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お母さんの勤めている病院の救急外来を受診すると、全治一週間の打撲と診断された。
お母さんは俺の怪我が軽傷だったことに安心したようだった。
診察室から出てスマホを確認すると、宇野さんからメッセージが届いていた。
彼女から連絡が来たのは初めてだった。
"今日は本当にありがとう。怪我どうだった?
心配なので返信待ってます。"
彼女を安心させてあげたくて、俺はすぐに返事を送った。
"打撲で全治1週間って言われたよ。
骨折もしてないし、そのまま様子を見れば大丈夫だって言われたから安心してね。
宇野さんは帰り道大丈夫だった?"
メッセージを送ると、宇野さんからの返信はすぐだった。
"良かった。助けてくれて、本当にありがとう。
帰り道は早野君と、武田君と、亜季ちゃんと無事に帰りました。
武田君と亜季ちゃんが2人だけの世界になってたから、私と早野君は邪魔だったかもしれないけど。"
"無事に帰れたなら良かった。
あの2人はいつもそんな感じだから気にしなくて良いと思うよ。また月曜日に。"
"うん。また月曜日ね。"
車の中で、俺が、スマホで宇野さんとやり取りしていたのを見守っていたお母さんは、俺が彼女に最後のメッセージを送ったことを確認した後に、口を開いた。
「太星には悪いかもしれないけど、お母さん、ちゃんと然るべき措置、取るからね。
学生だからとか関係ないし、これは立派な傷害罪だから。
大事な息子を傷つけられて、いい加減な対応なんて、絶対許さないから。」
お母さんの性格上、穏便に済ませることはないだろうと思っていたので、俺が口を挟む余地はなかった。
診断書をもらったお母さんは、その日のうちに知り合いの弁護士に相談していた。
そこからの対応は実にスピーディーで、弁護士、相手方の親、学校と協議の結果、学校は彼に停学処分を下し、相手側からは直接謝罪を受けることになった。
日曜日に、自宅まで親と一緒に謝罪に来た先輩は、完全に威勢を無くし、大人しく頭を下げていた。
「この度は本当に大変申し訳ありませんでした。」
「…申し訳ありませんでした。」
先輩のご両親は、一見して真面目そうな人たちで、こちらが可哀想に思ってしまうくらい、悲痛な面持ちをしていた。
先輩も、心から謝罪しているように見えたので、最終的に、示談金と治療費の支払いをしてもらうこと、そして宇野さんと俺に今後近づかないことを約束をしてもらって、手打ちにした。
こうして怒濤の週末が過ぎ、月曜日に教室に向かうと、既に登校していた宇野さんが入り口まで出迎えてくれた。
「天川君おはよう。…傷、痛い?」
「おはよう、内出血してるから派手に見えるだけで、もう痛くないよ。」
殴られてから2日経って、青色から黄色にまだらになって腫れた頬は、まるでボクサーのようだったけど、痛みはほぼ引いていて、自分が怪我をしていることを、つい忘れてしまうほどだった。
ふとしたときに、鏡で自分の顔を見て、自覚症状と見た目の派手さのギャップに驚いていた。
すると、宇野さんは俺の頬に手を伸ばして、手の平を当ててきた。
相変わらず、驚くほど冷たい。
「…どうしたの?」
「…私の手、冷たくて気持ちいいって言ってたから、手を当てておけば、早く良くなるかなって思って。」
そう言って真剣に手を当て続ける宇野さんの表情は、切実すぎて少しおかしかった。
「ありがとう。でも、もう熱くないから大丈夫だよ。」
「うーん、でも、手当てって言うし、昔は怪我してるところにこうやって手を当てるだけでも、治るのが早くなるって言われてたって聞いたから。」
俺たちがそんなやりとりをしていると、
「…2人とも、気持ちは分かるけど、さすがに教室の中でやるのは目立ちすぎ。
みんな、目のやり場に困ってるよ。」
優吾に声をかけられたので、周りを見渡すと、クラスメートほぼ全員の視線が俺たちに注がれてた。
