「安心しろ」しか言わない通訳と、オアシスの街へ 前編
その1「先輩の誘い」
ぼくは「何か」を始めたかった。でも何をしたらいいのか、わからない。それが、周囲からは悩んでいるように見えたらしい。アルジェリアに赴任して3ヶ月ほど経ったある日。30代半ばの先輩から声をかけられた。
「おい、リョウイチ。今度の連休、ヒマか?」
「ええ、まあ」
「だったら、この国を旅してみないか?」
「どこにいくのです?」
「ビスクラだ。地中海から250キロメートルほど南下した内陸部にある」
「そこって砂漠じゃ?」
「安心しろ、オアシスの街だ」
「でもことばが通じないし、心配です」
「安心しろ。知り合いに通訳がいる。彼もついていく。50代の人だから相当しゃべれる。大船に乗ったようなものだ」
『安心しろ』が、先輩の口ぐせらしい。そこまでいわれればと、ぼくはOKした。違う場所にいけば、何かを見つけられそうな気がした。
その2「出発」
こうして次の週末、初めての旅行に出かけた。朝6時、スキクダのバスターミナルに3人が集まった。初夏だから、6時といえば相当明るい。そこからビスクラゆきの直行便に乗る。ぼくは、窓に張り付くようにして景色を見ていた。今まで工場の周囲以外のアルジェリアは見たことがなく、新鮮だった。先輩からは
「お前は、初めて新幹線に乗った子どもか!」
と突っ込まれた。そのころ自分は、もう20代も半ばだったからね。街を出発すると、すぐに森の中を走り始める。雄大で肥沃な緑。テレビの旅番組でないと、こんな光景はお目にかかれない。それがだんだん南にいくにしたがい、草も生えぬ土だけの土地に変わっていく。地平線がどこまでも続く、壮大な風景だ。いくら壮大でも、ずっと同じ景色では飽きてしまう。
バスの中は、絶えずラジオが流れていた。それもアラブ民族の音楽オンリーだ。いつ始まり、いつ終わるとも知れない単調なメロディー。それが延々と続く。単調な景色と音楽は、睡眠薬よりよく効く。ぼくらは、いつの間にか寝てしまっていた。3人とも。
その3「ビスクラ到着」
暑さに目が覚めると、そこがオアシスの街ビスクラ。4時間ほどで着いた。
今までの、砂ばかりの景色と全然違う。ヤシの木があちこちに、生い茂っている。そのすき間に、建物がたくさん建っている。どれも2階建ての木造建築だけど。
ゆきかう人の服装もカラフルだ。赤、青、黄色、緑、紫……。みんな南洋っぽい格好。薄灰色の民族衣装を着た人は、ひとりもいない。バスを降りると、鼻のあたりがムズムズする。妙なニオイが立ちこめていた。近くに市場があるらしい。そこから甘ったるい空気が漂ってくる。実体は、野菜や羊肉の腐りかけたニオイが混じったものだ。異国にきた感じがした。
「先輩、今晩はどこに泊まるのですか?」
「リョウイチ、オレも初めてきたんだ。宿の予約なんかしていない。近くでホテルを探さないと。まあ何とかなるよ。安心しろ」
「こちらにいってみましょう」
通訳が先頭に立って歩き出す。ぼくは、少しふらつきながら歩いていた。原因は車酔いと、砂漠からの乾いた風。それに太陽の日差しと照り返し。頭がもうろうとしてきた。暑い。とにかく暑いが、汗はかかない。そこは日本の夏と違う。背中と頭に、ジリジリと焼けつく太陽を感じながら歩く。
ハエが寄ってくる。くちびると目にたかる。水分のある所が目当てらしい。ヤツらも、この暑さに参っているようだ。手で追い払っても、何度でも寄ってくる。気づかないうちに、自分のくちびるの上をハエがはい回っている。くすぐったいとも、かゆいとも違う。何とも奇妙な感覚だ。道ばたに座った人間にも、ハエはたかっている。
行商の男たちや、そのそばにいる4、5歳の少女にも。その目やくちびるに何匹ものハエがたかっているが、彼らは追い払おうともしない。しかし彼らも、さすがに汚くは感じるらしい。時折ツバを吐く。するとそのツバが付いたくちびるに向かって、いよいよハエが寄ってくる。
「ハエよ、そんなに水分がほしいのか? オアシスなんだから、水源で水を補給しろよ!」
ぼくは、こんな所に絶対住みたくないと思った。品のいい坊ちゃん育ちだから、よけいにそう思った。
その4「チェックイン」
やがて一軒の宿に着いた。『ホテル・オクバ』と書いてある。白壁で、周囲の建物と比べても造りがよい。外国人が快適に泊まれそうな所だ。チェックインして、部屋に入る。内装は、洋室。全然アラブっぽくない。大きなベッドがふたつ。リビングの応接セットもある。全体的にゆったりした雰囲気だ。かなり広いスペースを取ってある。
思わずベッドに横になってしまった。さっきまでのハエだらけの景色と、この西洋風の部屋。これじゃ、ギャップがあり過ぎる。朝早くからバスに揺られてこの街に着いたのが、ずいぶん昔のような気がした。
「おい、リョウイチ、寝るな! せっかくの観光地なのに、眠るのか? お前は、日光東照宮で寝ている眠り猫か」
と、先輩。続いて、通訳さんがこう提案した。
「リョウイチさん、少し休んだらもっと南にいってみましょう」
その5「街を探検」
ぼくらはホテルを出た。裏手はナツメヤシの林になっている。それがオアシスの木陰を作っていた。数百本、いやそれ以上の高い木が連なっている。木立の中の小道を、3人連れ立って散歩した。道は、先ほどの市場につながっていた。
市場といっても、人はまばらだ。すでに朝早くに開かれて、午前の終わりには、ほとんどの人が帰ったらしい。きょうの成果を物語る証拠に、あちこちに残り物がころがっている。野菜、果物、肉類……。暑さのせいか、それらがいっせいに腐臭を放っている。ぼくは、こんな所は一刻も早く立ち去りたいと思った。品のいい坊ちゃん育ちでなくても、そう思うのだろう。なぜか先輩が早足になった。




