「安心しろ」しか言わない通訳と、オアシスの街へ 後編
その6「タクシー」
市場を出ると、タクシー乗り場が見つかった。先輩がこう提案する。
「タクシーに乗って、近くの名所を見学しましょう」
「それはいいですね。ここから北にいけば、グランドキャニオンに似た渓谷がありますよ」
と、通訳さん。さっそく先輩を先頭にして、1台の車に乗り込んだ。通訳さんが行き先を告げると、先輩がまた提案した。
「こういう国では、外国人は高く吹っかけられると聞いています。まず値引き交渉から始めましょうよ」
ところがだ。何と通訳さんが尻込みしている。
「わたし、そういったのは苦手で。今までやったことないんです……」
「なんだよ、もう。そういう時のための通訳でしょ」
先輩が少しキレかけている。ぼくは知っていた。この先輩、いい人だが怒らせると怖い。『安心』が口癖だが、安心できない人なのだ。しかたない、ここは九州男児の心意気を見せなければ。
「ぼくが交渉しましょう」
「リョウイチ、お前フランス語できるの?」
「筆談でやります」
「筆談って? リョウイチ、どうやるの?」 ぼくはノートを取り出した。
「ハウマッチ?」 タクシーの運転手に値段を書かせる。
次は通訳さんに、その数字を見せる。「それは、かなりぼったくってますね」
「だいたい、いくらが相場ですか?」 今度は、通訳さんに数字を書いてもらう。
「モアロー、モアロー」
といって、ぼくは数字を運転手に見せた。手のひらを下へ動かしながら。向こうは、それに対しああだこうだといっている。キレかけていた先輩は、少し穏やかになってきた。彼は通訳さんに、こう聞いた。
「何といっているんです?」
「さあ。アラビア語だからわかりません」
「何のための通訳だよ!」
ヤバい! 再び、先輩がキレ出した。ぼくが抑えなければ。
「先輩。運転手の表情から見て、これでいけそうなんじゃないですか?」
「そうか。リョウイチ、あとはお前にまかせる」
結局2割ほどまけてもらった。それでも運転手は、まんざらでもなさそうだった。きっと彼らアルジェリア人同士の料金は、その数分の1に違いない。まあ、いいなりに払うよりは、よっぽどましだ。
やがて、タクシーは目的地に着いた。そこは、グランドキャニオンの一部を切り取ったような地形の谷だった。3人は、しばらく景色をながめていた。市場のニオイも値引き交渉でのもめ事も、頭の中から消えていく。道ばたに男が座っていた。行商人らしい。石のような物を並べている。
「何を売っているか、きいてみましょう」
と、通訳さん。汚名挽回のチャンスだ。
「何でしたか?」
「洞晶といわれる、中が空洞で、水晶が結晶している石だそうです」
「そりゃ珍しいな。女房のみやげに買って帰ろう」
と先輩。さっきまで怒っていたのに、今はニコニコ笑顔だ。相手をする奥さんは大変だろうなと思った。
その8「レストラン」
夕暮れ時、ホテルに戻った。部屋に入るやいなや、先輩はベッドの上に大の字になって寝転んだ。
「疲れたな。もう動きたくないよ」
「ホテルの中にレストランがあります。食事はそこで済ませましょう」
と、通訳さん。レストランの眺めは、最高だった。期待してなかっただけに、みんな喜んだ。とくに先輩はニコニコ笑顔だ。目の前に砂漠が広がり、夕日がゆっくり沈んでいく。あたかも砂漠の中で食事をしているような、ロマンチックなひとときだった。ただし男だけは、ぼくらのテーブルだけ。他はすべてカップルだった。
その9「帰りのバス」
いろいろあったが、3人の旅はあっという間に過ぎた。1泊2日だから、こんなもんだ。あとはバスに乗って帰るだけ。3人は、最初にバスを降りた場所に戻ってきた。先輩が、辺りを見渡してつぶやいた。
「おや、バスのチケット売り場はどこにあるのだろう?」
「あそこです」
と、通訳さんが黒山の人だかりを指差す。よく見ると、わずかに平屋の建物の屋根らしきものが見える。続けて彼は、こう説明した。
「バスの切符売り場は、映画館のチケット売り場のような小さい窓口がひとつあるだけなんです。しかもバスの切符は座席分しか発売されません。帰りの乗客は一度に帰りますから、手に入らない可能性もあります」
手に入らないってことは、帰れないってこと。連休の最後のほうは、混むとわかっているはず。なのに、バスの増便はまったくない。日本の観光地では考えられない運行ダイヤだ。これはアルジェリア人が、のんびりしているからなのか。それとも社会主義国だから、自身の仕事を増やすなんてバカバカしいのか。
「とにかく切符を手に入れないと。そうだ、3人別々の方向から並ぼう」
先輩の提案で、3方向からそれぞれ並んで買おうと決まった。ぼくは正面から、通訳さんは左側から、先輩は右側から。ところが並ぼうにも、列なんてない。