さすがに恥ずかしくなり、俺は、顔が赤くなってしまったけど、宇野さんは顔色を変えず、平然としていた。
やっぱり宇宙人は心臓が強い。
俺の頬から手を離した彼女は、改めて俺を正面に見据えた。
「天川君。何度も言ってしつこいと思うかもしれないけど、本当にありがとう。」
彼女に満面の笑みでお礼を言われたので。
「どういたしまして。役に立てて良かったよ。」
俺も笑顔でそう返した。
その日の午前中、クラス展示の片付けが始まると、ここ数日間の、俺への品定めをするような厳しい視線をあまり感じなかった。
男子のうちの数人はまだ冷たい目線だったけど、女子と大部分の男子から何故か優しく見守られている感じがしたし、実際、何人かからは、とても温かく声をかけられた。
「…なんか、皆が優しい気がする。」
作業をしていた俺がボソッと呟くと、
「そりゃあ、太星が、宇野さんを守った話を、みんな知ってるからでしょ。
あの3年生が停学になった話が広まって、すごい噂になってるよ。
あいつに絡まれてた宇野さんを、太星が身を挺して守って、彼女は無事だったんだから。
女子達は、太星の意外な男らしさに、漫画みたいでカッコいいってはしゃいでて、男子達も、あいつ結構やるじゃんって話してるみたい。
いやー、頑張った甲斐があったね。
これで宇野さんに釣り合わないっていう意見も少数派になるよ。」
優吾は嬉しそうに話していた。
まさか、そんな風に自分の話が広まっていると思わず、噂が美化されて、一人歩きしているような気がした。
「まぁ、今の太星の顔、結構インパクトあるから、そこまでの傷を負ってまで、宇野さんを守ったのかって思われてるんじゃない?」
琢磨は俺の顔を見ながら淡々と話していた。
「…そんなに、今の俺の顔、痛々しい?」
「うん。色味が激しいから、ものすごい痛そうだよ。」
「…ただの打撲なんだけどね…。」
皆のリアクションが好意的すぎて、逆に恐縮してしまった。
「ちなみに、あの時の動画、ちゃんとバックアップも取ってあるから、あとでデータ渡しておくね。
太星、優しいから、向こうから謝られて示談になって、もう充分だと思ってるかもしれないけど、1度ああいうことしてきたヤツらは警戒しておくに越したことはないし。
また何かされたときのためにお守り代わりに持っておきなよ。
SNSで流出させれば、一発であいつらの人生終わらせられる。」
そう言って琢磨はニヤリと笑った。
俺のためを思っての行動だと思うけど、正直、発想が怖すぎる。
「…そうならないで済むことを願ってるよ…。」
俺はそう答えて、大人しくストラックアウトのダンボールの解体を続けた。
「手の空いてる人は、廊下の掲示板に貼ってる飾りを剥がしてくださーい。」
クラス委員の千島夏美が大きな声で呼びかけたので、ちょうど自分がやっていた作業が終わった俺は、廊下に出た。
彼女に言われた通り、掲示板に貼られていた花火の飾りを剥がしていると、後ろから声を掛けられた。
「ねぇ、天川君。ちょっといい?」
振り返ると、クラスの女子のリーダー的存在の倉沢杏奈と、彼女と仲が良い女子数名が、目を輝かせながら、俺に笑顔を向けていた。
彼女たちと話したことは数えるほどしかないし、わざわざ話しかけられたのは初めてだったので、その意図が分からなくて、俺は少し困惑してしまった。
「…うん、何?」
おそるおそる返事すると、
「その傷、例の3年生に絡まれてた宙ちゃんをかばってできた傷って本当?」
どうやら噂の真相を確かめたくて話しかけてきたようだ。
期待に満ちたまなざしを向けられて、思わず緊張してしまったけど、聞かれたことは事実なので、否定する理由はない。
「…うん、まぁ、そうだけど。」
俺がそう答えると、彼女たちは嬉しそうに歓声を上げていた。
「えー、すごい!めちゃくちゃカッコいい!」
「最初に話を聞いたとき、ちょっと信じられなかったけど、その傷を見てびっくりしちゃった!
