22
屋上に上がると、冷たい風が全身に吹きつけてきて、紅茶で温まっていた身体が一気に冷えてしまいそうだった。
「前回よりも寒いね。もらった手袋つけておいて正解だった。」
そう言って自分の身体を抱きしめる宇野さんの手には、先ほどプレゼントしたばかりの手袋がはめられていた。
「早速役に立ったね。じゃあ準備しようか。」
2人でいつものように天体観測の用意をした。
寒い季節用の備品として大人2人が入るワンタッチテントと、防寒マット、寝袋があるので、身体の大部分を寝袋に入れながら防寒マットを敷いたテントの中に2人で入った。
「…やっぱり、寒い季節の方が空気が澄んでるからキレイに見える気がする。」
オリオン座に標準を合わせた望遠鏡を覗きながら彼女が呟いた。
「冬に、標高の高いところで天体観測すると、結構感動するよ。
普段見ている星空よりも格段に光ってる星が多く見えて。」
理科準備室でタンブラーに入れた紅茶を飲んで暖を取りながら俺は話していた。
「そうなんだ…いつか見に行ってみたいな。」
彼女は望遠鏡から目を離さないまま独り言のように呟いた。
じゃあ、今度一緒に行こうよ。
思わず、そう誘いたくなったけど、言う勇気が出ない。
これは協力者としての行動の範疇を越えてしまっているんじゃないか。
そんな風に思って言葉にする前にブレーキが掛かる。
…本当は自分で気づいているのだ。
彼女のことを恋愛対象として好きになりかけていることに。
「これで、天体観測は8回目かー。
2週間違うだけで、全然違う星空に見えるから、天体観測って楽しいんだろうね。」
望遠鏡から目を離した彼女が、自分のタンブラーに入っている紅茶を飲みながらしみじみと話していた。
そういえば、彼女が入部してから毎回、第1、3金曜日に天体観測ができている。
雨はもちろん、曇りでもできないものなので、2週間に1度とはいえ、8回連続で観測できていることはすごいことだと思う。
去年は月2回の機会がどちらも天候不良で、丸々1-2ヶ月観測を行えなかったこともザラにあったのだ。
俺は美味しそうに紅茶を飲んでいる宇野さんを見つめた。
…もしかして、宇宙人の不思議な力で、天気を操ってるとか…。
一瞬、そんな風に思ったけれど、さすがにそこまで大がかりな操作はできないかと思い直した。
…まさかね。
そう思って彼女を見ていると、彼女はタンブラーから口を離してから、しばらく黙っていて、何か考えているようだった。
「…どうしたの?なんか静かだね?」
いつもよく話す彼女が静かだと、俺はすぐに何かあったのではないかと気になってしまう。
我ながら心配性だとは思うけど、さっき、理科準備室でも何か言いたそうだったし、気になることがあるのなら知りたかった。
俺が声を掛けると、彼女は俺のことをじっと見つめてきた。
その瞳は、今から話そうと思っていることを、本当に言って良いのか迷っているようにも見えた。
「何か、気になることでもある?俺で良ければ聞くよ。」
俺がそう言うと、彼女はまだ少しだけ逡巡を感じさせるような声色で話し始めた。
「…太星君と亜子ちゃんが仲良くなったことで…その…お母さん達は、再婚する感じなの?」
まさかそのことを聞かれるとは。
驚いてしまったけど、言葉に詰まりながら、俺は返事をした。
「…うん。元々、亜子ちゃんが高校生になるタイミングで、再婚を考えてるって言われてて…それもあって、亜子ちゃんと仲良くならないとって思ってたんだ。
だから、宇野さんのおかげで仲良くなれて感謝してるよ。」
なるべく笑顔を意識しながらそう伝えたけれど、宇野さんはまだ心配そうに俺のことを見ていた。
「…太星君は、2人が再婚することに、賛成してるの?」
その質問をされた瞬間、ドキッとした。
...俺の本心を見透かされているように感じたから。
「...うん。成田さんは良い人だし、亜子ちゃんも良い子だし...家族になるのに、何も問題ないと思うから。」
一つ一つ言葉を選びながら話した。
どの言葉にも嘘はない。
「...太星君が、成田さん達と家族になりたいと思ってるわけじゃないんだね。」
そう言われて、自分の中に押さえ込んでいた気持ちがバレているのだと知った。
「...太星君。無理してない?本当にそれでいいの?
