31
俺の部屋に彼女を案内すると、彼女は壁一面に配置された本棚を見て目を丸くしていた。
「本当にすごい量...これ全部、宇宙関連の本なの?」
「うん。研究用みたいなしっかりした本から、UFOの呼び方みたいなオカルトっぽいのまで、色々あるよ。」
彼女は下の段からゆっくりと本の背表紙を順番に眺めていた。
「ここの本ってお父さんに買ってもらったものが多いの?」
「うーん、古いのはそうだけど、大体は自分で買ったかな。
宇宙関連の本で自分が持ってないやつがあると、すぐ欲しくなっちゃうから。」
「へー、じゃあ、お父さんの太星君への宇宙に関する英才教育は大成功だったってことだ。」
彼女はそう言うとイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「お父さんも天体観測するの?」
「うん、車出してもらってたまに一緒に行ってるよ。」
「仲良しだねー、車で行くなら山の上とか?」
「うん。標高が高いところだと、やっぱり星がよく見えるから。
冬だと寒くて空気が澄んでるから、すごいキレイに星が見えるよ。」
「いいなー...見に行ってみたい。」
去年、部室でクリスマスケーキを食べてから、屋上で天体観測をした時も、似たようなやりとりをしたことを思い出した。
でも、その時と違うのは俺が宙への明確な好意を自覚していることだ。
「...じゃあ、今度、宙も一緒に行く?天体観測。」
ドキドキしながら誘うと、彼女が驚いて目を瞠った後に、満面の笑みになった。
「行きたい!屋上からでもキレイに見えるから、もっと星がよく見えるところなら、どれくらいキレイなんだろうって気になってたんだ。
誘ってもらえて嬉しい。」
嬉しそうにそう言われると、こっちまでニヤけてしまう。
「じゃあ、お父さんに伝えておくよ。」
俺がそう言うと、笑顔だった彼女は少し不安げな表情になった。
「...親子水入らずのところに私が急に入り込んじゃって大丈夫?
邪魔じゃない?」
「大丈夫だよ、お父さんとは週2-3回会ってて、向こうの家にも泊まってるし。普段、充分に親子水入らずしてるから。」
「...それなら良かった。」
俺の発言を受けて、彼女がほっとした表情を浮かべた。
「あと、お父さん、宙に会いたいって言ってたし、喜ぶと思う。」
俺がそう言うと、彼女は目を見開いて驚いていた。
「え?太星君、私の話お父さんにしてるの?」
俺の様子を窺うように彼女が質問してくる。
もしかして俺が宙の秘密をばらしたのではないかと心配なのだろうか。
「宙の正体はもちろん話してないよ。
...ほら、前に、宙のおかげで、俺がお母さんに成田さんと再婚して欲しくないって言えたことがあったでしょ?
...俺、両親それぞれとは十分に一緒に時間をとってもらえてきたんだけど、3人一緒にいる時間っていうのが、なかなかなくて、正直ものすごく寂しかったんだよね。
その気持ちを伝えたら、お母さんにすごい謝られてさ。
お母さんがお父さんにも、同じことを伝えて、お父さんにも謝られた。
それで、俺が自分の本心を言うことができたのは、宙が背中を押してくれたおかげだって知ってるから、お父さんが一度会ってそのお礼をしたいって言ってた。」
俺がそう言うと彼女は、神妙な顔をして俺に質問をしてきた。
「...太星君の今の気持ちはどうなの?
