30
家のマンションに到着して、ドアの鍵を開けると、当たり前のように家の中はしんとしていた。
一気に緊張感が高まる。
...大丈夫、落ち着け...冷静に...
そんなことを考えていると、しばらく玄関で立ち止まってしまっていて、
「えーっと、中、入っても大丈夫?」
訝し気な表情をした宙に声をかけられた。
「あ、大丈夫、ごめん。どうぞ入って。」
急いで靴を脱いで中に入ると、彼女も俺の後に続いて靴を脱ぎ、お邪魔しますと言って中に上がった。
電子ケトルでお湯を沸かしながら、食器棚から取り出した皿とフォークをテーブルに並べた。
せっかくなので来客用のティーカップを出して、紅茶を入れると、ティーパックだけど、いつもよりも豪華に見えた。
3個のケーキを大きな皿に並べると、割と圧巻な眺めだった。
「あー、美味しそう。嬉しいなー。」
彼女はワクワクした様子でスマホで写真を撮っていた。
「どれから食べようー、どれも半分ずつでいいよね?悩むなー。」
散々悩んだ挙句、彼女はガトーショコラを自分の取り皿に取っていた。
「はい、バースデーのプレート忘れないでね。
これは宙が1人で食べてね。誕生日の主役用だから。」
俺がそう言いながら、彼女の皿の上のガトーショコラにチョコレートでできたプレートを乗せると、彼女はにんまりと笑った。
「えへへ、じゃあお言葉に甘えて。太星君はどれから食べる?」
「じゃあ...チョコケーキにするかな、シンプルなやつ。」
俺が自分の取り皿にチョコケーキを載せると、彼女は待ちきれない様子で、
「じゃあ、早速食べようか、いただきま、」
と言っていたが、
「ちょっと待って、大事な仕上げがまだだから。」
俺が彼女の発言を遮ると、彼女は驚いた後、少し拗ねたような表情になった。
「えー?何?もう準備バッチリだと思うんだけど。」
「誕生日ならロウソクいるでしょ?吹き消さなきゃ。」
「あ...そっか。ごめん、完全に忘れてた。せっかく数字のロウソク買ったのに。」
バースデーケーキにはロウソクが必要だという話になり、ケーキ屋さんでロウソクを買っていたのに、目の前のケーキに気を取られて彼女の頭から飛んでしまっていたらしい。
「チョコレートケーキを前にすると、もう何も考えられなくなっちゃう。良くないな。」
彼女は苦笑いしながら、恥ずかしそうに両手で頬を押さえてた。
「今、ライター持ってくるから待ってて。」
俺はキッチンからライターを持ってきてから、1と7の数字のロウソクを彼女のガトーショコラに刺した。
「ハッピーバースデーの歌分かる?」
「さすがに知ってる。地球上で1、2を争うくらい歌われてる曲だからね...でも、私が祝われる立場だから、太星君1人に歌ってほしい。
誕生日を噛み締めたい。」
まさかソロ歌唱を要望されると思わず、当然のように怯んでしまった。
「いや、1人は...俺、歌下手だし...」
そう言って断ろうとすると、
「お願い。上手い下手とかじゃなくて、こういうのって気持ちでしょ?歌ってほしいなー。」
上目遣いでおねだりされて、ノーとは言えなかった。
「...下手でも笑わないでね。」
「うん、絶対約束する。」
彼女に笑顔でそう言い切られたので、俺はライターでロウソクに火をつけてから、覚悟を決めて、歌い始めた。
俺が歌っている最中、宙はとても嬉しそうに目を細めていた。
俺が歌い終わると、彼女は一息でロウソクの火を消した。
「誕生日おめでとう。」
俺が拍手しながらそう言うと、
「...本当に嬉しいありがとう。」
彼女は喜びを噛み締めるようにお礼を伝えてきた。
「よし、今度こそ、いただきます!」
彼女は両手を合わせてから、ガトーショコラにフォークを伸ばした。
一口頬張ると、んーと唸りながら、幸せそうに顔を綻ばせていた。
「美味しすぎるー、バースデーケーキだと思うと、より一層美味しい。合格祝いでもあるしね。提案してくれてありがとうね。
お互い合格おめでとう。」
「そこまで喜んでもらえて、良かったよ。誕生日と合格おめでとう。」
そう言ってお互いに顔を見合わせて笑い合った。
ケーキの感想を言い合いながら、食べ進めていると、
「お母さんって今日は仕事だよね?
