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スイスの会社に雇われて、アルジェリアで先生になった件について ~日本人はぼく一人。生徒は砂漠のプラント技術者たち~  作者: Ryoichi


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7/13

パリでつかんだ教師の職、契約書を隅まで読まなかった

その1「脱サラ」


 1000キロヒッチハイクの翌日、ぼくはパリに飛び立った。かれこれ4年ぶりの帰国になる。オルリー空港に着いたぼくは


「いよいよフランス本国で仕事ができる!」


 と意気込んだ。しかし本国勤務も、つかの間。数ヶ月ほどで、またすぐアルジェリアに飛ばされそうな雲ゆきになってきた。そこでぼくは思い切って、その企業を退職した。後押ししたのは、自分の語学力だ。


「これだけフランス語ができれば、フランス国内のどこの会社だって雇ってもらえる。何もまたアルジェリアにいく必要はないさ」


 こうしてぼくは20代半ばにして脱サラし、フリーとなった。しかも日本でなく異国フランスで。九州男児の母も、さすがにこの独立は早すぎると考えるだろう。たぶん喜ばないと思って、実家には知らせなかった。でもぼくは平気だった。若かったし、何とかなると思い込んでいた。実家では、困った時いつも姉たちが何とかしてくれる。世間も誰かが助けてくれると、お坊ちゃん的思考でいた。



その2「学生都市ポー」


 しかし、実社会は甘くなかった。まず住む場所がない。そのころぼくはパリの郊外に住んでいた。ここは家賃が高すぎて、フリーには払えない。いろいろ探して、ポーという町に引っ越した。


 この町を選んだのは、たまたま知り合いの通訳がここに住んでいたから。それだけの理由だ。でも大学が多いので、家賃が安かった。とっても気にいった。


 もうひとつ、気にいった点がある。それは、あちこちで女子大生が歩いていること。アルジェリアでは、女性をほとんど見かけなかった。ここは天国だ!


 さて引っ越しは済ませたものの、いくら探しても新しい就職先が見つからない。


「フランス語が堪能です」

「化学に関する高い技術をもっています」


 どんなにアピールしても、仕事はまったくなかった。考えてみればフランス本国でそんなに化学工場の技術など必要ない。とくにポーという、小さな大学都市では絶望的だ。なにしろパリから800キロメートルも離れている。こんなに移動するべきじゃなかった。


 ここで見つかる仕事は学生向けのバイトばかり。ようやくぼくは、この町を選んだことを悔やんだ。ここは天国じゃない、就職地獄だ!


 もう町の中で探すのはやめた。新聞や雑誌の求人広告をメインに探そうと、方向転換した。目についた会社に、片っぱしから履歴書と写真を送る。履歴書も書きかたに工夫を凝らした。それでもちっとも決まらない。


 仕事探しに明け暮れていたある日、雑誌のある広告に目が留まった。


『LPG工場の建設現場で、技術指導の講師を求む』


 さっそく履歴書と写真を送った。2週間後には面接の知らせが来た。場所は、ポーのすぐ隣の町だった。面接をした1週間後、こんな電報が届いた。


『教育指導の実習をするからパリに来られたし』


 天にも昇る気持ちとは、こういう時のことをいうのだろう。ぼくはまさに舞い上がっていた。どこにも『採用』とは書いてなかった。どこの地で技術指導するのかも。それでも


「できる限り早く来てほしい」


 という簡単な文面から、ほとんど採用を確信した。



その3「パリのシャワー」


 すぐに支度を整え、その日のうちに夜行列車に飛び乗る。電報が届いた翌朝には、ポーから800キロ離れたパリのオーステリッツ駅に到着した。


 久しぶりのパリ。しかし早く着き過ぎた。面接は午前9時。今はまだ朝5時半だ。そこで夜行列車の疲れをいやすため、風呂に入ろうと決めた。駅の地下で公衆浴場を見つける。風呂といっても、日本とは違う。小さなシャワー室といった感じのものが、いくつも並んでいる。そこは朝から混んでいた。全室が使用中。


 入り口の受付ロビーの前で、すでに2人のアラブ人女性が順番を待っていた。


 男性読者のみなさん。もしかしてアラビアンナイトに登場しそうな美女が、シャワーを浴びる姿を想像しませんでしたか?


 残念でした。そのときの女性たちは、2人とも40代後半から50代。一目見て、家政婦か掃除婦とわかるかっこう。頭にターバンを巻き、顔には藍色の入れ墨。そのころ20代の女性は誰も入れ墨をしていないから、彼女たちの若い時代に流行ったのだろう。若いときは、それも神秘的でよかったかもしれない。でもその年齢になると……。


 日本だってビキニ姿で日焼けしていたギャルが、中年になると肌の汚いオバサンになっていたりする。若さゆえの無茶は、洋の東西を問わないらしい。


 そういえば母がこんなことをいっていた。


「将棋と人生は、常に先の先を考えろ」


 少し脱線してしまった。とにかく2人のアラブ人女性が、シャワーの空くのを待っていた。1人は先に順番を待っていて、もう1人が後から来た。明らかに初対面。しかし2人は相談を始めた。アラビア語で話しているが、時々フランス語が混じる。


