胃潰瘍で倒れたら、上司の家に一週間泊まることに
その1「痛みと診察」
あれは9月初めのことだった。胃がきりきりと痛みだした。今まで経験したことのない痛みだ。
アルジェリアに帰国してから、まだそれほど経っていない。旅の疲れが、ここにきて出たのかもしれない。あるいは授業が原因かも。何しろ毎日が戦場だ。ストレスがたまらないわけがない。急いで診察してもらわなければ! といっても、地元の病院では何かと心配だ。
幸いこれだけの規模の会社となると、日本人の医者やナースが常勤している。こちらの身分は下請け従業員だが、元請けが日本の会社なので、その恩恵にあずかれた。
「先生、ぼくの病状はどうですか?」
「心配しないで。胃壁に傷がついているだけです」
とりあえず、薬をもらって帰宅した。休暇をもらうため、ムッシュ・ガリッグに電話を入れる。
「こういうわけなんです。すみませんが2、3日休みます」
「それは、いかん! 養生しなくては! そうだ、わが家に1週間寝泊まりしなさい」
「そんな大げさな……」
「とにかくウチにきなさい」
正直いって、ぼくは驚いた。日本人の間でも、そこまで面倒をみることはない。しかも奥さんにも食事の世話など、いろいろ負担をかける。申し訳ないとは思った。しかし坊ちゃん育ちの素直さと、九州男児の図々しさで、その好意をあえて受けることにした。
フランス人というと、個人主義のイメージが強い。他人の面倒は一切みず、付き合いなど面倒がる気がする。しかしこれはぼくの思い違いだった。
フランス人は、相手が日本人の場合、2種類のタイプに分かれる。彼らがこちらに興味をもっているか、いないかだ。もってない人は、仕事以外まったく話もしない。逆にふだんから親しく声をかけ、冗談や雑談を交わす人もいる。
ガリッグ夫妻は、典型的な後者だ。今までも何かと面倒をみてくれた。ありがたいことだ。
その2「ガリッグ家にお泊まり」
さっそくその日から、彼の家に泊まった。家といっても、マンションに近い。鉄筋コンクリート宿舎の2階の3DKだ。広さは70平方メートルくらいか。玄関はない。入り口の扉を開けるとそこが15畳ほどの居間になっている。その他に10畳ほどの寝室と、バスにトイレ。廊下をへだてて、もうひとつ8畳の部屋があった。
そこが、ぼくの寝室になる。かつてアミエルが住んでいた部屋だ。その前は、あの若き責任者ムッシュ・フォールも寝泊まりしていた。どの家も15畳の部屋の中が、表の廊下から丸見えだ。しかし不思議と、誰もカーテンで隠そうとしていない。そんな習慣はないようだ。日本じゃ考えられない。個人主義だから、他人のプライバシーなど興味がないのだろうか。
ガリッグ夫妻は、ぼくをわが子のように扱った。年齢が20歳以上離れているからだろう。
「さあ、どうぞ召し上がれ」
「いただきます!」
食事は家庭的フランス料理。いつも食べ過ぎた。
あまりの満腹ぶりに、奥さんが不安になったようだ。3日目に、こんなことばで気づかってくれた。
「あなた、胃潰瘍なのよね。たくさん料理を出すのは、いけないのかしら?」
「だいじょうぶですよ、マダム。医者からは、こういわれています。
『食事の制限をする必要はない。何でも食べたほうが健康にいいし、回復も早い』って」
「よかった。心配し過ぎて、こっちが胃潰瘍になるところだったわ」
その3「エアコン」
一週間も住んでいると、かなり彼らフランス人に影響されてくる。好き嫌いや好みを、ずいぶんはっきりいうようになっていた。しかも他人の家にお世話になりながら。今振り返ると、明らかに図々しい。わがままな病人という気がする。たとえば、こんな風に……。
ある夜、その日はとくに暑かった。
「ムッシュ・ガリッグ、今晩は暑くて眠れないよ」
「だったらエアコンをかけて寝ればいい」
ところがエアコンを動かしたら、ガーガーと音がひどい。
「ムッシュ・ガリッグ、エアコンの音がうるさいよ。かえって眠れない」
「オー・ラ・ラー」
これは、フランス人が驚いたときに発することば。続いて彼はこういって、ぼくをからかった。
「お前さんは、気難しい人間だな。フランス人以上だよ」
1週間が過ぎると、体力も回復した。体重も2、3キロ太った。ぼくは夫妻にお礼をいい、オランに戻った。ふたたび今まで通りの生活が始まった。あの期間は最初の痛みこそ地獄の苦しみだったが、最後のほうは長崎の実家以上に羽を伸ばしていた気がする。
『地獄で仏』ではなく、『天国で仏』だった。




