六キロの伊勢エビと、大の男ふたりの格闘
その1「同僚との再会」
奇遇は、世界中どこにいたって起こりうる。以前勤めていた会社の同僚が、アルズーにいるとわかった。
どうして見つけたかって? フェイスブック? そんなもんない。当時はパソコンもインターネットもない時代だ。実は通勤途中、前の会社の日本人宿舎を発見したわけ。
そこで休日に訪ねたところ、表札になじみのある名前があった。ドアをノックすると、懐かしい顔に出会えた。
「リョウイチじゃないか? うちの会社辞めて、フランスに住みついたと聞いていたぞ。なんでこの国にいるんだ?」
「話せば長いが……」
彼は、その宿舎の管理部門を担当していた。しかもその部署は、門のそばの管理事務所の中にあった。おかげでそこに入るのは、フリーパスとなった。
それからというもの、通勤帰りによく宿舎に寄り道した。管理部門には彼を含め、日本人が4人いた。彼らの仕事は、経営や業務を管理するだけではない。宿舎の生活全般も、取り仕切っている。
洗濯は、ファム・ド・メナージュという外部会社のスタッフに頼んでいた。スタッフといっても、みんな熟女のおばさんたちだ。ところが彼女たちに、うまく指示ができない。実は彼らは何年もここに滞在していながら、誰ひとりフランス語がしゃべれない。そこで、ぼくが洗濯場にいって何度も通訳してあげた。
そう、この章のタイトル「日本人通訳」とは、ぼくのこと。彼らはたいへん喜んでくれた。そういうことで同僚だけでなく、他の日本人とも知り合いになった。ごちそうしてもらうことも、しばしばあった。
その2「買い出し」
通訳のお礼とはいえ、いつもごちそうしてもらってばかりでは、申し訳ない。
ある時、お返しとして彼らを、オランにあるぼくの家へ呼ぶことになった。
前日、港近くの市場に買い出しにいった。市場は朝早くか、夕方でないと、いいネタがない。特に魚類はそうだ。ぼくは夕方に訪れた。
市場は、魚屋が何十軒も並んでいる。どこも、活気にあふれている。店は、生きのいい魚介類であふれている。店の前は、客であふれている。人だかりのせいで、なかなか買い物は進まない。フランス人が後ろのほうから、店主に声をかけていた。
「この魚は、いくらだ?」
店の主人には聞こえない。そのすぐ横にいるアルジェリア人が、主人に代わって叫ぶ。
「そんなに高くないよ」
「何いっている。おれは値段を知りたいんだ。高いか高くないかなんて、何の意味もないじゃないか」
フランス人は、ひとりで勝手に怒っていた。彼にそんなことをいっても、しかたない。値段は、その場で店主が決める。高級な寿司屋の時価と同じシステムだ。
ぼくはそんな彼らを横目で見ながら、伊勢エビを捜していた。地中海は甘エビもおいしいが、伊勢エビはさらにうまい。伊勢湾の伊勢エビより上物だ。
「あった、これだ!」
ようやくお目当てを見つけた。飛び切り大きい。一抱えもある。量ったら、何と6キログラム。もちろん生きている。暴れると怖いので、荷造り用のヒモでしばってもらった。
その3「眠れぬ一夜」
伊勢エビは、車のトランクに入れて帰ってきた。しかし冷蔵庫には入らない。
「どうせ生きているし、腐ることもないだろう」
結局台所の流しに置くことにした。すると夜中に奇妙な音がする。
「ギー、ギー、ギー、ギー、ギー」
伊勢エビの鳴き声だ。うるさすぎる。
「こんな所イヤだ。地中海が恋しいよ〜!」
とでも鳴いているのだろうか。明日までの命とわかっているだけに、こちらもつらい。おかげで、その夜はあまり眠れなかった。こういう気の弱いところは、まだまだお坊ちゃんだ。
その4「調理か格闘か?」
翌日、伊勢エビをゆでようとしたが、またも問題発覚。自宅の大鍋に入りきらない。
「さて、どうしたものか?」
思案の末、お隣りからタライのような鍋を借りた。いよいよ調理開始。
まずお湯をわかす。沸騰したところで、エビを放り込む。
「あとはゆで上がるのを、待つだけ。楽なもんだ」
ところが、そう簡単にはいかない。大きな鍋のフタが持ち上がる。中から、巨大なハサミが飛び出してきた。
「バタバタバタバタ!」
おのれの運命を知ってか、エビが最後の抵抗をしている。あまりに騒ぐので、ぼくの手には負えない。
「どうしよ〜? 助けて!」
誰もいないのに、叫んでしまった。緊急事態になるとあたふたするところも、まだまだお坊ちゃんだ。ちょうどその時
