしい。」
やっぱり今日もちょっとだけ偉そうだ。
…そんなところも可愛いんだけど。
こんな風に思ってしまう俺は、完全に彼女の虜になっているのだと実感する。
「じゃあ、行こうか。」
俺がそう言って歩き出そうとすると、
「太星君、何か忘れてない?」
彼女からそう声を掛けられた。
何のことだろうと思い、キョトンとしてしまっていると、彼女は自分の手を俺の顔の前に差し出してきた。
「…ほら、デートだからね。」
そう言って小首を傾げなががら、上目遣いで俺のことを見てくる。
あーーもう可愛い…
たまらない気持ちを抑えるために深呼吸をしてから彼女の手を取った。
手を繋いで歩き出すと、彼女は満足そうな笑顔を見せていた。
待ち合わせ時間よりも早く駅に到着すると、優吾と亜季ちゃんは既に待っていた。
「ごめん、お待たせ。」
俺がそう声を掛けると、優吾が軽く手を挙げて応え、亜季ちゃんは愛嬌のある笑顔を見せながらお辞儀をした後に、大きく目を瞠ってから、俺と宙の近くまで走ってきた。
「宇野さん、とっっってもキレイです!遠くからもすぐ分かるくらい光ってます!いつも以上に輝いてます~!女神様みたい…!」
宙の美貌を絶賛する亜季ちゃんの目はハートになっているように見えた。
彼女に一気に褒められた宙は、その勢いに全く怯む様子もなく穏やかな笑みを浮かべていた。
「ありがとう。亜季ちゃんもすごく可愛い。ピンク似合うね。」
亜季ちゃんはピンクと茶色のチェック柄で、所々にレースがついたミニ丈のタートルネックワンピースに、ピンク色のファーコートを羽織っていた。
髪の毛は大きなリボンのついたバレッタでハーフアップにしている。
「宇野さんに可愛いって言われるなんて光栄すぎます…!今日会えるの本当に楽しみにしてました…!よろしくお願いします!」
口元から八重歯を覗かせながら満面の笑みで嬉しそうに話す亜季ちゃんの姿は確かにとても可愛らしかった。
ふと彼女の後ろを見ると、優吾が穏やかな笑みを浮かべながら、愛おしそうに亜季ちゃんのことを見ていた。
…愛されてるな亜季ちゃん。
気づいたら、宙と亜季ちゃんが楽しそうに話しながら、水族館に向かって歩き始めたので、俺と優吾も並んで2人の後をついて行った。
「太星、今日はありがとう。亜季も嬉しそうだし、本当に良かったよ。」
優吾は俺たちの前を歩く2人の後ろ姿をみながら、ほっとしたように呟いた。
「こっちこそ誘ってくれてありがとう。」
俺がそう答えると、優吾は少し考え込むような表情を見せた後に、ゆっくりと口を開いた。
「…実は最近、亜季が友達とケンカしたみたいで、かなり落ち込んでたから、元気づけたかったんだ。
ほら、亜季、声とか仕草が女子から反感買いやすくて、そんなに友達多くないから。」
以前、亜季ちゃんが中学生時代、クラスの女子に上手く馴染めず、不登校になりかけたことがあると聞いたことがある。
男子から見れば、可愛らしいと判断される仕草も、同性に厳しい女子から見ると、男子に媚びていると判断されるのだろう。
ただ、亜季ちゃんの様子を見ていると、男女関係なく全員に同じ仕草で話しかけているので、元々そういう振る舞いの人なのだと分かるはずだけど。
「その友達が水族館好きだから、お土産を渡して仲直りしたいんだって。
それにずっと宇野さんともっと仲良くなりたいって言ってたから、どっちも叶えてあげたくて。」
優吾は楽しそうに宙と話している亜季ちゃんの姿を、後ろから目を細めながら見つめていた。
「…優吾の愛は深いな...。」
俺がしみじみと言うと、
「なんだよ、それ。」
優吾は顔を赤らめながら、照れ笑いしていた。
「…ていうか、太星だって同じようなもんだからな。
いつも宇宙にしか興味がなくて、他人なんか眼中になかった太星が、彼女にデレデレで手を繋ぎながら登場するなんて、太星と知り合ったばかりの俺に言ったら絶対信じないだろうから。」
そう言われるとぐうの音も出ない。
「…なんか、誰かを好きになるって、頭のネジが外れることなんだなって思った。今までの自分じゃやらないようなことを、簡単にできちゃう。
…言い方は悪いけど、バカになってるなって思う。」
俺がそう言うと、優吾は大声で笑っていた。
「いやー、でもバカになってるは分かるわ。
結局、相手が喜ぶことをしてあげたくなっちゃうんだよ…でも、それも楽しいもんだよ。振り回されるのがね。」
「…なるほどねー。」
そんな会話をしながら俺と優吾は顔を見合わせて笑った。




