銀行員のひと言でバスに乗り遅れ、砂漠を千キロ
その1「最後の旅行」
ぼくは、任務完了間際に砂漠をひとりで旅する計画を立てた。なぜそんな旅行を決めたのか? ふたつ理由がある。
1つ目。砂漠の奥深くに、一度いってみたかったから。
2つ目。自分を全然知らない人たちに、どれだけフランス語が通じるか試したかったから。
目的地は、ガルダイア。3泊4日の予定だ。最初は、飛行機で向かうつもりだった。しかし飛行機の便が、どうしても日程と合わない。しかたなくバスでいくことにした。
ガルダイアまでのルートは、通称2000キロコースと呼ばれている。スキクダからコンスタンティーヌ、バトナ、ビスクラ、エル・ウェッド、ワルグラ、そしてガルダイア。長距離バスに乗ったぼくは、たちまち退屈になった。景色がちっとも変わらない。だだっ広い大地が果てしなく続いている。
いけどもいけども、似たような風景ばかり。たまにバスが停車しても、どこだかまったくわからない。
ようやくワルグラに到着した。ここまでくるとかなりの内陸部。砂漠は、もうすぐのはずだ。
その2「ワルグラの銀行」
ワルグラのバスターミナルに着いた。バスターミナルといっても、空き地の中にベンチを置いた小屋があるだけだ。ぼくは一度バスを降りた。そこからまたガルダイアまでは、別の便で向かうことになっている。
今そこには2台のバスが並んでいる。ぼくが乗ってきて再びスキクダに戻るバスと、ガルダイアゆきのバスだ。時刻表を確認すると、出発は40分以上先。ぼくは、これから乗るバスの中をのぞいてみた。運転席のすぐ後ろに、老婆がひとりだけ座っている。これなら、今から席を確保する必要はなさそうだ。
次のバスに乗るまで、時間的余裕はある。しかし財布の中を見たら、経済的余裕がない。手持ちの現金が少ないので、銀行を探す。ドルを現地通貨に交換するためだ。
ところが、その建物がなかなか見当たらない。10分以上かけて、やっと街の外れにひとつ見つけた。銀行は見つかったものの、窓口でいやに長く待たされる。しかも担当の銀行員は、仕事をしているように見えない。ぼくはさすがにいら立ちを覚え、彼にいった。
「すまないが、ぼくは時間がないんだ。少し急いでくれないか?」
こういうとき、日本の銀行なら
「申し訳ございません、お客様」
と平謝りし、スピーディーに応対するはず。帰りには、粗品の貯金箱くらいくれるかもしれない。ところが、アルジェリアの銀行はそうじゃなかった。彼はぼくを意地悪そうににらみ、バカにしたような口調でこういった。
「ああ、そうかい。アンタは時間がないんだな。しかしオレはたっぷりあるんだ」
このセリフを聞いて、もう何もいう気がしなくなった。彼を怒鳴ったところで、早くしてくれるわけがない。時間のムダだ。ぼくは見切りをつけ、急いで銀行を出た。そして先ほどのバスターミナルに戻ろうとした。
腕時計を見ると、バス出発まであと15分はある。まだ十分間に合う。万が一ぎりぎりの時間になったら、走っていけばいい。これでも脚には自信がある。ぼくは鼻歌を歌いながら、歩いていた。ぼくは歌もけっこう得意だ。しかし、どこまでいってもバスターミナルにたどり着かない。それどころか、行き止まりに突き当たってしまった。どうやら道を間違えたらしい。
ぼくは歌もうまいし、運動能力も優れている。音痴でも運動音痴でもない。しかし、大事なことを忘れていた。ぼくは、昔から方向音痴なんだ。現代なら、スマホですぐ位置がわかるのに。腕時計を見ると、あと数分しかない。
「なあに、交通機関が時間通り動くのは日本だけ。こういう国は、10分や20分は平気で遅れるさ」
と自分にいい聞かせた。あとは走る、走る、走る。なんとかバスターミナルにたどり着いた。が、バスは1台も停まっていない。すでに2台とも出ていったあとだった。腕時計は、出発予定時間より1分進んでいるだけ。
