鼻が先に降参した空港、ご飯に虫が浮く宿舎
その1「飛行場で」
ぼくが最初に赴任したのは、中国だった。その3年後、次は東欧諸国に赴任。
アルジェリアに赴任が決まったのは、そのあと。東部のスキクダでエチレン(プラスティックの原料)工場の建設のためだった。
ぼくが初めてアルジェリアにきたのは、1978年。オラン飛行場に降り立った。日本とかなり違うのに驚いた。日本の空港はしょうゆの匂いがすると、何かで読んだことがある。どこの空港にもその国独特の匂いが漂い、しかも自国民には気づかないものらしい。
それにしてもこの飛行場のにおいは、なんとも形容しがたい。タラップを降り始めた瞬間、鼻にムッと来る。民族が持つ独特の体臭と、羊脂のすえた臭気が混ざり合っている。こういえば少しはわかってもらえるだろうか。
えっ、わからない? 要するに、とにかくクサい!
到着ゲートは、どこの国だってごった返している。ぼくも何カ国かを回って、日本よりひどい混雑をいくつも見てきた。ワースト3を挙げることもできた。ところがこの国を知った時から、ワースト3はすべてアルジェリアの空港が独占することになった……。
空港内荷物引き渡しのベルトコンベア付近は、戦場だ。いや、難民キャンプに近い。子供を4、5人連れた母親が何十人もいる。彼女たちは、必ず両手にカバンを持つ。どのカバンからも衣類や雑貨があふれ出ている。さらに肩にもショルダーバッグをかけ、リュックを背負っている。彼らは、全員フランスへ買い出しにいった帰りらしい。バカンスを利用したのか、週末の休みなのか。
いちばんの関門は、税関検査。とにかく早く抜けようと、税関検査官の前にはすごい人だかりだ。散らばった荷物をまとめ、スーツケースをかき集め、走り回っては大声で怒鳴っている。どのカバンも、詰め込むだけ詰め込んでいる。その中身を検査するわけだ。検査官が開けた途端、衣服や箱や何やらがあふれ返る。
パンドラの箱から飛び出したかのように。
どうやっても一度開いたカバンは、元通り閉まりそうにない。
そうした中を、ぼくは必死になってくぐり抜けた。やっと手の空いてる検査官を探し出す。そうなれば早い。荷物が少ないから、検査を難なく通過。
ぼくは空港玄関口に急いだ。ここも人でごった返している。現地社員が待ってくれているはずだが、どこにいるのか。
「リョウイチさんですね?」
フランス人が声をかけてきた。探していた社員だ。
「人が多いのに、よく見つけましたね」
「この国は、東洋人が少ないですから」
周りを見渡すと、アジア系はぼくだけ。本当に日本から離れた場所にきたんだと、実感した。
その2「赴任地での仕事」
彼の車で工場へ向かう。アルジェリアにも都会はあるのだが、ぼくの赴任地は町のはずれ。小さな港の近くで、周りは砂漠のような土地だ。そこにエチレンプラント工場を建設する。
プラント建設というものは、大きく分けて2種類ある。
1つ目は、その国にある程度技術力と経験のある建設業者がいる場合。以前いった中国や東欧諸国がそうだった。現場は現地人が主体で、ぼくら外国人はアドバイザー。赴任者は30人ほどいればいい。
2つ目は、プロジェクトをすべて元請け会社がおこなう。
設計・資材調達・建設・試運転・引き渡しまで、すべてだ。現地人は出来上がった工場のキーをもらうだけ。だからこちらはターンキー契約と呼ばれている。この方式は発展途上国に多い。アルジェリアもそうだ。ま、実際鍵をもらっただけじゃ、工場は動かせない。こちらが彼らに知識を与え、経験を積んでもらうことになる。こうなると赴任者は30人どころじゃ済まない。
工場建設の最盛期には、数百人から1000人を超す大所帯となる。以前はすべて日本人がやっていたが、時代とともに人件費が高騰、採算が合わなくなった。安い労働力を求め、韓国人、フィリピン人、イタリア人(アルジェリアに近いから)を集めるようになった。