「ピンポーン!」
とチャイムが鳴った。招待した友人の同僚が、家に到着したんだ。
「リョウイチ、おれにまかせろ!」
彼は有無をいわさず、エビを湯に放り込む。鍋のフタを上からグッと押さえる。
「バタバタバタバタ!」
「まだダメか、それならこうだ!」
彼は全体重をかけて、鍋ごと押さえつける。しかし相手は6キロの伊勢エビだ。まだまだ激しい抵抗が続く。
「ガタガタガタガタ!」
今度は、鍋ごと揺れだした。
「リョウイチも手を貸してくれ!」
「わかった、エビごときに負けてたまるか!」
ふたりがかりで押さえつけた。人類の尊厳と、全体重をかけて。やがて鍋は、静かになっていった。ふたりは、静かにエビの冥福を祈った。
その5「エビ料理」
伊勢エビは、死んでもわれわれに抵抗する。
大の大人が5人がかりで食べても、余らせてしまった。頭、脚、それにミソの部分だけで満腹。
「リョウイチ、腹が苦しい。もう入らない」
「まだまだ残っているぞ。誰か食べないのか?」
「これ以上いらないよ〜。勘弁してくれ」
「もって帰ってもいいぞ。包んでやろうか?」
「リョウイチ、そんなのいい。エビなんか、もう見たくもない」
宴がお開きとなっても、しっぽの部分がまるまる残った。さすが6キロ。日本人4人はみんなお腹をさすりながら、帰っていった。歩くことすら、つらそうに。
家には、ぼくとエビのしっぽだけが残った。自分ひとりで食べきるには、何日かかるかわからない。かといって捨てるには、もったいない。
「どうしよう?」
幸いにも生きている時とは違い、切り刻めば冷蔵庫で保存することができた。
翌週、今度はフランス人講師たちを自宅に招待した。輪切りにしてマヨネーズと共に皿に盛る。5人分の前菜となった。
「この伊勢エビ、おいしいね」
「ムッシュ・リョウイチ、どうもありがとう」
ほんとは残飯、いや残エビ処理のため呼んだんだけどね。それにしても、エビ1匹に対して10人の大人が相手にしなければ食べ切れないなんて。
伊勢エビ様、あなたには参りました。
その6「夜をいっしょに過ごしたい」
彼らとの仲は、その後も長く続いた。会社からアルジェリアに派遣された日本人からすれば、ぼくが不思議でならないらしい。あるとき、こんな話題になった。
「リョウイチ、君はフランス人たちと契約で仕事をしているんだろ。ぼくらには理解できないよ」
「そうかなあ」
「会社にいれば安定して過ごせるのに。契約ならいつ切られるか、わからないじゃないか」
「会社だって、肩たたきやリストラがあるよ」
「フランス人相手じゃ、苦労もあるだろ?」
「日本人相手だって、仕事に苦労はつきものさ」
「リョウイチ、わかった。元請け会社が日本だから、通訳の仕事が中心なんだろ」
「違うよ、毎日教壇に立っているんだ」
「そうか、教壇に立ってるフランス人講師の横で、元請け会社の日本人に通訳をしているんだな」
何度も通訳に間違えられた。そうじゃないと説明するのに苦労した。
彼らの中に、ひとり面白い人がいた。
「リョウイチさん、わたしもちょっとフランス語を勉強してみたんだ」
「へえ、そうなんですか」
「どうせ習うなら、女性に関係するほうが上達が早いと思ってね。
『夜をいっしょに過ごしたいね』
という文章を一生懸命丸暗記したんだ」
「ほう、そんな色っぽいセリフを……」
「覚えると使いたくなる。そこで、洗濯場にいるおばさんにいってみたんだ。おばさんといっても30歳を過ぎたくらいかな。自分よりはだいぶ若いし、年の割にはきれいなんでね」
「それで、それで」
「そしたら、その女性はね
『う』
と答えた。
『う』
のひとことだけなんだ。こちらも
『うっ』
とうなって、それで終わりさ。あははははっ」
「あははははっ」
思わずぼくも声を出して笑った。
「ところで、あれはどういうことだい?」
ぼくはいってやった。
「それは惜しいことをしましたね。
『う』
というのは
『どこで』
という意味なんですよ」
「ということは……」
「つまり夜を過ごすのはいいけれど、どこで過ごすかとたずねたんですよ。半分OKをもらったようなものだったのに」
「そうか、しまったな。まさかそんな簡単にOKが取れると思わなかったから、そこであきらめたんだ。もう一押しすればよかったなあ」
彼の一夜の恋は、泡と消えた。口説いた所が洗濯場だけに……。