「正確に発車しやがって!」
と、真面目な運転手をののしった。悪いのは自分と、あの銀行員なんだが。
ぼくは、このあとのバスの発車時間を確認しようと時刻表を見て驚いた。次のバスは、明日までこない。いくらフランス語が通じても、うまくいかないことがある。今から思うといい経験をさせてもらった気がする。
しかし当時のぼくは途方にくれていた。丸一日ワルグラで過ごすわけにもいかない。しかたなくガルダイアまで、ヒッチハイクでいくことに決めた。ガルダイアは、ワルグラの隣町。といっても、200キロ近く離れている。ぼくは少しでも距離を縮めようと、道路沿いを歩いた。
かなり歩いたのに、景色は全然変わらない。大地の真ん中に1本道路が走っているだけ。ゆきかう車もほとんどない。
30分ほど歩いただろうか。後ろから、車の走行音がする。振り向いて腕をいっぱいに伸ばす。親指を立てて待つ。ヒッチハイクのポーズだ。どでかい長距離トラックが、土ぼこりを上げて止まってくれた。運転手は筋骨隆々のお兄さんだ。
「どこまでいくんだい?」
「ガルダイアまでですが、途中まででけっこうなんで、乗せてもらえませんか……」
「これ、ガルダイアゆきだよ」
幸いにも、すぐにトラックに乗せてもらえた。結果的には、バス代が浮いてラッキーだった。
その3「砂漠の町」
ガルダイアに到着。砂漠のど真ん中の町。カスバと呼ばれる城壁で囲まれている。どの建物も古くて黄土色。どこを歩いても似た雰囲気で、代わり映えしない。
ぼくは1時間で見飽きた。みやげ物店をのぞく。ツボや器など、どれもアラビアンナイトに出てくるような高価な物しかない。日本の観光地なら
『ガルダイア・砂漠の砂』なんて小ビンが売ってるもんだが、ここでは安価な商品なんか扱ってなかった。結局何も買わなかった。砂漠まできたという記憶だけが、おみやげとなった。
ところが現在このガルダイアが、世界遺産に登録されている。町の外側から撮影した写真を見ると、砂漠に浮かぶ城塞といったおもむきだ。ぼくは内側しか見なかったから、ちっとも気づかずに帰った。惜しいことをした。城壁の外も歩いて、もっとよく観光すべきだった。今は砂をかむ思いをしている。
その4「ガルダイア空港」
とにかくこの町で宿を探し、1泊した。
さて帰りは、ここから飛行機で一足飛びにコンスタンティンに戻る予定だ。地中海沿岸から80キロほど南にある町で、そこからスキクダまでは目と鼻の距離。
ぼくは、町外れの飛行場に向かった。そこには『ガルダイア空港』と看板が立っていた。しかし、どう見ても飛行場だ。だだっ広い土の大地に、ドラム缶が数本積んであるだけ。管制塔も舗装された道路もない。ぼくは遠くのほうに建物を見つけた。休憩所らしい。中に客が2人いた。そこで待っていると、ひとりの男が入ってきた。制服らしきものを着ているから、空港係官のようだ。彼は、実にさりげなくこういった。
「きょうの飛行機はきません」
ぼくはあぜんとした。他の客がたずねる。
「代わりの飛行機はないんですか?」
「ありません」
係官が答える。実にさりげなく。
「次の飛行機はいつですか?」
「3日後です」
「待っている間の宿の手配は?」
「手配はしません」
「切符の払い戻しはできますか?」
「できません。とにかく、この休憩室はいったん閉鎖します」
ぼくを含め3人の客は、飛行場から放り出されてしまった。さあ困った。次の飛行機は3日後という。しかもこの調子だと、くるかどうかもわからない。きてもすでに席が埋まっている可能性が高い。乗れる保証はない。それに何より時間がない。明日中に戻らなければ。フランス帰国の飛行機の出発は、あさってだ。