「シャワーを共同で使いましょう」


 といった内容がぼくにも理解できた。


 なぜ彼女たちは、こんなことをいうのか? 自分たちの前の客が親子で、2人がシャワー室を使用する際に割引料金で入ったのを見ていたからだ。自分たちの番がくると、受付の年輩フランス人女性にこう頼んだ。


「わたしたちもいっしょに使うのよ。割引料金でいいでしょ?」


 受付女性は断った。


「今そこで知り合って、話し合ったんでしょ」


 アラブ人女性も負けていない。


「いいえ、自分たちは知り合いよ。たまたまそこでいっしょになったから、こうして頼んでいるんじゃないの? さっきの親子はよかったのに、どうしてあたいたちはダメなのよ?」


 その剣幕はすさまじい。公衆浴場中に響き渡る。そのときフランス人女性が、ぼくのほうを見てこういった。


「この2人が会った時から見てたでしょ? この人たちは知り合いじゃないと証言してよ」


 彼女は、1歩2歩とこちらに近づいた。負けじとアラブ人女性2人も近づいてきた。3人の女性にいい寄られるなんて、めったにあるもんじゃない。だがこの場合は幸福感におおわれるのではなく、恐怖感に襲われた。ぼくは必死になって、わざと片言のフランス語を口にし、旅慣れない東洋人を演じた。日本語に訳すと、こう聞こえたはずだ。


「ワタシ、ふらんす語ワカリマシェン」


 しかし、彼女たちは3人そろってこういった。


「アンタ、何度もうなずいていたじゃない」


 女は、男のウソを見破る。人種も民族も関係なく……。ぼくの九州男児度メーターは0%を指していた。体はわなわな、足はガタガタ震えていた。ちょうどそのとき、奇跡が起こった。シャワー室の扉が開いて、お客が1人出て来たのだ。


「次はぼくの順番だ!」


 すかさずその中に飛び込んだ。20分ほどして、ぼくはシャワー室から出た。あの2人のアラブ人女性はいなくなっていた。結末がどうなったかは、わからない。ふたりでシャワーを使ったのか、別々か、あるいは帰ったのか……。面白かったが、少々あきれる。たかが数フラン、日本円にして数十円のことなのに、屁理屈をこねくり回し、絶対譲らない。


 アラブ人とはそういう人たちだと知ったぼくは、ますますフランス本国で仕事を見つけなければと思った。



その4「面接」


 その後喫茶店で朝食をとる。いつもなら普通のクロアッサンだが、今回は奮発してバタークロアッサンを注文する。仕事が見つかったお祝いだ。朝食を済まし、地下鉄に乗った。


 凱旋門そばの事務所に着いた。大きく古い4階建ての建物だ。玄関に、たくさんの社名が書かれたプレートが並んでいる。いわゆる雑居ビルらしい。このときどこからか、時を知らせる鐘の音が鳴り響いた。まるで自分を祝福してくれているような気がした。社名から2階の事務所を探す。若い白人男性が出迎えた。


「実習を受けにきました」

「ムッシュ・リョウイチですね。こちらです」


 そこでおこなわれたのは、教師としての教育研修と実習だ。日本にいたころは先生になりたいなんて、一度も考えたことがなかった。甘えっ子のぼくが、人を教える立場に向いているはずがない。しかし今は仕事を得るために、とにかく必死だった。


 研修が半日、講習が半日。その合間を縫って契約条件に関する交渉がおこなわれた。


 8畳ほどの広さの面接室に通されると、アラブ人っぽい顔つきの中年紳士がテーブルについていた。面接と交渉の出だしはこうだ。ぼくの履歴書を読みながら、今回のLPGと似たような経験をしたのか質問が出た。


 ぼくはその前の年まで、石油コンビナートの技術指導をアルジェリアで経験していた。とはいえ、それは立派な大人に対してだ。未成年の生徒相手では勝手が違うだろう。弱気になりかけた。が、母のこのひとことを思い出した。


「強気とデパートの包装紙は、中身をごまかせる」


 ここは自信をもって答えた。学歴や専門についても尋ねられたが、別に試験問題を解くとか知識を試されることはない。今回の教育プロジェクトで使っている教科書を見せられ、どこを教えられるか具体的に訊かれた。


 見るとLPG(液化石油ガス)工場であり、分離精製がメインだった。すでにぼくはエチレンコンビナートで、加熱・圧縮・乾燥・分離・精製と複雑な工程を経験している。はっきりいって、教科書に載っている工場なんて楽勝だ。難なく質問に答えた。



その5「交渉」


 ここからが本題、給与交渉に入る。相手はこう切り出した。


「ムッシュ、あんたの能力と経験からしてこのくらいの報酬額と評価するが、どうかね?」


 当時の金額にして1万4000フラン、日本円で約60万円。アルジェリア・スキクダの時より50%アップだ。しかし、こちらの予想より少し低い。というのも、求人広告で示された金額はずっと高かったからだ。ここは母譲りの九州男児度100%全開! 広告記事を取り出し、強い口調でこういった。


「ちょっと待ってくださいよ。この募集広告はそちらが出されたものでしょ? これより低い金額はおかしいのではないですか?」


 担当者は明らかに気まずそうな顔を一瞬見せた。が、すかさずこう切り返す。


「いや、それだけではない。現地通貨での生活手当があるんだがねえ」


 しかしぼくは、さらに攻め込んだ。九州男児度150パーセントだ!