辛くならない?」
宇野さんが心配そうに俺のことを見てる。
彼女が俺のことを思ってそう言ってくれてるのは分かってる。
...でも、俺の中で、頑張って折り合いをつけてきたのだ。
ここまできて...本心を言うことなんてできない。
「今まで、何度も聞かれてきて、その度に賛成してきたんだよ。
お母さんにも、成田さんにも...不満なんてない。
俺なりに、どうするのが、一番良いか考えてきたんだよ。」
俺は自分に言い聞かせるように話していた。
きっとこれが、最善の選択なんだって。
「...太星君、さっきからずっと、苦しそうだよ。」
俺のことを考えて言ってくれているのは分かっている。
だけど、どうしても...やり場のない憤りを感じてしまう。
今更そんなこと、言わないでくれ。
俺を迷わせないでくれ。
「宇野さんには俺の気持ちなんて分からないよ。」
自分でも驚くほど突き放すように冷たい声色で言葉を発していた。
言った瞬間にしまったと思った。
俺の言葉を受けて、彼女の美しい顔は悲しそうに歪んでいた。
違う、彼女にこんなこと言うのは、間違ってる。これは、ただの八つ当たりだ。
...彼女が言ってることが合ってるから。
「...ごめん。」
ちゃんと謝りたいのに、心の中がぐちゃぐちゃでうまく言葉が出てこない。
俺が何も言えないでいると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「確かに、私が太星君の気持ちを全部分かることはできないと思う。」
感情的な俺とは対照的に、彼女の声色は、落ち着いていて、まるで俺のことを包み込んでくれるような優しさがあった。
「でもね、私が知ってることがある。
太星君が、お母さんとお父さんをとても大事だって思ってて、離婚しても自分の両親に変わりはないって言ってたこと。
あと...天川って名字が大好きなこと。天の川みたいだから。」
そう言われた瞬間、自分の本心を囲っていた鎧が崩れ落ちる音が聞こえた。
お父さんがお母さんの天川と言う苗字を見て、
「天の川ですね。キレイな苗字。」
と話しかけたことから、両親の関係が始まったと話すお父さんの切ない表情が一瞬で思い浮かんだ。
...彼女の言う通りだ。
「...覚えてたんだね、俺が前に話してたこと。」
自分でもびっくりするくらい、穏やかな口調で話せた。
「...うん。そのことを話してる時の太星君の表情を見て、なんていうか...大事なものの話をしてるんだろうなって思ったから。
すごく印象に残ってた。」
彼女は、俺のことを心配そうに見つめている。
俺のことを思って話してくれているのだ。
ここまで寄り添ってもらって本音を言わないのは違うと思う。
俺は深呼吸をしてから口を開いた。
「...さっきは冷たいこと言っちゃって、本当にごめん...図星だったから、つい…。
俺、本当は、再婚して欲しくない。
でも、お母さんも、成田さんのことも傷つけたくなくて...俺が飲み込めば、全部うまくいくから、言わないようにしてた。」
お母さんに、何度も再婚して良いか聞かれて、その度に、良いよと答えてきた。
そう言えばお母さんが喜ぶと分かっていたから。
喉の奥が熱くなり、泣きそうになってしまって、思わず目を伏せると、宇野さんが俺の手を握ってきた。
驚いて彼女を見ると、まっすぐに俺を見つめていた。
「...私、太星君に無理して欲しくない。
太星君、優しいから、自分の気持ち押し殺しちゃうんだろうなって思ってた。
でも...まだ、太星君、17歳だよ。子供だよ。
お母さんだって、太星君が無理してたら辛いよ。
お母さんに会って、太星君のこと、すごく大事にしてるんだなって思ったもん。
お母さんのことが大事だからって、自分の気持ちに嘘をつき続けるのは、私は違うと思う。」
そう話している彼女の瞳は、大きくて、灰色がかってて、吸い込まれてしまいそうで、やっぱりとてもキレイで、見つめていると、自分の中の迷いがだんだんと消えていくのが分かった。
「...伝えても良いのかな。
本当に俺が思ってること。」
彼女の目を見ながらポツリと話すと、
「良いよ、絶対。その方が。」
彼女は俺から目を逸らさずに言い切った。
あまりにも確信に満ちたその言葉に、少しだけ笑ってしまった。
「ありがとう。」
俺がお礼を言うと、彼女は優しい笑顔を見せてくれた。