...3人でいられないことが寂しいっていう。」
彼女が俺のことを心配そうに見つめている。
俺のせいで、彼女に悲しい思いをさせるのは申し訳なくて、俺は両親が離婚するまでの経緯を彼女に説明した。
お母さんの妊娠による体調不良と出産、お父さんの激務が重なりすれ違いが続いた結果、お母さんが別れを申し出て、お父さんは反対したけど、最終的にはお母さんの意向を受け入れたということ。
「お母さんってさ、お父さんに対して、割とよそよそしいんだよね、子供の俺がすぐ分かるくらい...たぶん、お母さんは、父さんのことをまだ許せていないんだよ。
そんな状態で、家族3人で過ごすのは…きっと難しいんだろうなって思う。
無理して一緒にいても、辛くなるだけだろうなって。
俺が本当は3人一緒にいられなくて寂しかったことはもう充分2人に伝えることができたし、たくさん謝ってもらったからこれ以上、俺の寂しかった気持ちをぶつけるのは…違うかなって思ってて。
それをやっちゃうと、これまで俺のために2人が頑張ってくれたことを認めていないようになっちゃいそうでさ。
俺は2人のことが大好きだし、本当に感謝しているから。
寂しかった気持ちも、2人のことを大切に思う気持ちも俺の本心だから、どちらも持ってていいのかなって。
寂しい気持ちはゼロじゃないけど、前と違って、自分の気持ちに正直でいられるから、割と平気になってるよ。だから、俺のこと心配しないでね。」
俺が宙をまっすぐに見つめながら自分の気持ちを伝えると、彼女はまだぎこちないけれど笑顔を見せてくれて、少しは安心してくれたようだった。
「...そっか、それならよかった...でも、もし辛いことがあったら、私になんでも話してね。どんな些細なことでも良いから。
太星君は私の大事な協力者なんだから。」
そう言って俺の目をじっと見つめてきた。
「ありがとう...俺、宙にはほとんどなんでも話せてるよ。いつも助かってる。」
この言葉通り、俺は宙にありとあらゆることを話せている。
...俺が宙のことを好きだということ以外は。
この気持ちを伝えたら、彼女を困らせてしまうのが分かっているから。
あくまで彼女はこの地球を調査しにきた宇宙人で、調査が終わる3月には元の宇宙船に戻るのだから。
そして俺は彼女の協力者で、その調査に協力する必要がある。
彼女への好意を伝えたら、きっとギクシャクして、今までのように、協力者でいることが難しくなるだろう。
それに、精度の高い調査のために、知り得た情報は一つ残らず直接報告しなければいけないので、彼女がそのまま地球に残ることはできない。
「それを聞いて安心した。これからもよろしくね。」
そう言って微笑む彼女を見ると、俺は胸が苦しくなってしまうけど...この気持ちは俺だけの秘密にする。
「うん、こちらこそよろしく。」
俺の言葉を聞いて安心した様子の彼女は、再び、本棚の本を眺め始めた。
そして、天井に近い位置を見上げて、何かを見つけてふふっと笑っていた。
「何か気になる本あった?」
俺が声を掛けると、
「太星君にとって、星の王子さまって、宇宙関連の本なんだなって思って。
そういう目線でこの本を見たことなかったから、ちょっと面白かった。」
彼女はそう言って、星の王子さまの文庫本を指さした。
「あー、そっか...変かな?
お父さんが昔、絵本版を買ってくれて、気に入ってたんだけど、読みすぎて破れちゃったから、中学生の時に文庫本を買い直したんだよね。
お父さんが俺にくれる本って基本的に宇宙関連の本だから、俺の中では星の王子さまも宇宙の本ってことになってた。」
小さい頃、お父さんの家に泊まるたびに、星の王子さまの絵本を読んで欲しいとせがんでいたことを思い出す。
「ううん、変じゃないよ。
確かに、色々な星を巡る話だから、宇宙の話ではあるよね。」
「読んだことあるの?」
「うん、一度だけね...でも、細かいところは忘れちゃったから、もう一回読みたいな。」
「じゃあ、貸そうか?」
俺が提案すると、彼女は嬉しそうに笑った。
「良いの?借りたい、いつまでに返せばいい?」
「いつでも良いよ、読み終わったらで。本取るね。」
俺はそう答えてから、キャスター付きの椅子を本棚の前持ってきた。
「ごめん、動いちゃいそうだから、椅子、押さえててもらって良い?」
「うん、分かった。」
彼女が椅子を押さえたのを見てから、座面に立ち、背伸びをして星の王子さまの文庫本を手に取った。
目的を果たしたので椅子から降りようとして、右足をカーペットの上につけた瞬間、滑って体勢を崩した。
「うわっ!」
そう叫んだ時にはもう遅く、俺は両手を床についていた。
そして、それの両手の間には、床に押し倒された状態になった宙がいて、驚いた表情で俺を見上げていた。
...いや、漫画かよ...