すごいじゃん!」
「自分を犠牲にするなんて、なかなかできないよ!」
口々に褒められて、なんだかくすぐったい気持ちになった。
「…いや、俺が無傷だったらカッコいいかもしれないけど、普通にボコボコにされてるから…。」
「いや!低レベルなヤツらにやり返さない方がカッコいい。本当にすごいと思う。」
「…ありがとう。」
人生でここまで人に賞賛されたことはないので、逆に、居心地が悪かった。
「それで、ここからが本題なんだけど…。
そこまでして宙ちゃんを守るってことは…付き合ってるって本当?」
結局それを確かめたかったのだろう。
彼女たちの興味津々な視線を受けながら、俺は口を開いた。
「…いや、付き合ってないよ。ただ、困ってたら助けるって約束してたから…」
俺がそう答えると、彼女たちは驚いた表情をして息を呑んだ後に、さっきよりも大きな声で歓声を上げた。
「えーー!何それ!付き合ってないけど、好きな子のために、身体を張るってめちゃくちゃカッコいいじゃん!」
「まさに、無償の愛!」
「いやー、ごちそうさまですって言いたい気持ち!」
まさか、ここまでポジティブに捉えられると思わず、ただただ困惑してしまった。
「もう決めた!私たち、天川君と宙ちゃんの仲、応援するから!」
「いや、別に俺、好きとかそういうんじゃ…」
「またまたー、好きでもない子のためにここまでできないって!
さぁ、いつ告白する?」
「絶対、宙ちゃんも天川君のこと好きだってー!」
ダメだ、テンションが上がりきった彼女たちは、俺の話に聞く耳を持たない。
この場をどう切り抜けようかと思っていると、どこからか視線を感じた。
視線の元を探ると、教室の後ろの扉から宇野さんが顔を出して、こちらを見ていた。
彼女の表情はどう見ても不機嫌そうだった。
え、怒ってる?なんで?
そう思った瞬間、頭上から、水が掛かってきた。
驚いて見上げると、俺がいた廊下のエリアだけ、スプリンクラーが作動していた。
俺のそばにいた倉沢さん達が、悲鳴を上げて、大急ぎで教室の中に戻り、10秒ほど経つと、スプリンクラーは止まった。
俺は、自分の身に起こった出来事が理解できず、辺り一面水浸しになった廊下で、1人呆然と立ち尽くしていた。
「…大丈夫?スプリンクラーの誤作動なんて、困っちゃうよね。
はい、タオル。風邪引いちゃうと大変だから。」
気づいたら、宇野さんがそばにいて、笑顔でハンドタオルを渡してきた。
「….ありがとう。」
俺は、戸惑いつつも、彼女からタオルを受け取り、自分の身体を拭いた。
「…さっき、倉沢さん達と、何話してたの?」
宇野さんは俺の顔をのぞき込みながら質問してきた。
「…俺と、宇野さんが付き合ってるのか聞いてきたから、付き合ってないって答えて、なんで宇野さんを助けたのかって聞かれたから…困ったら助けるって約束してたからだって、答えた。」
俺の返答を聞いた彼女は、さらに一歩俺に近づき、小首を傾げてから口を開いた。
あまりにも距離が近い。
「…本当にそれだけ?」
「…それだけ。」
少し緊張しながら俺が答えると、彼女はニコッと笑ってから、俺の耳元に口を近づけて小声で尋ねてきた。
「…私の秘密、言ってない?」
耳に彼女の息がかかり、背中がぞわっとした。
「…言ってないよ。もちろん。」
俺がそう言うと、満足したのか、彼女は再び笑顔を見せた。
「…今日、体育あって良かったね。早くジャージに着替えた方が良いよ。」
彼女はそう言ってから、軽やかに、教室の中に戻っていった。
スプリンクラーの誤作動?
こんなに狭い範囲で?
あんなに短時間?
…もしかしたら、俺が倉沢さん達に秘密をばらしそうだと思った宇野さんが、超能力でスプリンクラーを作動させたんじゃないだろうか…?
想像するとなんだか怖くなったので、俺はそれ以上考えるのをやめた。
もちろんずっとそのつもりだったけど、絶対に彼女の秘密は誰にもばらさないようにしよう。
…正直、何をされるか分からない。
俺は教室に戻って自分の荷物からジャージを取り出し、更衣室に着替えに向かった。




