地中海クルーズのはずが、船に弱いのを忘れていた
その1「地中海へ」
いよいよぼくもオランを去り、フランスに帰る日がきた。車があるので、飛行機でというわけにはいかない。移動手段は、地中海を渡るフェリーを選んだ。
ところで地中海の船旅と聞くと、どんなイメージがわくだろうか。青い海原、ふりそそぐ太陽、白い大型客船。甲板のプールサイドには、金髪の水着美女たちがのんびりと日焼けを楽しんでいる。男たちはアロハシャツを着て、シャンパンをたしなんでいる。
ところが、実際は大違い。乗客は大半がアルジェリア人だ。着ているものは、もちろん水着でもアロハシャツでもなく、民族衣装。姿からして裕福そうには見えない。
フランス人ビジネスマンなら飛行機を使う。バカンスにいくなら、移民の里帰りフェリーには乗らない。利用者は、金がないが時間のある人、あるいは学生。フェリーは、あくまで旅費を安くあげたい人、あるいは車とともに移動する人のための交通手段だ。地中海クルーズのイメージとは、かけ離れている。
その2「出港」
最後の授業が終わって数日後。午後3時過ぎにオラン港に到着。車をもっている数人の同僚と、フェリーに乗り込んだ。ここからマルセイユ港まで、1泊2日の旅だ。車を船に固定し、客室に上がった。そのとき、なぜか不思議な感覚に包まれた。
「なんだろう、これは?」
それは、一種の懐かしさだった。よく見ると、扉に
「押」
「引」
と日本語で書いてある。それどころか、2等客室には畳がしいてある。窓には障子模様のすりガラス戸。この船は、日本のフェリーの中古品だ。ぼくは1等船室を利用した。高い料金を払ったのに、かなりせまい。でも日本製だ。文句はいえない。
その3「船のレストラン」
船室でくつろいでいると、同僚たちがやってきた。
「ムッシュ・リョウイチ、食事にいこう」
「まだ船も出てないのに?」
「レストランはすぐ混む。出港前に場所を確保したほうがいい」
船旅に慣れた同僚のおかげで、ぼくらはいちばんながめのいいテーブルを陣取った。地中海の旅の始まりは、フランス料理といきたい。メニューを見て、フルコースを注文する。最初は、ポタージュスープが出てくる。
「ボ〜ッ、ボ〜ッ」
ボーイが皿を並べたところで、タイミングよく汽笛が鳴った。スープを一口すすったあたりから、船が岸壁を離れる。陸から遠ざかる景色をながめながら、ビールを一口飲む。
そのころから横揺れが始まった。ぼくは
「これが地中海クルージングかあ」
と、優雅な気分にひたった。次々出てくる豪華なフランス料理が、楽しみだ。
ところがだ。横揺れが、だんだん大きくなってきた。5分としないうちに気持ちが悪くなる。
「こ、これはいかん」
ぼくは、船に弱いことを忘れていた。実はバスも弱い。飛行機は最近やっと慣れてきた。それでも離着陸のときは、吐きそうになる。それにワルグラで迷ったように、方向音痴でもある。本当のところ、ぼくは旅に向いていない。まして海外経験をまとめた本を書くなんて、奇跡だ。
とにかく、スープのあとの料理はすべてキャンセル。早々と自分の部屋に引き揚げる。それからが大変だった。気分がいよいよ悪くなる。吐き気をがまんしながら、ベッドに横になった。それからは、ひたすら体を休めていた。同僚たちは何度も船室にくる。
「ムッシュ・リョウイチ。これ、酔い止めの薬だ」
「ムッシュ・リョウイチ。体をさすってやろうか」
「ムッシュ・リョウイチ。何か必要なものはないか。売店で買ってくるよ」
みんな気をつかってくれた。最後の最後に、えらく心配をかけてしまった。さんざんな船旅だった。これなら、車でフランスからモロッコ、アルジェリアを渡ったときのほうがまだ楽だった。
その4「マルセイユに到着」
翌日の夜、マルセイユ港に着いた。着いたあとは、あっけなかった。車をすぐに陸に上げないと、後がつかえている。おかげで同僚数人とは、運転席から手を振るだけのあいさつとなった。
「さよなら」
もいってない。今まで1年近く、苦楽をともにしたというのに。
フェリーの出口にヤイが待っていた。彼がくると知らなかったので、驚いた。
実は彼はぼくに借りがある。その金を返さずに、彼は辞職し帰国してしまった。そこそこの金額であったが、ぼくはあきらめていた。他人に打ち明けても戻ってくるわけもない。じっと黙っていた。
ところがどこで聞きつけたのか、それを知った取締役のドルフは彼の給料を差し止めた。そのあとヤイはちゃんと返金してくれた。ドルフの給料差し止めも解除された。今回のヤイのお出迎えは、そのおわびと釈明も兼ねているようだ。
ところで……。
外資系会社に対して、こんな印象はないだろうか。社員とは仕事の関係だけ。給料は高いが、業績が悪化するとすぐ減給する。よくいえばクール。個人主義が徹底していると思われがちだ。
日本の会社のように社員個人の人間関係に、深く首を突っ込むイメージはない。
まして契約社員同士の金の貸し借りや金銭トラブルにはまったく関与しない。そういうものだと、以前のぼくは思い込んでいた。
ところが、実は違った。ドルフの裁量で給料の差し止めを食らった者が、ふたりいる。問題が解決されたのち、借りた側の給料が支払われた。ウエットな日本人に比べると欧米は情に薄く、冷たい印象を受ける。だが必ずしもそうではない。
とにかくぼくは、ヤイと再会した。その日は彼のアパートで久しぶりに祝杯をあげ、1泊した。翌日、ぼくは車に乗って出発。このときは、ヤイにちゃんと
「さよなら」
といって別れた。そのあと、ふたたびポーに戻った。
その5「その後のヤイ」
その後ヤイは、アルジェリアで別の仕事を見つけた。ぼくも別の会社に就職し、ふたたびアルジェリアで働いていた。ヤイはときどき、ぼくの宿舎に遊びにきた。しかしいつしか顔を出さなくなり、連絡が途絶えた。
それから半年後。ぼくはマルセイユにきたので、思い切って彼のアパートに寄ってみた。ドアをノックする。
「どなた?」
奥さんの声だ。
「リョウイチです。ほらアルジェリアで講師をしていた……」
「ちょっと待って。今開けるから」
家にいるのは、奥さんだけのようだ。
「あのう、ヤイは?」
「あの人とは音信不通なのよ。もう1年以上」
つまり、ぼくの宿舎に遊びにきていたころから連絡を取っていないことになる。けれど、不思議と彼女に悲壮感はない。
「こないだ彼の実家にも電話したけど、向こうも知らないって。今ごろ、どこで何をしているんだかね」
彼女は、ぼくにつぶやいた。他人事のように……。