ラブコメ作品にありそうな、お約束のハプニングに思わず心の中で突っ込んでしまう。
「ごめん!痛くない?えっと、すぐ避けるから、」
2人きりの部屋でこの状態は絶対にまずい、俺は急いで自分の身体を起こそうとしたけど、彼女は右手で俺の左腕を掴んでそれを防ぎ、まっすぐ俺のことを見上げてきた。
え?何?どうしたの?
頭の中で今の状況が理解できず、完全にフリーズして、しばらく彼女と見つめ合ってしまう。
...キレイな目...吸い込まれそう。
そう思っている間も彼女は何も言わず、俺のことをじっと見つめ続けている。
自分の心臓の音がどんどん大きくなっているのが分かる。
早く身体を起こさなければいけないのは理解しているはずなのに、彼女の大きな目に吸い込まれそうになる。
何か抗えない力が働いているように、俺はゆっくりと自分の顔を彼女の顔に近づけていった。
2人の顔の距離が5cmほどになったタイミングで、玄関の鍵が開く音がした。
「ただいまー」
タイミングが良いのか、悪いのか分からないけど、仕事を終えたお母さんが帰ってきた。
「...起きようか。」
彼女にそう言われ、俺は即座に起き上がった。
正直ドキドキしすぎて、全身が熱くなっている。
今の俺の顔は絶対に真っ赤だ。
そんな俺と対照的に、宙は涼しい顔をして、乱れた髪の毛を直してから、床に落ちていた、星の王子さまの本を持ち上げた。
「じゃあ、借りるね。それに、お母さんに挨拶しに行こう。」
彼女は落ち着いた声色でサラリと告げた。
「...はい...」
一方、俺はというと、恥ずかしさと気まずさで混乱してしまい、何故か敬語になってしまった。
リビングに入ると、お母さんは、買い物してきたであろう食材をキッチンの冷蔵庫に入れていた。
「お邪魔してます。すみません、使った食器は食洗機にかけるって聞いたので置いたままにしちゃってました。」
宙は爽やかな笑顔でお母さんに声をかけていた。
「宙ちゃんいらっしゃい。そのつもりだから全然気にしないでね。ゆっくりできた?」
お母さんもパッと笑顔になって答えている。
「はい、とっても。それに紅茶も美味しかったです。ごちそうさまでした。」
「良かったー、宙ちゃんお誕生日だったんだよね?おめでとうー、それに試験も合格おめでとう。」
「ありがとうございます。お土産に洋菓子セット買ったので、ぜひ食べてください。」
「えー、わざわざ?いつも気を遣ってくれてありがとうね。」
相変わらず盛り上がる2人の会話を聞きながら、さっきの俺の部屋での出来事で俺の頭の中はいっぱいで、気まずさのあまりお母さんの顔が見られなかった。
「宙ちゃん、せっかくだから夜ご飯も食べていかない?」
「ありがとうございます、嬉しいです。
でも、親に夜ご飯までには帰るって伝えてるので、そろそろ帰らなきゃいけなくて。すみません、誘っていただいたのに。」
「そうなんだ、いいよー、気にしないで、私も急に誘っちゃったし。また今度ゆっくりきてね。」
「はい、ありがとうございます。」
「じゃあ、太星、宙ちゃん送ってあげな。」
「...うん。」
目を逸らしたまま返事すると、お母さんは明らかに怪訝そうな顔をしていた。
お願いだから、今は追求しないでくれ...