ただ窓口に向かって、みんなが一斉に押し掛ける。要領のいい者が運よくたどり着き、切符を手にしているだけらしい。
ぼくは九州男児の押しの一手でとにかく前に進んだ。少しでもすき間を見つけると、そこに体を滑り込ませる。この方法で他のふたりよりかなり前にきたが、安心して気を許してはいけない。突然押し戻された。足を踏まれ、ひじが脇腹に当たる。あちこちが痛い。手が誰かに引っ張られ、もげそうになった。その上、鼻ももげそうだ。おしくらまんじゅう状態だから、民族独特のあのニオイが混ざり合う。ものすごいクサさになっている。
そんな苦難を経ながらも、だんだん窓口に近づいてきた。1人また1人と、窓口で話しかけては後ろに下がっているのが見える。すき間ができると、横から誰かが割って入る。そうはさせじと人々が押し寄せる。毎回待つ人の動きが乱れる。
「もう少しで窓口だ!」
手が届きそうになった瞬間、ぼくは押し戻された。逆に横から割り込んできた連中とともに、通訳さんが窓口にたどり着いた。
「切符、3人分頼みます」
「もう遅いです。バスは満員です」
なんてことだ、すでに売り切れだったとは。そういえば、さっきから何人も窓口で話しては後ろに下がっていたが、誰も切符を手にしてなかった。どうやら、ずいぶん前から売り切れのようだ。それなら
『本日の切符売り切れました』
みたいな看板を出すべきなのに、何もない。これもアルジェリアでは、当たり前の出来事なのか。
その10「十字路」
「しかたない、ヒッチハイクで帰りましょう」
先輩の提案は、正しいものの、いつもうまくいかない。男3人、しかも日本人ばかりを乗せてくれる車はなかなかない。
「作戦を変えましょう。とりあえず隣町までいくんです。そうすれば交通量の多い道路があります」
今度は通訳さんの提案に従い、隣町まで進んだ。しかし大きな道路に出ても、やっぱり車は止まらない。そのまま道路づたいに、ぼくらはさらに隣町に移動した。こういうときこそ、先輩のあの口ぐせ
「安心しろ」 が聞きたいものだ。ところが逆に、先輩は周りを不安にさせることばを吐く。「もう日が傾いてきた。こんなことをしてたら、いつ宿舎に戻れるやら。きっと今晩は野宿だ……」 とうとう十字路の手前で、座り込んでしまった。
「先輩、立ってくださいよ」
「お前たちは先にいけ。ここはオレにまかせろ。ヤツらはオレが食い止める」
「ヤツらって、何と戦っているんですか? アクション映画の見過ぎですよ」
通訳さんが、あきれかえっている。
「みなさん。歩き疲れたから少し休みましょう。あちらにベンチがありますから」
本来ならまっすぐ向かうつもりだったが、ぼくらは十字路を右に曲がった。ただの道路沿いなのに、木のベンチが3つもある。何人かがすでに座っていた。ぼくらは空いたところに座った。一度座ってしまうと、もう立ち上がることができない。突然、他の人たちが立ち上がった。お祈りの時間か? いや、あれはしゃがみ込むはず。ぼくの目の前に、大きな車が止まった。
バスだ。ここはバス停だった。日本と違い、停留所を示す鉄製の看板なんか立ってない。そんなものを置いとくと、誰かが持っていってしまうんだろう。バス正面の行き先案内板から見て、ビスクラ発ではない。
「このバス、どこまでいくか聞いてみます」 通訳さんが、運転手にいろいろ話しかける。「終点で別のバスに乗り換えれば、宿舎まで戻れます。だいぶ大回りすることになりますが」
「帰れるなら、何でもいいよ。なっ、リョウイチ」
先輩はさっきまでの疲れはどこへやら、真っ先にバスに飛び乗った。幸いにも車内はすいていた。ビスクラから満員バスに揺られるより、ずっと楽に帰れる。
座席に座ると先輩が、ニコニコ笑顔で話しかけてきた。
「なあ、リョウイチ。あの時オレが座り込んでよかっただろ?」
「何のことです?」
「あのまま、まっすぐ歩いていってみろ。今ごろは一晩中歩いて野宿だ」
「……」
「このバスには乗れなかった。な、そうだろ」
「確かにそうですけど」
「オレは、こういう引きに強いんだ。これからも安心してオレについてこい」
その11「収穫」
ぼくらは、その日のうちに宿舎にたどり着くことができた。途中いろいろあったが、初めて外国の中を旅した経験は大きな収穫だった。中でもいちばんの収穫は、通訳さんと知り合えたことだろう。あの人の知識量はすごい。そんなベテランの人でも、タクシーの値段交渉はできないことを知った。結局ぼくの筆談でまとめた。もしぼくがフランス語をしゃべれたら、どんなことになっただろう。
もっと安くまけてもらって、もっと他の場所にもいって……。
言語習得には、机上の勉強だけではない、経験や押しも必要だとわかった。押しなら、九州男児のぼくには余るほどある。
「よし、明日からフランス語を学ぼう」
ぼくは、やっと『何か』を見つけた。