ぼくは意を決し、帰り道もヒッチハイクで戻ることにした。距離にして約1000キロはあるだろう。さあ、どうする? 前を歩いていた2人の客は途中で左に曲がり、住宅地のほうに向かっていった。どうやらこの近くに住んでいるらしい。残ったぼくは、車も通らない細い道をトボトボ歩くしかなかった。
その5「ふたたびヒッチハイク」
やがて広い道路にたどり着いた。ここなら車の交通量も多いはず。ぼくは、車が通るたびに例のポーズをとった。腕を精一杯に伸ばし、親指を立てる。
そうして待つこと20分。ようやく1台の車が止まった。
「どこまでいきたいんだい?」
「できればコンスタンティンまで」
「ワルグラまでしかいかないけど」
「それでいいです。お願いします」
これで200キロメートル、全行程の5分の1をかせげる。車窓をながめていると、不思議なことに気づいた。人が歩いている。見るとほとんど手ぶらに近い。見たところ辺り一面、見渡す限り何もない。どちらの街にいくにも100キロ前後の距離がある。
「あの人は、どこへいくんでしょう?」
「ああ、あの人は遊牧民だ。テントがこの道路からは見えない所にあるんだよ。そこからきたんだ」
運転手は地元民らしく、当たり前のように答えてくれた。ワルグラで、その運転手とは別れた。あと残り800キロ。早く次の車をつかまえないと。例の親指を立てるポーズをしても、なかなか止まらない。黙っていても目立たないので、声をかける。
「エロー!」
とフランス語で呼びかけたが、効果なし。
「ハロー!」
と英語にしてみたが、やっぱりダメ。
待つこと40分。思い切って日本語で呼びかける。
「おーい、乗せてくださーい!」
1台のトラックが、ぼくの目の前でスピードを落とした。
「やっと止まってくれた!」
と思ったら、トラックはかなり向こうで停車した。そこには別の若者が例のポーズで立っていた。いかにもアルジェリア人らしい顔と服装だ。彼はしきりに
「ショックラン、ショックラン」
といっている。
「ショックラン」
とは、アラビア語で
「ありがとう」
の意味だ。この国の人は、外国人に親切と聞いている。だが、ヒッチハイクとなると別らしい。地元の人間を優先するようだ。こちらは見た目が東洋人、格好はTシャツにジーパンと西洋風。これは変えられない。それならば、せめてかけ声だけでもアラビア語を使おう。可能性は少ないが、試すしかない。
その6「作戦」
ぼくは、両手を口の両側に当てて
「アスマー、アスマー」
と、大声で呼びかけた。彼らがいつも使うことばで、訳すと
「おい、お前」
くらいの意味だろうか。この『口だけでも地元民のふり作戦』が、意外と効力を発揮する。5分ほどしたときだ。通り過ぎた車が20メートルほど先で速度を落とす。やがて止まった。周りに他のヒッチハイカーは立っていない。ぼくは急いで駆け寄った。
「ショックラン」
と、感謝のことばをいう。相手は、東洋人が話すアラビア語にたいそう喜んでいた。考えてみれば、日本人だって同じ反応をする。来日したミュージシャンが
「ハロー、サンキュー」
というより、片言でも
「コニチハ、ドモアリガト」
と日本語でしゃべってもらうほうが、親しみを感じる。
そういえば、母にこんなことをいわれた。
「郷に入ったら郷に従え。ジャングルに入ったらカメレオンになれ」
フランス語がどこまで通じるかを試す旅だったはずが、アラビア語で助けられる旅となった。この要領で、ぼくはヒッチハイク旅行を続けた。乗り継ぎ乗り継ぎで、食事もろくに取れなかった。
昼前から始めて、懐かしの宿舎に到着したのが、翌日の昼過ぎ。丸24時間かかった。帰ってきても、喜びを分かち合える人は誰もいない。
「連絡もよこさないで、何やっていたんだ!」
上司から、こっぴどくしかられた。