その祈りが通じたのか、お母さんには何も言及されず、俺は宙をいつもの曲がり角まで見送ることになった。
「ケーキ美味しかったね。どれも良かったけど、ガトーショコラが一番好きかも。結局シンプルにチョコレートの味を楽しめるやつが好みなのかもしれないなー。」
「...うん。」
2人で並んで歩いている間、彼女は、何事もなかったかのようにいつも通り楽しそうに話している。
一方、俺はというと、相変わらずさっきの自分の部屋での出来事が頭から離れず、上の空になってしまい、ずっと生返事をしていた。
あのままお母さんが帰ってこなかったら、俺は確実に彼女にキスをしていただろう。
...それ以上のことをやらかしていたかもしれない。
いとも容易く崩れかけた理性に絶望すると同時に、自分の行動への強烈な恥ずかしさで全身が焼け焦げそうだった。
穴があったら入りたい。
そんなことを考えていると、気がついたら曲がり角に到着していて、彼女が急に俺の顔を覗き込んできた。
今、彼女の顔を見るのは絶対的にまずい。
押し倒された状態で俺のことをまっすぐに見上げていた姿が脳裏をよぎり、俺は即座に半歩後ろに下がって、彼女から距離を取った。
すると、彼女が驚いたような、傷ついたような表情をした。
しまった、あまりにも不自然だった。
「えっと、あの、ごめん...」
どう言い訳して良いか分からず、そのまま黙っていると、宙はゆっくりと口を開いた。
「...さっきのこと気にしてるの?」
彼女の方から言及され、俺は外じゃなければ土下座していたであろう勢いで、瞬時に頭を下げた。
「あのっ、本当にごめん!
俺、すごいダメなことをしたよね...本当にごめんなさい...心の底から反省してます...」
彼女がどんな表情をしているのか見るのが怖くて、俺は顔を上げられなかった。
しばらく2人の間に沈黙が流れてから、
「太星君、頭上げて。」
宙がそう言った。
声色からは彼女の感情が窺えなくて、俺はビクビクしながら顔を上げたけど、彼女は困ったような笑顔を見せていた。
「...私、別に怒ってないよ。あれは事故だし。」
そう言われて、心の底からほっとした。
...良かった。怒ってないんだ...。
...でもダメだ。
もう、2度とこんなことを起こさないように気を引き締めないと。
「そっか...でも本当にごめん、もうあんなことはないようにするから。」
俺がそう言い切ると、彼女は少し考えているようなそぶりを見せた後に、イタズラっぽく笑った。
「...まぁ、私は...それでも良いかなって思ったんだけどね。じゃあ、また明日ね。」
彼女は俺に爆弾のような言葉を残して颯爽と立ち去って行った。
...それでも良いかなってどういうこと?!?!
彼女の発言をどう解釈して良いのか分からず、俺は赤い顔をしたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
顔の熱さはマシになってものの、考えすぎてパンクした頭の状態のまま、とぼとぼと家に帰った。
ドアを開けるとお母さんが腕を組んで仁王立ちして待ち構えていて、俺は思わず「うわっ!」と叫び声を上げた。
お母さんはそのまま何も言わず、ジト目で俺のことを睨んでいる。
沈黙に耐えられず、俺の方から口を開いた。
「...何?」
しばらくそのまま動かなかったお母さんは、ゆっくりと口を開いた。
「...太星。私、あなたにしてきた性教育は間違っていなかったって信じてるからね。」
そう言われ、俺はギクっとしてしまった。
お母さんは、俺が物心ついた時から、プラベートパーツから、性行為に至るまで、細かく性教育をしてきてくれていた。
それにも関わらず、さっきの俺は、彼女に同意も得ずにキスしようとしたうえ、例え同意を取れたとしても、その先の行為をするのに必須の避妊具すら持っていなかった。
ダメだ、教えてもらってきたことを何一つ生かせていない。
罪悪感で俺がそのまま押し黙っていると、お母さんは俺の両肩に手を置き、俺の目をじっと見つめてきた。
「...信じてるからね。」
お母さんから、”彼女を傷つけるようなことを絶対にやらかすなよ”という、とんでもない圧を感じる。
「...はい...」
身に覚えがありすぎる俺は、小さくなりながら、蚊の鳴くような声で答えることしかできなかった。