「現地の生活手当? それは当たり前でしょう。ここは外貨での報酬額が書いてある」


 相手は少しイライラしながら、やっと金額を上乗せして来た。ぼくは


「その金額ならまあ契約してやってもいいよ」


 という雰囲気で、ゆっくりと余裕をもってサインした。本当は天にも昇る気持ちだったけど、そんな表情を見られたら、相手がどんな態度に出るかわからないからね。とにかくぼくの要求が通ってよかった。


「女はいつでも女優。男も契約するときだけは役者にならねばならない」


 あっ、これは母じゃなくて、ぼくが思いついた格言。自分の意見を通すためには、多少の芝居心も必要だ。



その6「意外な事実」


 とにかくぼくは、契約を済ました。もう職探しに明け暮れる必要もない。少し休もうとその庭に出た。事務所のある建物は、上から見ると口の字のようになっている。真ん中は草木が植えられた中庭だ。


「800キロも列車に揺られた甲斐があった。大都会パリで仕事ができる。しかも教師だ。工業高校みたいなものだから、生徒はほとんど男子だろうが、中には女子もいるかもしれない。少なくとも保健の先生くらいは女性に違いない。するとパリジェンヌとのラブロマンスだって……」


 大きく背筋を伸ばし、ついでに鼻の下も伸ばしたちょうどそのとき……。


 近くで声が聞こえた。しかもそれは日本語だった。見渡すと向こうに日本人二人がいる。やせた中年男と、小太りの若者だ。どうやら日本の大手プラントメーカー(工場やコンビナートの建設会社)の社員らしい。以前ぼくがいたプラント輸出企業と同じ業界の社員だ。彼らの会話が聞こえて来た。


「CV、CVといっているけど何のことだろう?」

「クオリフィケーション何とかだろう。たぶん資格とか学歴とかの……」

「そうかなあ、よくわからんけど……」


 慣れないフランス人と、慣れない英語での商談……彼らはかなり不安を抱いているらしい。ぼくが近づいて声をかけた。今しがた、フランス語で商談をまとめたばかりだし、自信に満ちあふれていた。


「それは履歴書のことですよ。ところでここで日本のかたとお会いするとは思いませんでした。遠い所を大変ですね」


 ふたりのうちのやせたほうが答える。


「ええ、まあ仕事ですから。そちらはこの会社に面接にきたのですか?」


 ぼくは胸を反らせて、こう答えた。


「いいえ、もう決まったようですよ」


 ぼくはさっそうと立ち去った。ついカッコをつけてしまった。こういうときに限って、恐ろしいどんでん返しが待っている。建物の中に入ろうとドアノブに手をかけたところで、後ろからふたりの会話が聞こえてきた。ぼくはお坊ちゃん育ちだから、細やかな神経をしている。特に聴覚は鋭いほうだ。集音マイクのような耳をもっている。当然かすかな声でもバッチリ聞こえる。ぼくは立ち止まった。


「面接って現地教師の……」

「そうそう、アルジェリア人の生徒相手だから大変だよ。長続きしてくれるといいけど……」


 がーん!!! 今まで、ぼくはフランス本国で教師をするものだとばかり思い込んでいた。よく考えてみれば、本国で化学工場について教わりたい生徒が、数多くいるはずがない。ちゃんと隅々まで読めば、契約書に書いてあったのだろう。でもあのときは、金銭交渉のことばかり頭にあった。どうやら完全に見落としていたようだ。



その7「またもアルジェリアへ」


 またアルジェリアか! 2度といきたくないから会社まで辞めたのに、またあんな場所にいかなきゃならないなんて。しかも教師として。教師なんて、つい2週間前まで頭に浮かんだこともなかった職業だ。はっきりいって気が進まない。


 10代は自己を確立したい、他人と違う点をアピールしたいために、何事にも反発する。いちばん身近な相手が、親と学校だ。ぼくみたいな弱虫・だだっ子・甘えっ子でも、多少は反発した。当時の学校には、まだ先生に暴力を振るう生徒はいなかった。しかし、いつも問題を起こす不良はいた。思い返すと、相手をする先生たちは苦労していた。


 日本ですら、そうなのだ。ぼくの生徒になるのは、アラブ人。さっき浴場でわずか数十円のためにもめていた女たちの息子どもが、その相手。どんなトラブルが待っているのか、考えただけでも恐ろしい……。


 だが、もう後戻りはできない。翌日の夕方にはまた800キロ離れたポーの自宅に戻り、さっそく旅行の準備を始めた。


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