教育実習も受けたことのないぼくが、三日後に教壇へ
その1「ムッシュ・フォール」
そんなこんなで、ぼくは再度アルジェリアへ戻ることとなった。オラン飛行場は、相変わらず大勢の人々と独特の匂いで満ち満ちていた。なんとか税関検査を終え、到着ロビーへ向かう。
そこで一人のフランス人が、ぼくを出迎えてくれた。初対面だが、目印となる会社の封筒を両手で胸元にかざしてくれていたので、すぐにわかった。背広にネクタイ、柔和な顔立ち。丸い銀縁眼鏡をかけている。30代半ばといったところだろうか。一見銀行の支店長かと思える風貌だ。
彼の名はムッシュ・フォール。現場を預かる責任者だ。実は今までフランス人との初対面では、あまりいい目にあっていない。はっきりいって、ぞんざいな扱いだった。とにかく年齢より若く見られた。こっちはとっくに社会人になっていたが、相手は大人として認めてくれない。
「おい、君!」
などは、まだいいほうだ。ひどいときは
「そこのお坊ちゃん」
などといわれた。もっともこちらの服装にも問題はあった。いつもバックパッカーのような姿をしている。まだ学生気分が抜けてなかった。今考えると、トンデモ社員だ。
そこへいくと、ムッシュ・フォールの対応は完璧だ。ちゃんと、紳士的に対等なエンジニアとして迎えてくれた。もちろんこのときも、ぼくの服装は超ラフ。カラフルなリュックサックに半袖シャツ。ネクタイは一応首に巻いているものの、下はGパンだ。
海外勤務をするフランス人は、本国の人間とまた違うのかなとも思った。日本人でも海外赴任経験のある人と、そうでない人では性格がかなり違う。赴任経験者は人当たりが柔らかく、ギスギスした所がない。人柄が丸い。
今のぼくを見てもらえれば、読者のみなさんにも十分理解してもらえると思う。誰だ? これを読みながら首をかしげたり、クスクス笑っているのは!
その2「工場までのドライブ」
さてトランクに荷物を入れると、さっそく彼の車はぼくを乗せて走り出した。
初夏とはいえ、昼間はもう暑い。ぼくは窓を開けた。
空港沿いにはオレンジやオリーブ畑が並んでいる。その香りが、車内にスーッと入ってきた。風を浴びると、からっとした空気に懐かしさを覚えた。
アルジェリアの仕事では苦労した。信じられないほどつらかった。楽しい思い出はほとんどなく、嫌なことばかりあった気がする。それなのにこの空気の匂いと景色は、それを忘れさせてくれた。
なだらかな丘陵が続く。いたる所オレンジ畑やオリーブ畑、葡萄などの果樹園が広がっている。空の青さと地中海の紺碧。それと緑が混ざり合い、北アフリカ独特の美しい光景を描いている。それは同じ地中海に面した南仏とは、まったく違っていた。
1年ぶりのアルジェリア。しかもこんな一番いい季節に帰って来られるなんて。ぼくはよっぽど運がいい。いつしかぼくは、戻れたことにうれしさを感じていた。
ドライブの間、彼といろいろな会話をした。ぼくは今までの海外経験を、面白おかしくしゃべった。その結果、驚くべきことがわかった。
ムッシュ・フォールはアルジェリアどころか、外国が初めてだった。彼の優しさは経験からくる余裕ではなく、単に人が好いだけらしい。よく観察すると育ちの良さが、ちょっとしたしぐさや身のこなしに現れている。真のお坊ちゃまとは、こういう人をいうようだ。
最初は緊張から、ぼくは相手が数段上に見えた。しかしお坊ちゃまだとわかって、だんだん余裕が出てきた。お坊ちゃま同士、気持ちはよくわかる。ほら、ぼくのしぐさにも、育ちの良さが現れているでしょ?