グローバルといえば聞こえがいいが、それぞれ国も習慣も違う者同士。ことばの壁は大きい。細かい意思疎通はできない。しかもそれが全員男ばかり! 勤務は12時間の交代制。何度も昼夜の勤務を交代する。そのときは18時間勤務となる。最低の人数でおこなうため、どの部署も2交代といっても2チームしかなかった。タフでなければ勤まらない。
その3「赴任地での生活」
仕事もきついが、ふだんの暮らしもつらい。宿舎は町から離れている。個人用の車などないから、移動はむずかしい。たまの休みでも、宿舎の近くにいるしかない。もちろん周りに遊べるような場所はない。酒場、歓楽街、映画館……。その他、人との交流が必要な活動は無理だ。
食堂は日本人用が準備されている。みそ汁、ご飯が毎食出る。しかし滞在2週間もすると、味付けにあきてくる。社員食堂と同じだ。しかもここでは、他の食堂を探しにいくわけにもいかない。
メニューだって? そんなものはない。定食が1種類あるだけ。ラーメン、丼物なんてない。毎日全員同じ物を食べる。選択は食べるか、食べないかだけだ。
しかもご飯には、虫が混ざっている。コクゾウ虫という、黒いごま粒大の虫だ。そいつが一口に1匹程度の割合で混じっている。1杯につき2、30匹といったところか。見た目は、黒ごまかけご飯のようだが。それらを1匹ずつ箸でつまみ出して食べる。なーに、慣れるとどうということもない。よそで白いご飯に出会うと感激する。
「真っ白いおまんまだ!」
まるで江戸時代の農民みたいな気持ちになる。ご飯といっしょに出される野菜にも、問題がある。新鮮なのはいいが、清潔とはいえない。やっかいなのが、カレーだ。人参やジャガイモは皮をむいていない。しかも米の中にはコクゾウ虫がいる。初め虫を取り出したあとにカレーをかけないと、虫まで食べてしまう。こんなカレー、インド人もびっくりだろう。朝の卵焼きには、味がついてない。一度コックにこう頼んだ。
「せめて塩かしょう油で下味をつけてほしい」
「だめだ。人それぞれ好みが違う。塩だけの人もいれば、砂糖を入れる人もいる。さらにしょう油やマヨネーズ……。とても対応できない。だから何もしない」
何も入れない卵焼きほど、まずいものはない。食事はまずい。娯楽もない。友人との交流もできない。電話代が高くつくから、日本にはめったに連絡がとれない。職場の人間は外国人が多くて、ことばが通じない。
同じ部署の日本人社員の何人かとは仲良くなることができる。しかし突然辞令が下り、彼らは別の国にいってしまう。何回かそんなことを経験するうち、誰ともあまり親しくならないようになってしまった。この時期を、どんな気持ちで過ごしたか……。過ごした人でないとわからないだろう。共学出身者に、6年間男子一貫校だった人間の気持ちを伝えるより難しいはずだ。
そんな生活を短くても半年、長ければ2年以上続けさせられる。『軟禁』という単語がぴったり。楽しみといえば帰国の日を数えることだけ。まるで、出所日を指折り数える刑務所の囚人だ。ある日仕事が終わりベッドに横になったとき、ぼくは考えた。
「こんな仕事だけの生活を続けるのは、もうイヤだ。人間性が失われてしまう」
こんな絶望的なつらい気持ち、以前赴任した中国や東欧では起きなかった。
ふと、ある映画を思い出した。脱獄用の穴を掘る囚人の物語だ。ヤツには毎日の目標があった。一日が充実していた。他の囚人と違って、目がキラキラしている。
「ぼくも何かを始めよう。新しい目標を見つけて、毎日を充実させられたらよいのだけど……」
次の日からぼくは、ずっとその『何か』を探していた。