勝手にお邪魔しちゃって大丈夫だった?」
彼女が少し心配そうに聞いてきたので、
「大丈夫だよ、宙が来ることは伝えておいたから。
ゆっくりしてってねって書いてた。」
自分の中に邪な気持ちが生まれないように、己の煩悩を牽制するためにも、お母さんにはあらかじめ彼女が来ることを伝えておいた。
流石に母親に知られている状態で不埒なことはできない...はずだよな、俺。
「良かったーありがたすぎる。
お母さんっていつも何時頃帰ってくるの?」
「定時は17:30だけど、大体残業して、19:00くらいかな。」
「へぇー、じゃあ忙しいね。今日もそれくらいかな。」
「いや、昨日、当直でそのまま働いてるから、流石にもう少し早く上がってくると思う。」
本来、当直の翌日は休むのがルールだけど、人手不足だからそうもいかないとお母さんは苦笑いしていた。
「ひぇー、24時間以上働くなんて、すごすぎる。
さすがお医者さん。」
「本当すごいよね、俺には絶対自分はできないと思った。」
両親が医師だと、その子供も医師を目指す確率が高いようだけど、俺は2人のハードすぎる働き方を見て、自分には絶対向いていないと思った。
「そうなんだ...太星君は、進路の希望ってあるの?」
「うーん...前にもチラッと話した天文部のOGの先輩がいる大学の学部に行きたいと思ってるけど、まだオープンキャンパスとかも行けてないから、完全には決めてない。
でも、やっぱり、宇宙に関わる仕事がしたいし、JAXAと国立天文台とかで働きたいから、そこへのつながりが強いところがいいかなとか...ちょっと大変そうだけどね。」
正直、自分が宇宙に全く関係ない仕事をやりがいを持ってやる姿は全く想像できないので、なんとか、宇宙関連の仕事がしたいと思っている。
「太星君、これだけ宇宙好きだし、天文宇宙検定も1級に受かるくらいの熱量があるから、きっと大丈夫でしょ。
前に聞いた気がするけど、お父さんの影響で宇宙好きになったんだよね?」
「うん、そうだよ。実はお父さんも元々は宇宙関連の仕事がやりたかったらしいんだけど、あまりにも勉強ができて成績良かったから、周囲の大人たちに医学部を薦められて、流されちゃったって言ってた。
だから、自分の子供にも宇宙好きになって欲しかったらしくて、俺に宇宙関連の本とか望遠鏡とか色々与えてたら、まんまと俺がハマったから嬉しそうだよ。」
俺がやりたいのが一番だけど、俺が宇宙関連の仕事に就職できたら、お父さん胸の中にまだ少しだけ燻っている宇宙への未練も少しは解消されるのではないかと勝手に思っている。
「そうなんだ...じゃあ、太星君の部屋って部室より宇宙関連の本あったりする?」
「うん、かなりあると思う。」
俺の部屋には壁一面に宇宙に関するありとあらゆる本が並んでいる。
俺の返答を聞いた宙は少し考える様子を見せた後に、口を開いた。
「...見たいな、本。部屋行ってもいい?」
そう言われて自分の心臓が大きく跳ね上がったのが分かった。
さすがに部屋で2人きりは...まずい気がする。
「いや、部屋散らかってるし、そんなに面白いものもないし...」
しどろもどろになりながら、部屋に行くのを回避しようとすると、
「散らかってるなら、今から片付けてきてもらって大丈夫だよ、私待ってるし。
それに本がたくさんあるっていうだけでも面白そうだから。
部室の本ほとんど読んじゃったからまだ読んでないやつあるなら読みたいし。」
そう言われ、反論する術を失ってしまう。
でも、やっぱり、2人きりで部屋にいるのは雰囲気がありすぎる気がする。
いくら理性を保とうとしていても、その状況だと、自分が何かよからぬことをしてしまいそうで恐ろしい。
そう思ってしばらく唸っていると、彼女はまたいつものように顔を覗き込んできた。
だから、距離が近いんだってば。
「...お願い。」
好きな相手に、上目遣いで、語尾にハートマークがついていそうな甘い声でお願いされて、断れる人間がいるだろうか。
いや、いない。
俺は観念した。
「...分かった...片付けてくるから待ってて。」
俺が了承すると、彼女は「やった!」と言ってニコニコしていた。
こっちの気も知らないで...。
少し恨みがましい気持ちを抱えながら、自分の皿に残っていたケーキを食べ終え、皿とカップを流しに片付けてから自分の部屋に向かった。
部屋に入ると、床に置いたままにしていたパジャマ代わりのスウェットを回収し、机の上に置きっぱなしにしてる問題集や教科書を元の棚に戻してから、ベッドの上の布団を整えた。
正直、俺は片付けができないタイプではないので、割と短時間で、そこそこ整理整頓された部屋になった。
一般的な男子高校生の部屋としては及第点だろう。
最後に自分と彼女が座れるように座布団を床に置く。
5畳程度のスペースしかない上に家具が並んでいるので、座布団同士の間隔は狭くなってしまうけど、極力離して配置した。
これで大丈夫なはず...。
2、3回部屋の中を見回して問題はなさそうだと判断してからリビングに戻った。
彼女はちょうど紅茶を飲み終えたようで、流しにに自分が使った食器を片付けていた。
「あ、紅茶ごちそうさまでした。洗っちゃっても大丈夫かな?」
俺に気づいた彼女が声をかけてきた。
「いや、あとでまとめて食洗機にかけるだろうから、置いたままでいいよ。」
そう答えながら、テーブルの上に残っていたケーキが入っていた箱をゴミ箱に捨てた。
「ごめんね、箱をどこに捨てていいか分からなかったから置きっぱなしにしちゃってた。」
「気にしなくていいよ、お客さんなんだし、むしろ、食器下げてくれててありがとう。」
そんなやりとりをしてから、テーブルの上をウェットティッシュで拭いていると、キッチンから戻ってきた彼女が俺の横まで来た。
「じゃあ、狭いし、全然オシャレでもないけど、俺の部屋行こうか。」
彼女にそう言いながら、まるで自分から積極的に彼女を部屋に誘った気分になり、なんとなく悪いことをしている気持ちになる。
いや、彼女の方から行きたいって言ってきたんだし...
そんな風に考え込んでしまっていると、
「全然気にしないから大丈夫。楽しみ。」
そう言って、彼女は眩しいくらいの笑顔を見せてきた。
一気に心臓の音が大きくなったのが分かった。
...絶対に変なことをしない。
そう心に誓ってから、彼女と一緒に部屋に向かった。