あっ、また首をかしげている読者がいる! そんな人は放っておいて、話を進めよう。どうやら彼は、今回の仕事に不安を感じているらしい。そこでぼくは、この国での経験談を話した。
「今回のような仕事は、1年前やっていたのとまさに同じだ。ほとんど心配していない」
彼はそれを聞いて、安心してくれたようだ。最後の丘を越えると、眼前に地中海の碧い水平線が飛び込んできた。海岸に沿って、工場地帯の煙突が立ち並んでいる。フレアースタックと呼ばれる、炎が赤々と燃える100メートルを超す鉄塔も。そんな海沿いのコンビナートの外れに、校舎はあった。トレーニングセンターと呼ばれている。30余りの教室が、工場の建設現場から数キロメートル離れた所に建っていた。
教室といえば、今までの自分には勉強する場所だった。しかしその教室は、ぼくにとって学び舎ではない。自分の職場となる。初めての感覚で、ちょっと不思議な気がした。
その3「ムッシュ・ガリッグ」
校庭に車を停めると、ぼくはセンター内の事務局に案内された。部屋にはフランス人紳士が、立派な椅子に腰掛けている。かっぷくのいい大ボスといったところか。ぼくを見るとすぐに立ち上がり、親しげに歓迎の握手をしてくれた。
彼の名はムッシュ・ガリッグ。正確にはマックス・ガリッグという。今まで会ったフランス人と全然違う雰囲気があった。開けっぴろげな、おおらかな態度。活動的な大きな声と、快活な話し方。そして相手を気遣う、旺盛なサービス精神。初対面、しかも長旅で疲れたぼくでも、数分でなごんでしまった。会った早々、自分の経験と日本企業との関わりを語り始めた。いや語るというより、まくしたてる感じ。
ざっとこんな内容だ。いろいろな国で、エンジニアやプロジェクトマネージャーとして活躍したこと。フランス語や英語はもちろん、数カ国語をマスターしていること。日本のエンジニアリング会社(工場建設の技術等をもった専門会社)と、あの現場で一緒だったこと。
ぼくが以前勤めていた会社の社員を、何人も知っていること。途中で
「日本人ならこのほうがわかりやすいだろう」
と、フランス語から英語に切り替えた。さらに話は続く。ぼくが以前中国に赴任していたことを伝えると、中国工場の技術的問題をズバリ指摘。これには驚いた。
彼の話しかたには訛がある。南仏出身者ではないかと予想し、ぼくはこうたずねた。
「ムッシュ・ガリッグ、ご出身はパリですか?」
「いや、トゥルーズ出身だ。南仏近くの」
やっぱり! サービス精神旺盛なのと根っからのお喋りなので、そうじゃないかと思った。
昔南仏を訪ねたことがある。あの地方の人は、こちらがひとこと話す間も勝手にしゃべり続ける。とどまることがない。ベアルン地方、ガスコーニュ地方、そしてプロヴァンス地方の人は特にそうだ。一日中しゃべっている、そんな気質の人々だ。
ひとわたり自己紹介が済むと、職員室に案内された。ムッシュ・ガリッグは、ぼくを他の先生たちに紹介した。そこには10人ほどのフランス人講師がいた。どの顔もひとくせありそうだ。中にひとり黒人がいた。興味深そうにこちらを見ている。みんな一応は笑顔で迎えてくれた。これから上手くやっていけるか、不安がよぎった。
その4「宿舎」
次に宿舎に案内された。トレーニングセンターから車で10分ほど離れている。
宿舎と聞いて、ぼくは日本でよく見かける社員寮のようなものかと考えていた。だが、予想は大きくはずれた。
広大な敷地に、数えきれないほどの住宅群が並んでいた。
アメリカ駐留軍でも住んでいそうだ。実際、住民はここをキャンプと呼んでいるらしい。これらはアメリカの建設会社ベクテルが建てたもの。講師用だけでなく、工場勤務者すべてのための住居だ。
単身者用と家族用に分けてある。それぞれ3000人分と1000所帯を越えるそうだ。当然ぼくは単身者用に住むことになった。といっても、かなり広めの3DK。日本なら余裕で4人家族が住める広さだ。
やがてムッシュ・ガリッグは車で帰り、部屋には自分だけとなった。一人で住むには広過ぎる上に、家財道具はひとつもない。夕闇が迫り、ますます孤独に感じる。
ぼくは大きく深呼吸をした。数日後には人生初の、教師という大仕事が待ち構えている。まだ何の準備もしていない。今から始めても間に合うかどうかわからない。気になり出すと、緊張で吐きそうだ。こんなとき、九州男児としては開き直るしかない。
「男ちゅうもんは、くよくよしてもしかたなか。今夜は早く寝て、明日また考えればよか」




